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「なに、二人は知り合い?」

 マスターは二人分のレディ・スターダストを作りながら問うた。

 僕の隣には、自然と八坂未彩が座っていた。甘ったるい香水の匂いと、真っ赤なウルフヘアがシャンプーの香りを振り乱しながら。

「まあ、知り合いと言えば知り合いというか。店員と客というか」

 僕はカクテルを受け取り、もう一つを彼女に渡す。満足げにグラスを手に取ると、彼女はそれを静かに持ち上げた。

「ねえ、森島くん。乾杯しようよ」

「何に?」

「偶然にもこうしてまた遭遇したことに」

「偶然というか、ただ生活圏が限りなく近かったんだろうけど」

「そうとも言うかもね。でも、乾杯しましょうよ」

 言われて、僕は彼女とグラスを交わした。ホワイトレディのような白濁の中に、ベリーで一条の赤い軌跡を記したカクテル――レディ・スターダストは、いつ見てもデヴィッド・ボウイのその曲にふさわしい出来映えだった。

「それで。聴くんですよね、それ。このあいだ買っていったやつ」

「ああ。僕はレコードプレーヤーを持ってないからね。いつもここでだけ聴くことにしているんだ。ここなら機材も良いし、好きな曲を聴きながら好きな酒が飲めるし。誰の邪魔もされない」

 三組のレコードから、僕はスロウダイヴを取り上げた。少し年季の入ったケースのなかからは、古本のような甘い匂いがした。

「じゃあ、マスター。お願いします」

「はいよ。今日はあんまりハードなヤツじゃないよね? まだお客さんいるから」

「大丈夫ですよ。シューゲイザーでも、もうちょっとドリームポップとかアンビエントよりなんで」

「ならよかった。じゃあ、拝借するよ」

 ひょいと持ち上げられた円盤は、そのままターンテーブルに着地。針がゆっくりと移動し、その先端が曲の始まりに添えられる。回転運動が始まると、スピーカーに溝をなぞる音が聞こえ始めた。

「なんか不思議。プレーヤーもないのにレコード買うなんて。プレーヤーほしいとか思わないんです?」

 と、八坂未彩がタバコに火をつけながら言った。

「思うよ」

「じゃあ買ってください。できればウチの店で」

「考えとく。でもね、ここに来る購買意欲がどうこかに行ってしまうんだ。……ほら、始まる」

 一曲目、アリソンがAのメジャー7thから始まった。


 僕らは二人で一つの灰皿を共有し、タバコを吸いながら、スロウダイヴを聴いた。そして聴きながら、僕らはたくさんのどうでもいい話をした。出身がどことか、何歳かとか、そういう当たり障りのない話から、仕事の話まで。お互いに年が一歳差とわかると、口調も砕けたし、敬語もどこかに吹き飛んでいた。

「わたしね、何もかも長続きした試しがないの」

 八坂がそう切り出したとき、スロウダイヴはWhen the sun hitsを歌いだし、手元にあるチェ・ゲバラは残すこと五本になっていた。

「学校も、仕事も、恋人も、生活も、何もかも。行きつけの店もないの。ここへも先月引っ越してきたばかり」

「そう。それじゃあここにはどうして来たの?」

「店長の紹介。あそこの店長、ここのマスターと仲良いらしいじゃない」

「ああ、たしかに」

 そう言えば、と僕も思い出す。

 昔マスターから、彼の青年時代の話を聞いた。当時彼はレストランバーの厨房で働いていて、片手間でバンドをしていたと言っていた。まもなくバンドは解散したというが、メンバーたちは散り散りになりつつも音楽に関わり続けていたという。マスターがこういう店を持ったように、ライブハウスを経営したり、レコード屋を切り盛りしたり。そういう形で己の夢の残滓にすがりついているのだと、彼は物憂げに語ってくれた。

「だからわたし、常連っていうのに憧れるの。なにかに深くつながれるのって、素敵だなって思うのよ。でも、わたしには無理。いまの仕事もそう長く続く気がしてない。音楽は好きなのだけど、長く好きでいられる自信がないのね……ああ、でもこの曲は嫌いじゃない。好きでもないけれど」

「深くつながれない、ね。ちなみに今の仕事は何個目?」

「数えてない。数えたら、キリがないから。ちなみに前は服屋にいたわ。でも、服装の規定がうるさくてやめた。他人に好きなファッションを提供する側の人間が、がんじがらめの格好しかできないのって、すごい滑稽だと思ってね」

「いまのその派手な髪型は、その反動?」

「かもね。わたし、こうしてスタイルを変えるのがすごい好きなの。昨日までの自分とはまったくの別人になれる気がして。……うん、それも思えば長続きしないわね。わたし、一昨年まではショートカットだったのよ。ショートボブ。頑張って伸ばして、今年やっとウルフになれた。だけどそのうち全部切ってしまう気がする」

「次やるならどんな髪型が良い?」

「そうね。いっそ坊主にしたらおもしろいかしら」

「なんだそれ。まるで村上春樹の小説みたいだ」

「それ知ってる。『ノルウェイの森』でしょ? わたし、活字を読むのはキライなんだけど。それだけは読んだわ。男の人って、ああいう女性が好きなんでしょ?」

「僕は小林緑が好きだった」

「男の人はみんなそう言うよね。エヴァンゲリオンだと惣流アスカが好きなタイプでしょ?」

「バレた?」

「バレバレ」

 八坂はそう言うと、タバコをぐっと吸った。

「なんか不思議。まだ出会って数日なのに、昔からの友人みたいな気がする」

「そう? 趣味が似ているとは思うけど。それは言い過ぎだろう」

 レディ・スターダストの最後の一滴を喉奥へ。アルコールの強い痺れを舌の上に感じながら、それとはまた別種の痛みを僕が感じていた。

 八坂未彩。彼女が自分の一部のように思えていた。八坂が僕のことをそう言ったように。僕の感性や、考え、それらすべてを見透かしているような彼女の言動に、僕は心をくすぐられる思いになっていた。と同時、それが郁に対する背信行為にも思えて。僕はたまらなく自分を罰したくなり、タバコを吸った。

 そして、スロウダイヴがすべての曲を歌い終え、ホワイトノイズだけが店に響きわたった。

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