13

 名ばかりのステージから這い出た僕は、きっと青ざめてゲッソリとしてたんだと思う。だって、悟とリクの二人にはサービスでハートランドが一杯ずつやってきたのに、僕にはお冷やがひとつ運ばれてきたきりだったから。

 僕は文字通り冷や水をかけられた気分だった。だって、僕は八坂のために曲を書いたのだ。彼女のために、彼女のことを思って詩を書いたのに。彼女はこの場に来ると約束したのに。なのに八坂は来なかった。

 しばらく僕は冷静でいられなくて、次に出てきた若い大学生ぐらいのバンドの演奏なんて耳に入ってきさえしなかった。ただ彼らが「ロックンロール! ロックンロール!」と何度も叫んでいるのを聞いて、「なにがロックだ」と言いたい気分にはなったけれど。


 聞いてられない、聞こえない音楽の代わりに、僕らの席にやってきたのは、僕が本当に詩を捧げるべきだった人だった。つまり、郁だった。

「ごめん、遅れちゃって。閉店作業が長引いちゃって」

 郁はそう言いながら、本当は苦手なはずのビールを注文して――きっと机の上にあったのがみんなハートランドだったから、気を遣ったんだろう――作り笑顔でそれを飲み始めた。

 僕は余計に罪悪感を覚えた。

「でも最後の曲は聞いたから許してね。あれも薫くんが書いた曲なんでしょ?」

「詞はな。曲はあたしが」

 くっと手を挙げたリクは自慢げで、うつむき加減な僕とは正反対だった。

「すっごいかっこよかった。最後のほうしか見れてないけど、でも良かった!」

「ほんと? あたしもあれは気に入ってるんだ」

 ――僕は気に入ってない。

 ああ、僕はなんでこの人とつきあってるんだろう。そんな思いと、郁がそばにいてくれてほしいという二重の思いとが、僕の心のうちをぐるぐると回り始めた。

 僕は郁のこういう言葉が嫌いだ。気が利いて、優しくて、だから彼女はうわべきりの誉め言葉を言ってくれるし、話をあわせてくれる。僕が彼女にはぜったいにわからないような音楽の話をしても、郁は渋い顔一つせずに「なんかいいね」とか「へぇーなにそれー」って言ってくれる。

 僕はそれが好きだし、嫌いだ。

 今の彼女のように、うわべきりの「かっこよかった」なんて科白が大嫌いだ。

 だったらむしろ八坂みたいに真正面から「嫌いじゃないけど好きになれないの」ってそう言ってもらえた方がうれしいし。彼女は僕が好きな音楽の細部だとかそういうのに気づいた上で、そのうえで「きらいだ」って言ってくれるから。そんな気が下から。

 僕は本当はそういう言葉が欲しかったのに。だからこそ彼女に曲を作りたかった、彼女が聴ける曲を、彼女のための詩を書きたかったのに。

「ごめんな、郁」

 僕は水を一杯飲み干すと、それから郁がすこしだけ口を付けたハートランドをひったくって、一気に飲み干した。

「帰ろう、郁。話があるんだ」

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