12

 ライブをするまでの一ヶ月あまりで、僕は二冊の本を読み、四つの映画を見て、三曲の詞を書いた。そして郁と七回寝て、八坂とは三回だけメッセージのやりとりをした。でもその内容は、来月のライブに来てほしいという、それだけだった。八坂からの返事は「うん」というその二文字だけで、それがイエスなのかノーなのかは、僕にはわからなかった。

 そうして八坂から判然とした答えも得られぬまま、土曜の夜になった。その日、僕はギターケースを背に出勤し、図書館からそのまま会場となるライブバーに向かった。午後七時前には、もうリハーサルが始まっていた。

 僕はローランドのJC120にギターをつなぎ、イスの上に腰掛け、チューニングを続けた。そのあいだリクがドラムの調子をあわせ、悟はバーのマスターと何か話していた。悟は昔からなぜか顔が広くて、あの性格なのによく人に好かれて、だから僕らはこうしてたまのライブができていた。もし僕がバンドのリーダーだったとしたら、月イチでスタジオに集まるきりで、一年を待たずして終わっていただろう。悟の気まぐれな性格と人当たりの良さが、僕らをこうして人前に引きずり出したんだと思う。

「さあ、やろうか」

 オレンジのベースアンプに繋げられた、ヘフナーのクラブベース。それを取り上げて肩から提げると、悟は僕に目配せした。

「なにからやる?」

「オールドスクールから」

「またトーキングヘッズ?」

 と、リクがドラムセットの中から口を挟んだ。

 悟は静かにうなずき、サイコキラーのリフを弾きだしたので、僕らは音出しがてらトーキングヘッズを合わせた。

 サイコキラーさ、いったいなんだそれ? って。


     *


 夕方七時を過ぎ、開演の時間になった。いつしかテーブル席は満席となり、カウンターには酒を求めて人が並び、そしてステージ――というよりも、ただ機材が並んだスペース――の前には、まばらな人だかりができていた。だいたいはこの店の常連の音楽マニアで、土曜の夕方にアルコールとアマチュアの演奏を楽しみにくる好事家だ。あとの二割はこの店で演奏してる連中で、残りの一割が僕らのファンだった。ファンというか、なんていうか、知り合いって言った方が近いかもだけど。でもそのほとんどは悟の穴兄弟か竿兄弟なんだと思う。

 紹介も何もなかったし、僕らは口べただから不用意にしゃべることもなかった。それにアマチュアのダサいバンドが独りよがりなMCをするのって、僕はひどく格好悪いことだと思っているから。ただ演奏して黙って帰るぐらいが、僕らにはちょうどいい。

 だからマスターが目配せをして、悟が返事代わりにテレヴィジョンの『マーキームーン』を弾き始めたら、それが開始の合図だった。

 僕は『マーキームーン』を弾き、リクがドラムスを合わせながら、なんとなしにハミングとも言えぬ鼻歌を歌い、僕らのライブはスタートした。

 一曲目は、僕が大昔に書いた曲で、『詩聖と蛆虫(あるいは僕)についての二、三のこと』という曲だった。



     ♪


 あなたが まだここにいたときに

 僕はあなたを 直視すらできなかったね

 あなたは まるで詩聖のようで、

 ぼくは、あなたの言の葉に燃やされていたね


     ♪


 リクと悟の二人が歌うのを聞きながら、僕は一人黙々とギターを弾き続けていた。そして弾きながら、僕の目はずっと違う何かを探していた。

 

     †


 僕は聴いてた 雨音を聴いてた

 僕は聴いてた ほかの何かを聴いてた


     †


 耳元でリクと悟に混じって、トム・ヴァーレインが囁く。僕が聴いてるのは? お前はなにを聴いてるんだ?

 暗がりの中、僕が探し続けていたのは、僕らのファンでも、ガールフレンドでもなく、ただ一人の女だった。

 僕は彼女のために、これから演る何曲かを書いた。彼女の思い出を上塗りするために書いた。

 だけど、彼女はいない。

 二曲目が終わり、三曲目が終わり、セットリストの通りではこれから新曲をやることになっていた。もう時間はなく、僕はつい先日まで悩んでいた詩を惜しげもなく披露せざるを得なくなった。

 彼女以外の、ほかの誰でもない群衆たちに。

「次は新曲です」

 悟がぶっきらぼうに言って、それからリクがスティックを叩き合わせてカウントした。僕はそのカウントが永遠に続けばいいのにと思ったけど、でも定刻通りスリーカウントで出発した。


 結局、八坂は来なかった。

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