8
僕らは二人で会計を済ませて店を出た。時刻は午前一時前で、携帯に郁からの連絡はなかった。十時過ぎに一度「今日は遅くなりそう」って連絡が来たきりだった。
「近くまで送るよ」
僕は携帯をポケットにしまいながら言った。この言葉が下心抜きの完全な優しさの言葉かと言ったら、僕はイエスとは答えられないけれど。
「いいわよ。家から近いし。歩いて一〇分とないの」
「でも八坂、君はひどく酔ってる」
「ええ、よくもわかってる。だって君の声が揺れて聞こえるもの。ほら、昔のバンドのステレオ盤みたいに」
「ビートルズ」
「そう。だから、わかってるけれど。まあでも、途中までならついてきてもいいけど」
「途中ってどこまで?」
「あのコンビニまで。タバコ、切れてるから。いつまでもハイライトをもらうわけにはいかないし。かといってわたしは禁煙できるほど我慢強い人間ではないから」
「わかった。じゃあ僕もハイライトを買いについていくよ」
「じゃあ、決まりね」
僕らの言うコンビニがどこを指すかと言ったら、もちろんあのタバコの品ぞろえが良い店に決まっていた。僕の隠れ家たるバーからは、歩いて五分ほどだった。
僕らはコンビニに入ると、二人そろって壁を眺め、自らの銘柄の番号を探した。この店で幾度となくハイライト・メンソールを買っているはずなのに、未だに番号を覚えられない。これはそう決まりになっているのだと思う。
そうしてやる気のない大学生のようなバイトに、ハイライト・メンソールとチェ・ブラックとを頼んだ。支払いはお互いに分けて、ついでに酔い醒ましに熱い缶コーヒーも買った。
灰皿の近くに寄って一服するのも、また決まりみたいなものだった。僕らはそこで缶を開くと、お互いのタバコの封を切り、優しく火をつけた。彼女はオイルライターで、僕はマッチで。
「なんでマッチで吸うの?」
「昔好きだった女性がそうしてたんだ」
「女々しいのね、森島君って」
「そういう八坂は男らしすぎる」
「かもね」
チェの火先がパチパチと燃えさかる。彼女の吸い方は強引で、クールスモーキングなんて考えてないようにすら見えた。ただ燃された葉を吸い込めればなんでもいいみたいな、そんな気がした。
「でもそういうところ、わたしはキライじゃないかも。ねえ、散歩しない?」
「散歩って、いまから?」
「そう。酔い醒ましに夜風に当たりたいのよ。それに、わたしここに越してきてまだ一ヶ月も経ってないの。すこし紹介してよ」
「いいけれど、明日の仕事は?」
「どうせ遅番よ。君は?」
「休みだ」
「じゃあ良いじゃない」
八坂は吸いさしのタバコを灰皿にねじ込むと、とたとたと駆けだした。真っ黒い厚底のブーツがアスファルトを叩く。
僕はため息がごとく紫煙を吐き出すと、揺れる彼女の赤髪を追うことにした。
そうは言っても、この住宅街に案内できるところなどろくに存在しない。僕の生活といえば、職場である図書館と、アパートと、それからレコードやと谷さんのバーの、ほとんどその四つで構成されている。そして八坂は、もうそのうちの二つを知っていた。
悩んだあげく、僕は八坂を夜の散歩コースに案内することにした。コンビニの近くにある噴水公園のことだ。夜更け、コウモリたちが慌ただしく集まるそこである。
噴水前のベンチに座ると、僕と八坂は二人でタバコを吸った。本当は全面禁煙なのだけれど、今は深夜の一時過ぎ。誰も見ているはずがなかった。目の前の噴水が、誰も見てないのを良いことに寝静まっているのと同じように。
「ここにはよく来るの?」
「たまにね」
僕は吸い終えたハイライトを携帯灰皿に捨てた。百均で買った安物で、中からはタバコが水に浸ったのいやな匂いがした。
「いい場所ね。悪くない。わたしもたまに来ようかしら」
「いいと思うよ。暇があったら、昼間に来てごらんよ。その噴水のところ、大きなサックスの形をしたオブジェがあるだろう? あそこから水が吹き出すんだ」
「なにそれ。変なの」
「うん、僕もそう思うよ」
「変よね、ほんと」
チェが燃え尽きる。八坂は僕の方をチラチラ見た。携帯灰皿がほしかったんだろう。僕は差し出すと、彼女は小さく喘ぐようにうなずき、そこへ吸い殻を押し込んだ。
「ねえ」
すとん、と彼女が小さな体を持ち上げる。赤い髪が噴水のように噴き上がった。
「わたしの家、このすぐ近くなんだけど」
「うん」
「歩いて五分なんだけど」
「そう」
「来るわよね」
「ああ」
「明日休みだし」
「うん」
――行くよ。
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