第9話 雨と衝撃

 次の日の朝。

 いつもより早い時間に目が覚めた僕が、リビングの扉を開けて中に入ると、




「………………………………………………………………………………」




 ――――…先輩?


 窓から空を見つめている先輩の姿があった。


「あの、先輩……?」

「あぁ……翔太郎くん……」

「ど、どうしたんですか?」

「……見てください」


 と言って指さした窓の方を見ると、




 ザァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーッッッ!!!!!




「雨ですよ……雨。それも……どしゃ降りの……」


 先輩の口から、聞き逃してしまいそうなほどの小さな声が発せられた。


 ああぁ……これは……。


「確かに……どしゃ降りの雨……ですね……」


 恐らく、今年一番と言っていいのではないだろうか。


「えっと……」


 さすがにこの天気だと外に出られない、と先輩に伝えようと思ったのだけど……。

 先輩の落胆している姿を見ると、ねぇ……。


「先輩、一回落ち着きましょう」

「………………」


 ……どうしよう。こういうときって、なんて言えば……。

 寝起きということもあって、全く頭が……。

 なにか、栄養を取らないと……あっ。


「せ、先輩っ! 取り敢えず、朝ご飯にしませんか?」

「………………」

「食べ終わる頃には、んでいるかもしれませんっ!」


 これは、ナイス! 咄嗟とっさに思いついた自分を賞賛したい。

 すると、その提案を聞き入れてくれたのか、先輩がゆっくりと顔を上げる。

 さっきまでの落ち込んでいた表情が、少しやわらいだ気がする。


「そうですよね。もう少し待てば、きっと止みますよね!」


 やっぱり、先輩は笑っている方が何倍にも可愛いと、改めて思った。




 ――しかし、そう甘くなかった。


「………………」

「先輩……」

 

 朝食を食べ終えるも、どしゃ降りの雨は変わらずだった。


(自然というものは……)


 当の先輩はというと、ソファーの上で体育座りになって顔を埋めていた。


 ………………。


 声をかけづらい雰囲気だけど……このままじゃ……。


「先輩、元気を出してください」

「………………」


 先輩からの反応はない。まさか、家族以外の女性との会話スキルがまったくないことが、こんなところで響くなんて……。


「……あ。先輩っ!」


 僕の大声でビクッとした先輩は、慌てて顔を上げる。


「どうしたのですか!? 急にそんな大きな声を出して……っ」

「先輩。今日はダメでも明日があるじゃないですか。日曜が!」


 それを聞いた瞬間、先輩の眼に明るい光が宿った。


「……あっ、そうですよね。まだ、明日がありますよね!」

「はい!」


 お願いだから、明日は晴れていてくれ……と、切実に願った。




 朝の騒動があった後。

 僕がソファーでくつろいでいると、先輩が洗濯物を取りに行った。

 先輩がする家事の内容としては、食事、掃除、洗濯などなど。

 最初の頃は、その全てを任せるのが申し訳ないと思い、手伝おうとしたのだけど。


『これは、私の役目やくめですから!』


 ――…と言われてしまった。


 先輩は、キレイ好きだから掃除がとても丁寧だし、料理に関しても、一生懸命に勉強しているから目に見えて上達じょうたつしている。


 ……ということで、最終的に残ったのが『洗濯』なのだけど。


 すると、洗濯物が入ったカゴを持った先輩が、リビングに戻ってきた。

 カゴの中には、Tシャツやタオルなどが入っているのだけど。その中には、もちろんあれが入っているわけで……。


「…………っ」


 よく見たら、“それ”がチラッと見えてしまっている……。

 自然とカゴの方に目を向けていると、先輩と目が合った。

 先輩は、僕が見ていたカゴに目を向けると、慌ててある物を隠す。


「あ」


 …………マズい。


「えっと……」




「――――…エッチ」




「――ッ!!?」

「……ふふっ。まだ降っているみたいですね」


 と言い残して、洗濯かごを持ってリビングを出て行った。


 ………………。


 僕は、ソファーの上で銅像のように固まったまま外を見つめた。


(さすがに、洗濯の手伝いは……マズいか……)


 このことから、なるべく洗濯物には近づかないと心に決めたのだった。




 それから、数時間後――。


「おはよう~……」


 リビングの扉の方から、気だるげな声が聴こえてきた。

 振り向くと、姉さんが目を擦りながらリビングの壁にもたれかかっている。


「寝すぎだよ、姉さん」

「おはようございます、美奈さん」


 姉さんは、フラフラしながらリビングテーブルのイスに辿り着くと、スローモーションのようにゆっくりと座った。


 「よっ……こい……しょ……」


 ……おばあさんか。


 眠たげな顔の姉さんは、徐に腕をグッと上に伸ばす。


「はぁ~……よく寝た~……。ねぇ、今、何時~……?」

「……もう、夕方の五時だよ」

「へぇ~……ウソッ!?」


 壁にある時計を驚いた表情でガン見した。

 驚きたいのはこっちなのだけど。


「ホントだ……」

「この時間まで寝てるって……昨日の夜、なにをやっていたの?」


 すると、突然元気を取り戻したように立ち上がる。


「ふっふっふ……っ。聞いて驚くな! 私は昨日、徹夜でレポートを書きあげていたのだ……っ!!」


 なにを言い始めるかと思えば……。始まってしまったか……。

 呆れている僕を無視して、姉さんは熱く語り始めた。


「私は……レポート期限まで大丈夫だと高をくくっていたッ!! まだ大丈夫、まだ大丈夫と……後に回していた……。そして、気づいた頃には……ッ」


 大学生になってからの姉さんは、レポートや試験が終わるたびに暑苦しい話を始めるようになった。

 最初はメールだけだったのが、いつの間にか電話に移り……。三、四時間は普通で……。

 この時期が来るたびに頭が痛くなるのだ。


「……これはダメだ。先輩、姉さんはほっといて晩ご飯の準備をしましょう」


 姉さんから視線を外し、先輩に夕食の提案をする。


「いいのですか、あのままにしていて……」

「いいんですよ。それに、今の姉さんに絡まれると、色々と面倒なので」

「あぁ……なるほど。では、晩ご飯の準備を始めましょうか……っ」


 先輩も察したのか、姉さんの横を素早く通り過ぎ、キッチンに向かった。




 姉さんの熱弁を無視して一時間が経った。

 やっと、夕食の時間だ……。


 解放感に浸っているのもつかの間、姉さんから思いがけない一言が出た。


「えっ? じゃあ明日、アパートに帰るの?」


 先輩の手作りオムライスを食べながら聞いた話の内容は、他のレポート課題が貯まっているから、一人暮らしをしているアパートに帰るというものだった。


「まぁ、そういうことになるかな」

「それは、また急ですね」


 向かいの席でオムライスを食べている先輩も同様に反応した。

 そんな僕たちの反応を見ていた姉さんは、口に運ぼうとしていたスプーンを皿に置くと、神妙な顔で言った。


「……ここで二人に言っておくことがある」


 急に真面目な顔に変わったため、僕たちは一旦食べるのを止めた。


(なんだろう……? ……あっ。まさか、さっきの地獄の時間をもう一度……なんて言わないよね……)


 なにを言い出すのか気になったが、


「………………」


 姉さんは、一向に口を開けようとしない。


「? も、勿体ぶらないで言ってよ。気になるじゃん」

「私も気になりますっ」

「…………っ」


 すると、覚悟を決めたのか、姉さんの口がゆっくりと開いた。


「実は、この三日間で、二人がどういう風に生活するのかを、母さんに報告していたんだ」

「報告、ですか?」

「うん……」

「……それで?」

「…………はぁ。……もう、細かく説明するのも、面倒くさくなったから単刀直入に言うわ!」


 そう言って姉さんは、僕と先輩を交互に見た。




「母さんと話した結果、これからは…………この家で“二人”で生活してもらうことになったから!」




 ――――…ん?


 僕は、ある違和感を覚えた。


 聞き間違いかな? 今……姉さん、“二人”で生活って言ったような……。


 ……ん!? 待てよ!?


「いやいやいやいやッ!! ちょっと待ってよ!?」


 姉さん! あなたは、今、なにを言ったのかわかっているんですか!?


 そんな僕の心中など関係なく、姉さんは、申し訳ないような顔で先輩の方を見る。


「彩音ちゃんも、急なことで悪いんだけど…――」




「――それは、本当なのですか!?」




 急に何事かと思って見てみると、先輩が大きな声を出して姉さんを問い詰めいていた。

 姉さんはその勢いに思わずたじろぐ。


「っ!? 本当だけど……」


『やったー!』


 それを聞いて先輩は、小さくガッツポーズをしているように見えた。しかし、なにを言っていたのかは、うまく聞き取ることはできなかった。


「~~~♪」


 よくはわからないが、先輩が凄くご機嫌な表情を浮かべている。


「せ、先輩……?」

「ふふふっ…――――はぁっ!?」


 自分の世界に入っていたのか、驚いた顔でこっちを見てくる。


「ごっ、ごめんなさいっ! 急に大きな声を出してしまって……」

「それは別にいいんですけど……」


 わかりかけていた先輩のことが、さらにわからなくなってしまった。


「えっと……そろそろ話に戻っていいかな~?」




 そんなこんなで迎えた日曜日、だったのだけど……。




 ザァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーッッッ!!!!!




「「………………」」


 前日よりも激しい雨が降っていたため、外に出ることはできなかったのだった。

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