事件

慟哭

片貝はその日、いつも通り業務をこなしていた。

片貝は介護士だ。


主任が片貝のユニットをおとずれ手招きした。


『今奥さんから電話あったんだけどさ…』


『え?』


そこからはどんな会話だったかディテールは思い出せない。


要は


『心が刺された』


との事だった。

心は晴日の兄であり、片貝家の長男である。


早退するにあたって施設長に断りを入れたのかタイムカードを切ったのかすら覚えていない。


茜に電話しながらハンドルをにぎり、病院名を聞き出し、闇雲にアクセルを踏んでいた。


病院につき、受付で


『片貝心ですけど!!』


と怒鳴ったのは覚えていた。


受付の女性は『は?』と言う様な顔で、いや実際言われたのかも知れない。キョトンとしていたが、すぐに裏から事情を知るベテラン風の女性が駆けつけ、手術室に案内された。


手術室前ではソファーに顔を埋めている茜と、心配そうな面持ちの片貝の両親がいた。

『裕太!』


『心ちゃんが変な男に刺されたって!』

母は泣きながら片貝の両の二の腕を掴んだ。


『今輸血とかして、傷口の縫合してるみたいだ…。』

親父は比較的冷静だが顔に生気がない。

一番心を可愛がっていたのは親父だ。


片貝は茜に事情を訊ねようとして親父に制された。


『保育園で公園に遊びに行ったらしいんだ。そこに…まあなんて言うんだ、異常者と言うか精神障害者みたいな男がきて、色んな子を刺したらしい…』


耳を疑った。

そんな、遠くの世界の出来事の様なことが我が子に降りかかるなんて。

膝が砕けそうだった。床に座り込みたかった。


『しんちゃぁん…』


茜は顔を伏せたまま泣いている。



数時間片貝たちはそこにそうしていた。

その間何度かナースの出入りがあった。

容態を訊ねるが

『お待ちください』としか返ってこなかった。



さらに一時間後。


医師が手術室から出てきた。

その医師の表情を見て、

何もきけなかった。

物語っていた。


『申し訳、ありません。』


四十代とおぼしき医師は深く腰を折った。


親父は壁に項垂れ、母、膝を抱えて泣き、

茜は泣き叫びソファーに爪を立てた。

『あかね、茜っ!!』

片貝は茜を制するが、既に茜の中指の爪は剥がれてしまっていた。


『もうやだよぉお、やだぁぁぁ、しんちゃーーーーん……!』


その前後は驚くほど不鮮明なのに、病院での茜の慟哭は痛々しくも鮮明に覚えている。



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