3

 閉館までの業務中、スマートフォンは腰の上で何度もバイブレーションを響かせた。あとで数えてみたが、三時間のうちに約十五回は鳴っていた。そのうち十回は悟のしょうもない長文で、うち二回がロクでもないアプリの通知。残りの三つは郁からだった。

〈仕事終わっていま帰ってる。薫くんは何時ぐらいになりそう?〉

 最後に変顔をした犬のスタンプでメッセージは締められていた。目がぎょろっとしたその犬のスタンプは、最近の郁のお気に入りだった。

〈僕も今帰るところ〉

 僕は「お先です」と図書館のバックヤードを出て、いつもの公園を抜けた。県立コンサートホールの横を抜ければ、あとは銀杏並木を一直線。最寄りの駅まで続いている。

 銀杏が匂い立つ道を歩きながら、僕はスマートフォンの画面に目を落とした。

〈了解。私いま駅まで着いたから、先に買い出し行って、ウチで待ってるね〉

〈わかった。急いで帰るよ〉

 僕はそれだけ書いて送ると、できるだけ息をしないよう足早に並木道を駆け抜けた。


     *


 三十分に一回しか通らない列車は、地方鉄道のお決まりだ。僕がかつて東京にいたころには、時刻表にあわせて行動するなんてことは考えられなかった。駅に行けば電車があったし、どこへでも連れて行ってくれた。

 だけど、この街にそんな列車はない。最寄り駅に着いたころには、職場を出てもう一時間近くが経過していた。

 空は淀み始め、雨を予感させていた。駅のコンコースを出ると、街中が生乾きの洗濯物みたいな匂いをしていた。

 駅前の広場からアパートまでは、アーケードの商店街を突き抜けていくと早い。夕方に通ると、キャバクラや居酒屋のキャッチがうるさいけれど。でもイヤホンをしていれば彼らも声をかけてこないし、何より雨も当たらないので楽だ。

 僕はイヤフォン越しにナンバーガールの『水色革命』を聴いていた。そして聞きながら、悟への返信をどうしようかと考えていた。別にあいつへの返信なんてどうでもいいし、なんなら「うん」とか「へえ」とかそれだけでもよかったんだけれど。僕は「そう」の二文字を入力したまま、送信せずにいた。そのままの入力画面を見ながら、アーケードをほっつき歩いた。

 そうしてアーケードの端まで来て、住宅街へと続く道へと差し掛かろうとしたときだ。

 僕は、おもわず目があってしまった。

 彼女と。

 アーケードの端に佇むレコード屋の、その雑然とした棚とレジスターの奥に立つ、ひときわ輝く彼女の姿に。

 レコード屋の奥には、あの日のように八坂未彩が立っていた。顔中に気だるそうな雰囲気を塗りたくって。


 ――ごめん、郁。


 僕は気がつくと、店の中に足を踏み入れていた。

 別に何かほしい物があったわけじゃない。かといって、理由がなかったわけでもない。僕は八坂に会いたかったんだ。たぶん、そうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る