5
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悟のせいで引き合わされた僕らは、趣味も性格も真逆なのに、ときおり休みを合わせては一緒にどこかへ行く仲になっていた。
あるとき僕らは二人で夕食を食べながら、話をした。一緒に映画を見に行った帰りのことで、駅前に新しくできた居酒屋だった。海鮮がうまい店と評判だったけれど、たしか最近潰れてしまった。
「ねえ薫くん。私ね、海に行きたいの」
「どうして? もう十一月なのに」
僕はそう言いつつも、食べているのが浜焼きだからかな、とかそんなことを考えた。網の上でハマグリが口を開けるのを見て、海に行ってみたいとか、そんなふうに思ったのかなと。
「ドライブに行きたいなって思ってさ。薫くん、免許持ってる?」
「あるけど、ペーパーだよ。じゃなきゃ電車通勤なんかしてない。まあ、たまに悟のトラックに荷物積み込んで、機材運ぶときとかは運転するけど。でも長距離は運転しないな」
「じゃあさ、二人で行かない? ゆっくり休憩しつつ、かわりばんこで運転してさ」
「クルマはどうするの?」
「レンタカーでいいじゃん。行かない?」
――いいけど、どうして?
僕はそう言いたかったけれど、聞かなかった。たぶんこのころから僕は、この芳丘郁という女性の趣味だとか嗜好というのは理解できないのだと、割り切っていたんだと思う。
そうして僕らは十一月の二十三日の祝日に、レンタカーを借りて、下道をくんだり走ることにした。あいにくの曇り空で、外には木枯らしが吹き荒れていた。
二時間半かけて着いた浜辺は、もちろんシーズンオフで誰もいなかった。たまにヤドカリみたいな貝殻が地平線をコロコロ転がっているのが見えたけれど、でもそれだけだった。
郁は波打ち際に立ち、ただ呆然としていた。灰色をした曇り空を見上げて、テトラポッドの群れを見送るみたいに。今にも雨が降り出しそうな空の下で、とくに何をすることもなく。郁は、ただ黙って海を見ていた。
なにしてるの? って聞きたかったけれど、このときの郁にはそれを聞くことすら無粋な気がして。結局、僕はコンクリートの壁に持たれて、しばらく彼女の後ろ姿を眺めていた。
やがて雨が降り出して、僕らは逃げるみたいにクルマに飛び乗った。レンタカーのホンダ・フィットは、二人で乗れば窮屈でも無いけど、でも磯と雨のにおいがすぐに広がってきた。
「すごい雨。冬だって言うのに、珍しいね」
「ビショビショだよ。エアコンつけるよ、エンジンかける」
僕がイグニッション・キーを回すと、すぐに冷たい風が吹きすさんだ。しばらくの暖気運転を経てやっとヒーターが効いてきたけど、僕らの体は冷え切っていた。
「ねえ、郁はどうして海に行きたいなんて言い出したの?」
「どうしてだと思う?」
「質問に質問で返すのはナンセンスだ」
「そうだね。じゃあちゃんと答えるよ」
と、郁は濡れた上着を脱いで、代わりにシートベルトを締めた。もう出発しようと言わんばかりに。僕は返事の代わりにアクセルペダルを踏んだ。フィットは少しずつ前進する。
「昔ね、彼氏と来たの。まだ学生のころに、もうずっと前。十代のころに」
「そうなんだ。そのときも冬だった?」
「ううん、夏の終わり。九月だったかな。まだあったかくて、二人で波打ち際でデートした」
「楽しかった?」
「うん、とっても。でもね、その彼とはすぐに別れたの。あのころ私はまだ学生で、それに初めての彼氏でね。私、男の人とどうすれば一緒にいてもらえるか分からなかった。どうすれば喜んでくれるかわからなかった。それでけっきょく愛想尽かされちゃったんだ」
「そう。彼のことは好きだった?」
「わかんない。でもね、別れた年に、私また海に行ったの。一人で、クルマを借りて。でもね、ぜんぜん楽しくなかったんだ。あのときは楽しかったのに、ぜんぜん」
「そう」
「そうなの。だから、試そうと思ったの」
「なにを?」
「薫くんと来たら、楽しいかなって」
「結果は?」
「楽しくなかった」
「そう、それは残念だ」
僕がそう言ってから、しばらく静寂があった。だって、僕もどう返していいか分からなかったし。いつも笑顔を絶やさない彼女の冷めた表情を見たのは、このときが初めてだったから。だから僕は行った道を帰りながら、黙っていた。ラジオだけつけたら、FMはスーパーカーの『My Way』を流していた。
「ソフトクリームでも食べる?」
僕は見えてきた道の駅の看板を見ながら言った。郁がコクンと小さくうなずいたから、ウィンカーを焚いて入ることにした。
雨の日でも道の駅は混んでいて、ソフトクリームひとつ買うだけでも十分くらいかかった。僕らは軒先の下、滴る雨粒と寒気を覚えながら、バニラソフトを口に運んだ。
「薫くんっておかしいよね」
「なにが?」
「冬にソフトクリームなんて。そこはコーヒーとか、ココアとか、あったかい飲み物を買うとこじゃない?」
「かもしれない。でも、すぐそこにソフトクリームの看板があったから。それに、女の子は甘いものが好きだろ?」
「偏見。辛いものが好きな子だっているよ?」
「じゃあ郁はどうなの?」
「どっちも好き」
「じゃあいいじゃん」
舌先でバニラを舐めあげると、頭がツンと痛んだ。郁も額を手で押さえながら、必死に食べてた。
そして、食べながら言った。
「薫くん、私いま楽しいよ」
「そう。それはよかった」
「うん。だって私、試したかったんだ。海に行ったことが楽しかったのか、それともあの人といたことが楽しかったのかって」
「結果はあの人の勝利?」
「ううん。負け。だって、こうしていま楽しいから。だから、海と薫くんの勝ち」
「でもさっきはつまらないって言ってた」
「だって冬だし、雨だったから。条件がそろわない場合、その実験は意味をなさないんです」
「理系なんだな」
「そうだよ。私、高校のとき理系だったもん。化学とってた。薫くんはバリバリの文系だもんね」
「文学部日本文学科だもの」
「文学青年だもんね」
「少年でありたかったけれど」
最後までソフトクリームを食べ終えて、コーンの先端まで噛み砕いて。僕らはまたクルマに戻ることにした。そのころにはもう雨は止み始めていた。
「次、私が運転するよ。交代の時間」
「わかった。じゃあ、僕が助手席」
郁がエンジンをスタートさせる。生乾きの洗濯物みたいなエアコンの風。そしてシフトレバーに伸びる郁の指が、ゆっくりとレバーの谷間を過ぎ去って、僕のほうにやってきた。
「ねえ、薫くん」
「なに?」
「薫くん、私の彼氏になりたい?」
「かもね」
「じゃあ、今日は記念日にしよう。薫くん、どこへ行きたい?」
「雨降る海以外のどこか」
「オッケー」
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