2
僕と郁は、なんだかズレているようで、それでいてちゃんと噛み合っている。凸と凹がお互いをつき合わせてきれいな正方形を作るみたいに。
たとえば僕は食べるのが早い。生まれつきのせっかちな性格のせいだと思う。一方で郁はすごい小食で、しかもゆっくり食べる。だから僕らは一緒に「いただきます」をして食べ始めると、食べるペースはぜんぜん違うのだけれど、なんだかんだで「ごちそうさま」と「お粗末様」で帳尻が合ってしまう。そういう不思議なバランス感覚がある。
今日も例に漏れずそうで、僕がちょうどトマトスープを飲み終えたタイミングで、郁も白米を食べ終えた。そして二人で「ごちそうさま」と「お粗末様」をした。
日々のルーチンワークは知らぬ間に終わっていくもので。郁が風呂に入ってから、僕がシャワーを浴びにいく。彼女は長風呂だし、僕はカラスの行水だから。そうやっているほうがちょうどいいのだ。
そうして二人湯船に浸かってホカホカになったら、床に布団を敷いて寝るのだ。
「いい加減ベッドを買わない?」
と、僕は何度も言っているのだけど。郁がそれを許してくれない。彼女は床で寝るのが好きなのだ。だからカーペットの上に二人分の敷き布団を用意して、その上に寝転がる。それがいつものルーチンワーク。
「ねえ、私が寝坊したら起こしてよね」
郁はいつもそう言いながら、スマートフォンのアラームをチェックする。彼女は必要以上に心配性だから。いつもちゃんと起きてるのに、毎日そう僕に聞くのだ。なんていうか郁は、『朝七時に起きて、シャワーを浴びて、顔を洗ってメイクして、ご飯を作って、着替えて、その日できうる最高の自分になって出て行かないと、気が済まないタイプ』なんだと思う。一方で僕は、多少の無精髭が生えてても気にしないし、シャツにシワが寄ってたって適当に伸ばせばいいと思っている。
「いいけど。僕が郁を起こしたことあったか?」
「ないね、一度も」
「いやいや、一度はあったよ」
「いつ?」
「半年前。僕は朝帰りだった。郁が寝坊しかけて、僕がギターをかき鳴らして起こしたんだ」
「ああ、あれね。近所迷惑だったよね、あれ」
彼女はそう言ってクスクス笑った。
「じゃあまた明日ギター弾いて起こしてよ」
「朝帰りならね」
「それは許さない。ちゃんと起きて」
「フリーターのバンドマンくずれにそんなこと言わないでくれよ」
僕は静かに寝返りを打った。早く寝なよ、のサイン。彼女は話すのが好きだから、いつまで経っても話すのを止めない。子供が親に寝物語をせがむみたいなもので。だけど僕はいい加減その休符の打ち方を知っていた。
僕が背を向けると、郁は背骨に顔を埋める。そうして二、三度深呼吸すると、彼女は眠るモードに入ってしまう。そういうルーチンワーク。
「おやすみ。ちゃんんと起きてね」
「うん、おやすみ」
背中に彼女の体温を感じながら、僕は枕元からスマートフォンとイヤフォン手に取った。
郁の体温を感じながら、僕はしばらくネットの海を泳いでいた。
大好きなガールフレンドがすぐそこで可愛らしい寝息を立てているのに、僕が考えることと言えば買いそびれたレコードのことだった。金額を見てあきらめたブッチャーズのことだ。
しばらく僕は中古市場やらネットオークションやらを見回って、あの金額が実はお値打ちなのではないかという結論に至った。というよりも、そういう結論ありきで、証拠を探し回っていたんだと思う。買いたいという思いがあって、それを補強するための論理武装をしてたんだと思う。自分自身に反証を起こすための。
それから僕は郁を起こさないように布団を這い出た。財布と上着だけ羽織って、下は黒のスウェットのまま。サンダルはないから、革靴にそのまま素足を突っ込んだ。
「ごめん、郁。ちょっと出るよ」
彼女がそれを聞いているはずもない。すうすうと寝息を立てる彼女に、僕は死ぬ間際みたいなキスをして、部屋を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます