7
八坂が消えてから、一ヶ月以上の月日が経っていた。もう彼女と過ごした歳月よりも、彼女が消えたあとのほうが長くなろうとしていた。
郁との仲はまだ戻っていない。僕が電話しても、メールしても、ラインしても、返事はなくて。アパートに寄ってみても、他人のように振る舞われた。すれ違いざまに出会った僕らは、分厚く透明な壁の向こう側にいるみたいだった。
しばらくは僕も郁の近くにはいられないと思って、新居を決めることにした。すでに追い出されてから二週間以上が経過していた。
いったいなにが郁を怒らせてしまったのか、僕はよくわかっていた。すべての原因は僕であり、そして僕と八坂との関係が起爆剤になった。いままで見て見ぬフリをしていた郁も、もう我慢ができなくなって、それまで抱え込んでいたフラストレーションが爆発した。そのほとぼりが冷めるまでは、僕は戻れないだろう。
だけど、僕はそれでも八坂とのつながりを思い出代わりに持っていた。
新居は職場近くで、家賃四万以下という格安物件。だから僕の生活はとことん自堕落になって、床には、コンビニ弁当の食べ残しが散乱するようになった。片づける女性がいなくなったからだ。
起きるのも遅くなった。職場には八時にも出て行けば間に合うから、七時半まで寝ていることだって少なくない。このあいだは四十五分に目を覚まして、ダッシュで行って間に合った。僕はとことん自堕落になりつつあって。今日もそうだった。
昼休みは、だいたい喫煙所にいた。ほかの職員は来ないからだ。僕はそこでチョコレートとコーヒー、それからハイライト・メンソールだけつまんで時間が過ぎるのを待つ。そして暇つぶしの道具として、いつも『あのテープ』を隠し持っていた。
カセットテープ。
悟がダビングしてくれた、僕らの曲。より正確に言うならば、僕が八坂のために書いた四つの曲がそこに納められていた。ブラック・スケルトンのカセットには、タイトルを書き込むためにシールが貼り付けてある。
(un)titled
初めはそんなタイトルだった。悟が気取った調子で付けたのだ。でも、酔っぱらった僕が一蹴した。
†
「ダサいだろ、何だよ『無題』って」
「オアシスのモーニンググローリーにそんな曲があっただろう? それにだ、カッコでくくると六、七〇年代っぽくないか?」
「ストーンズのサティスファクションみたいな?」
「ビートルズのノルウェイの森とかもな」
「それなら、僕はこうしたい」
†
いま、カセットには二重線が引かれ、その横に僕が書いたタイトルが付されていた。
(not) coloured
それを見たとき悟は「どういう意味だ? 無色?」と聴いたので、僕はこう返した。
「未だ彩りあらず、だ」
バカな話だ。
僕はまだ自分が書いた曲を、八坂に聴いてもらいたくて。アルバムのタイトルにすら八坂の名前をもじって入れて、あまつさえそれを彼女が聞けるようカセットテープにして持ち歩いている。もしいまにでも彼女と出会ったら、すぐに渡せるようにと。
「本当にバカな話だよ」
自嘲するようにつぶやいたけど、僕の頬からは乾いた笑みが漏れるだけで。しかもその笑みは心の底からのものじゃなくって。僕はいまだに八坂とどこかで出会えるのを期待していた。
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