5
その日の悟はやけに上機嫌で、練習中はおもしろいように時間が過ぎていった。悟とリクの二人が別れてからというものの、僕らナギサニテの間には不穏な空気が流れていたけれど。でも、最近はそれも取り戻し始めていた。リクは悟のことを見限ったらしいし、でも彼の音楽的才能はある程度認めているみたいで。じゃなきゃまだこうして別れた男と音楽してるはずがないわけで。
僕らはそうした奇妙な縁がつながり続けて、音楽している。それ以上でもそれ以下でもない関係にありながら。
二時間スタジオに籠もって、僕らは新曲のブラッシュアップをした。なんとなしに悟が考えたメロディに僕が詞をつけて、徐々に形にしていく。それが僕らの作曲スタイルだった。そうしてある程度カタチになると、リクがそれを持ち帰ってデモテープをPC上で作る。そこに僕らがいろいろ文句付けたりして、悟がさらに編集して、やっと完成。いつもそういう流れだ。
だから最初に二時間が重要で、それがハマらないと、結局そのあとはなにをやってもダメになる。今日は割といい感じだった。僕が考えた――いや、半分は郁が考えたかもしれない――詞はいい具合にメロディに合致していた。
スタジオを出ると、僕らはとたんに他人になる。僕は一路駅へ向かい、悟は駐車場に停めたクルマに向かい。リクは自転車で帰る。ただ、今日の僕はめずらしくリクと一緒だった。
「ガールフレンドとはうまく行ってるわけ?」
自転車から半分腰を下ろし、漕がずに足で地面を蹴りながら、リクは僕に歩調を合わせた。
「まあ、それなりに。来週デートに行くぐらいには」
「へえ、どこに行くの?」
「彼女の職場に」
「ああ、そういうことね」
リクは得心したような表情になって、僕の衣服をぐるりと見回した。
「森島君てば、最近やけにオシャレになったかと思ったけど。ぜんぶそのガールフレンドのおかげなわけね」
「そうだよ。服も、髪も、何もかもぜんぶ郁に見繕ってもらってる。じゃないと僕は――」
「髪の毛はボッサボサで、服はジャージかバンドTシャツだけの浮浪者みたいな格好になるから、でしょ? よく悟が言ってたよ。だからあの子と森島君を引き合わせたんだって。まったくそのセンスは正しいけれど、でも悟のやつはほんと女の子の友達がやけに多くて……」
「そのくせバイセクシャルだからタチが悪い」
「そういうことよ。ねえ、森島君これですぐ帰る?」
「いや、ちょっとコンビニに寄って帰ろうと思いましたけど」
「そう。じゃあ私も一緒に寄ってくわ」
僕とリクは駅前のコンビニに入り、缶コーヒーを買った。それから余計なものも。つまり一箱のタバコも。
コンビニの外でリクが会計を終えるのを待ちながら、僕は郁にメッセージを送っていた。
〈ごめん、外で飯食って帰る。遅くなる〉
嘘だ。
悟はもうとっくに別れた。僕は悟でもリクでもなくて、八坂に会うことばかり考えていた。八坂に会いたいと、心のどこかで考えていて。その口実に悟を使っていた。
それからすぐに郁から〈遅くならないでね〉という返事がきたけれど。僕はろくに読まずにポケットへ携帯をしまった。
「おまたせ」
と、リクが缶コーヒーをあけながら戻ってきた。僕も微糖をあけて喉へ流し込んだ。
「ねえ、電車が来るまでに一つ聞いてもいい?」
「いいけど。なんのこと?」
「あの子のこと。あの、このあいだ練習に来てた派手な髪をした女の子。あの子って誰?」
「あの子って、誰?」
――それがたとえば透明少女。
僕はそう冗談を言おうとして、けっきょくやめた。
「友達っていうか、レコード屋のアルバイトの子だよ。あそこのアーケードのとこでバイトしてる。趣味の話があってね、ときおり話すようになったんだよ」
「そう。でもなんであたしらの練習に?」
「バンドマンがどんな気持ちで曲を書いてるのか知りたいんだってさ」
僕は八坂について、事情をすべて話した。アルバイトのこと、移ろいやすい性格なこと、季節のように変わる髪のこと、そして変わらない元カレとカセットテープへの思いのこと。
僕がひとしりきり八坂について話すと、リクは予想外の反応を見せた。笑ったのだ。くっくと引き笑いをして、またコーヒーを飲んだ。
「バカな女だね、そいつ。森島くんってばわかんないの? 移り気なフリして、中身はずっと一緒なんだよ、きっと。その元カレにいまだにゾッコンてだけじゃない」
「僕もそう思う。だけど、僕は彼女のために曲を作りたいと思ったんだ。いわば、八坂が聴ける曲を」
「あっそ。それじゃあ今日の歌詞、その八坂さんのために書いてきたわけ?」
「かもしれない」
「そう。なんだかそれって、いいことじゃない気がするな。あの女は魔女だよ。いいようにたぶらかしてるけど、心は君に向いてない。あたしが言うんだから、違いない」
「悟のことか?」
「そう。あたしは魔女以上の魔物と付き合って、フられたんだから。わかるのよ。その子、気をつけた方がいいよ」
「そうだね……っと、電車が来るよ」
僕は左腕を見て、はめてもいない腕時計へ目を落とした。八坂のことについて触れられるのを、いや彼女について書いた詞に触れてほしくなかったのかもしれない。その言葉は八坂のなかでだけ生きてほしいと、僕はそう願ったのかもしれない。
「じゃあ、また。ライブまでにもう一曲詞を書いておくよ」
「オーケー。じゃああたしはデモテープ作っとく。明日にはもう作っちゃうから」
「仕事が早いな。でも、そう言って修士論文をおろそかにしないでよ」
「わかってる。あたし、悟みたいに半端に大学やめるつもりないから」
僕らはそれだけ言葉を交わすと、缶コーヒーをゴミ箱へ投げ、地下鉄のホームへと急いだ。エスカレーターの先からは、冷たい風と警笛が流れ込んで来ていた。
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