紅天狗の毒
毒というものは、同時に旨いものだと相場が決まっている。
――多分もう、私は手遅れだ。
◆
毒キノコの一種であるベニテングダケの主要な毒成分、イボテン酸はかの有名なうま味成分、グルタミン酸の形と酷似しているそうだ。
故に人体は”それ”を毒だと認識できずに無抵抗にするりと入り込むのだとも。
「せんぱーい、朝ご飯出来ましたよーう」
「……ああ、何時も有難う後輩」
――そして”それ”は毒であると同時に、うま味成分でもある。
それも、とても甘美な。
「今日の朝ご飯は先輩の大好きなキノコ汁と焼きシャケ、ついでにオムレツですよー、あったかいうちに食べましょうねー」
「ふわあ…わかってるよ後輩…ねむ…」
事実、”それ”はグルタミン酸の約10倍前後のうま味を秘めていると一説にある。
毒であるのに。
いやむしろ、毒であるからこそ旨いのだ。
「はい、準備全部出来てますよ先輩、おはようございますー」
「…ああ、おはよう」
――だからこそ、私はこの
ぼんやりと、そのようなことを思うのだ。
◆
きっかけは、もう覚えていない。
だが何時しか私の世話はすべてこの後輩がしてくれるようになっていた。
大学でも研究ばかりしてよくご飯を食べ忘れたりする私にとっては有り難かった。
気がよく効き。私の世話をしてくれて。体の相性も良い。
私が後輩に溺れるのはそう時間はかからなかった。
気づいてはいたが止めるつもりもなかった。
最早私はこの後輩がサボタージュをしたら普通に死んでしまうだろう。
それぐらいには生命活動のすべてを後輩に投げている自覚はある。
キャッシュカードの番号は教えてある。
家の名義も向こうだ。
研究の手続きとかも須らく任せている。
止めるつもりはない。私はもうとっくにこの毒に
無くなったら死んでもいいと思うぐらいには。
だってこの毒はあまりに美味しすぎるから。
◆
「ただいまぁ…後輩ー、疲れたよー…どうして研究を発表しないとならないのだこの世界は…研究するだけじゃいかんのか…」
帰って即後輩に抱き着く。ぼふん。後輩の胸はふかふかだ…癒される…
「はい、先輩お帰りなさい。ご飯にします?お風呂にします?それとも私ですか?」
そっと私を抱きしめ返しながらよくある新婚さんみたいなことを囁いてくる。毎日こうだけども。
こうして私のグルタミン酸はイボテン酸へと置き換わっていく。
「お風呂に入って、ご飯を食べて、その後ぐだぐだしてから君をいただきたいなー…」
それでいいと思っている。それがいいと思っている。
「はい、わかりました。じゃあお風呂の間にご飯準備しておきますね」
私のすべてが置き換わってしまえばいいと思う。
「うん、後輩のご飯はおいしいからねー…」
――ああ、それはとてもとても素敵な事だと、私は思っている。
◆
「…ん…」
――ふと、目が覚めてしまった。
「……ぷすぴー…ぷすぴー…」
――隣に全裸でぐっすりお休みの先輩が見える。
うん、しっかり食べさせているお陰で肉付きが目に見えて改善している。一安心だ。
――”こう”なりだしたのはいつ頃だったっけ?
静かな夜に寝起きの頭でぼんやりと考える。
――確かあれは、大学のゼミでいきなり空腹で倒れてた先輩を拾った時からだったか。流石に仰天したがそれまでの日常風景だといわれてさらに仰天した。
さら、と先輩の長い髪を撫でる。
「……あの時から、だろうなあ」
あの時から私は、この天才で破天荒で、そして目が離せない先輩を見続けて。
――ついうっかり、世話なんて始めてしまって。
――それが毒だなどと思わず、美味しいからと食べてしまって。
――どんどんと、私に依存していくのが見えるのが可愛くて。
――私が、先輩を好きだったんだと気づくときには、すでに全身に毒が回っていて。
「……全く、本当に、もう」
――ああ、もう私は手遅れだ。
――人類の一人として見てもとても心配になるぐらい際限なく甘えてくる、この
「…本当に、もう」
寝ている先輩に抱き着き、擦り付き、自らこの毒を補充する。
止めるつもりはない。私はもうとっくにこの毒に
無くなったら死んでもいいと思うぐらいには。
だってこの毒はあまりに美味しすぎるから。
気づいた時には、とっくに私の全部が置き換わっていたのだから。
◆
「ふあああ…あれ、珍しい…後輩まだ寝てる」
「…すー…すー…」
「…………後輩、ぽかぽかあったか…眠気の再来…二度寝、よう…………」
毒は旨い。
毒は美味しい。
皆様方は、ご注意を。
――食べたいのならばご自由に。
きっと甘美な世界が見えることでしょう。
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