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 まだそこまで遅くもない時間だからだろうか、店内には初老の男性が一人いるきりだった。彼はHR/HMコーナーの棚を眺めながら、アイアンメイデンのレコードを端から手に取っていた。

 僕はそんな彼を横目に、店のなかをぐるりと見て回った。そうして何も手に取ることなく、ただ八坂の前に立った。八坂はつまらなそうな表情をしながら、右手の指先は透明なタバコをつまんでいた。

「いらっしゃい」

 八坂は虚空のタバコをついばみ、その煙を僕に吹きかける。どこかコーヒーのような甘い匂いがした。葉巻にたとえるならキースか、ジョーカーのような。

「お目当てのモノはあった?」

「いや、なにも。だから両手が空なんだ」

「たしかにね」

 言って、八坂は見せかけの笑みを浮かべた。妄想のタバコをレジスターでもみ消す。

「ねえ、わたし昼には来ると思った」

「なにが?」

「あなたから、なにがしかのメッセージが。昔付き合っていた男が言ったのよ。『六時間以内ルールだ』って。連絡先を交換したら、遅くとも六時間以内にはメッセージがくるっていうルール。だから、だいたい十二時くらいにはなにがしかの連絡が来ると思った」

「残念、ハズレたね」

「ほんと。ハズレたのはあなたが初めて」

「そう。僕以外にそういう関係になった相手が?」

「そりゃ、男友達の一人や二人ぐらいはいたし、ボーイフレンドもかつてにはいたわ。でmまあ、こっちに越してきてからは一人ぼっちだけど。わたしね、まだこの街に来てから、一ヶ月も経ってないの。だからあなた以外に友達もいないわけ」

「ここの同僚とかは?」

「ダメね。音楽の趣味が合わないから」

 八坂はそう言って、ポケットに突っ込んだカセット・ウォークマンを見せてくれた。相当大事なものなのか、バイト中まで持ち歩いてた。

「だって君はそれしか聴かないんだろう?」

「うん。だから、誰とも趣味が合わない」

 彼女はそう言って笑ったけど、その笑いもほかの笑みと同様、嘘っぱちの絵筆で顔に塗ったくったみたいな感じがした。笑ってるんだけど、その笑いは本心ではなくて。むしろ彼女は自分自身のことをせせら笑っているみたいな。そんな乾いた感じがしたし。実際、彼女の笑い声は枯れたハスキーな引き笑いだった。

「実はさ、昼すぎに送るつもりだった」

「なにを?」

「なにがしかのメッセージを、君に。でも、友人から別の連絡が来てね。結局、そっちに付き合ってたら時間がなくなってた」

「そう。どんな友人からの連絡?」

「バンド仲間だ。週末に集まれないかって、そういう連絡だった。新曲を作りたいんだってさ」

「へえ。そういえば君ってバンドマンだったね。たしかギタリスト」

「そうだよ。売れないアマチュアバンドだけど。でも、いつかここにレコードを置いてもらえる日が来るかもしれない」

「ふーん。そうだといいわね」

 また彼女は虚空のタバコを掴む。一服してまた紫煙を僕に吐きかけ。そして八坂はつぶやいた。

「ねえ、わたしそれ見に行ってもいい?」 

「見に行って良いって? 何を?」

「その練習よ。ねえ、わたし前に言ったよね『探してる』って」

「その曲に代わる音楽を探してる、だっけ?」

 僕は彼女のジーンズのポケットを指さした。正確には、そのポケットに突っ込まれたウォークマンを。

「うん。わたしね、見てみたいのよ。『なにかが生まれる瞬間』っていうのを。それは音楽にせよ、絵にしろ、芸術や創作物ならなんでも。そういうのを作る時ってどういう気分なんだろうって、思ってるの。でね、もしそれがわかったら、このテープをくれた彼がどんな苦労をして、どんな思いでわたしにこれをくれたんだろうとか。そういうことも全部わかるかなって。あいつへの思いもわりとスッキリするかなって。ちょっとそう思った。思いつきだけど」

「わかるかもって……。付き合ってたんだろ、君とその彼は? 直接聞けばよかったじゃないか。彼のバンドは見に行かなかったのか?」

「行かなかったわ。お高く止まってたのよ、その当時のわたしって。それに……そうね、なんていうかさ。わたしと彼は付き合っていたっていうか――少なくともわたしはそう思ってたけど――でも、彼がどうだかはわからないの。いま思えば、わたしって遊ばれてたのかもしれない。わたしにとって彼はボーイフレンドだったけれど、彼にとっては都合のいいセックスフレンドだったのかもね」

「クソ野郎だな、そいつ」

「うん。クソ野郎だし、わたしもクソ野郎だった。だからこそね、わたしは知りたいのよ」

「バンドマンのクソ野郎が普段どんな思いで曲を作って、それを他人に送っているのかを?」

「うん、そういうこと。それにいい気分転換になるかもと思ってさ。ねえ、ダメかしら?」

「ダメって言うか……僕はいいけど、ウチのバンドのリーダーは僕じゃないから。聞いてみるよ」

「よし。じゃあ決まりね。週末の夕方ならシフト空いてるから」

「わかった。じゃあ聞いておくから、また連絡するよ」

 そのときまた携帯がポケットの中で震えた。何度も激しく脈動せず、一度だけの振動だった。きっと郁だろうと、僕にはわかった。

「ごめん、もう行くよ。冷やかしの客が長居しちゃまずいからな。また連絡する」

「ええ。『六時間以内ルール』よ」

「わかったよ。今度は六時間以内に連絡する。じゃあ」

 そんな歯切れの悪い挨拶をして、僕は店を出た。八坂が背中に手を振ってくれている。僕はそれに罰の悪さを感じて、郁にメッセージを送った。

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