君は宇宙人
「まるでお人形さんみたいだね」
よく言われることだ。
「綺麗だよ」
よく言われることだ。
「いつも顔色を変えないよね」
よく言われることだ。
「ねえ、笑ってみて」
私は、笑えているだろうか?
◆◆◆
初めてそれを自覚したのは、小学校のクラス対抗合唱コンクールでのことだった。
それは学校の催しといえど大変に力が入っており、3カ月前には練習が始まるとくればその熱気は大変なものとなるのだった。
当時のクラスでもやる気がない男子と女子の諍いがあり、多少のドラマを経て最終的にはクラス全体が一丸となって臨んだものの、残念ながらクラス代表が表彰台に上ることはなかった。
その時のクラスの落ち込み用と言えば大変なものであり、女子が泣きだし男子も一様に肩を落としている葬式のような空気だったが、その様子をしげしげと眺めていた私に同級生が「悲しくないの?」と声を掛けたのが気付きの切っ掛けであることは良く覚えている。
私はこの報告に衝撃を受けた。その時まで周りが悲しそうな顔をしているならば自分も自動的に悲しそうな顔になると思っていたのだから当然だろう。次いでその言葉に誘発されたように、クラスメイトの間からお前は感情表現を見せたことがないと言われたことが再びの衝撃として襲い掛かった。
悲しいというものがどういったものか、自分がこれまでさっぱりと分かっていなかったことが初めて判明したのだ。私はそれなりにコンクールに対して熱を入れていたが敗北してもさして傷つきもしなかったが、悲しいという感情はもっと複雑なものであるらしいという常識を突き付けられた私は狼狽した。
悪い流れであることは明白であった、クラスはコンクールの敗北の原因を求めていた。例えそれが無辜の罪人であったとしても、何かの欠点があれば吊るし上げて酷く打ち据える残虐さを子供は有しているからだ。
私は慌てて弁解した、「とても悲しい」「あまりにも悲しくて落ち込んでいたからきっと悲しくないと思われていたのだろう」「誤解しないで欲しい、私もあなた達と同じ感情を持っている」と取り繕えばどうにかその場は収まったものの、私の心の中に残ったのは悲しみではなく焦燥であった。
周りの人間との間に存在する、溝。
いずれまた同じことが起こった際、私は取り繕う自信がなかった。
◆◆◆
だから学ぶことにしたのだ。
どういった時に人は悲しむのか、どういった時に人は怒るのか。
一つ、一つ
例えば、誰かが死んだときは悲しむということ。
一つ、一つ
例えば、目的が達成できない時は苦しむということ。
一つ、一つ
バカにされたり、無視されると怒りを覚えるということ。
一つ、一つ
覚えていった、学んでいった。
オーバーリアクションすぎるとわざとらしく感じられること。
期待されている感情表現と別の表情をした場合、無表情であることより不信感を抱かれやすいこと。
小学生を越え、中学生になる頃には、私は感情表現が苦手という言い訳を思いついていた。外面を良くすればその欠点すらも好意的に感じられることも含めて。
けれど、私は。
人がどんな時に笑うのかだけは分からなかった。
◆◆◆
高校は近所を選んだ、もっと高いところも狙えば当然行けただろうが、通学時間と家計への負担を考えると最も適当な選択肢であることは言うまでもないからだ。進学校に行った同級生もいるが、だからといって良い大学に行けるとは限らない、難関校に合格して喜ぶクラスメートに微笑みながら拍手すればなぜか赤面されたが、その理由はさっぱりと分からない。
新しい生活、新しい学び舎、入学式の体育館の中で周りの空気は浮足立っているように思ったが、私は何も思うことはなかった。新入生の挨拶をそつなく済ませてから入学式を終わらせれば周りに軽い人だかりが出来たが、もうその頃になると私は違和感なく周りと空気を合わせられるようになっていた。
私は安心していた、高校生としての生活も何事もなく終わるだろう。
そいつに話しかけられるまで、私はそう思っていた。
新しい教室に入れば各々適当な席に座って話をしていたので、適当に窓の傍の椅子に座って外を見ていると、桜の舞うロータリーがある。特に美しいとは思わなかったが、春の陽光は私の睡魔を誘うには十分だった。
うつらうつらとしていたせいで、自分の胸が揉まれていることに気付くのに僅かな時間を要した。
「うぉ、でっけぇ……」
反射的に肘鉄を決めれば見事に変質者の鳩尾を捕らえたらしく、悶絶し始める。それが男子であったならば私は社会常識に従って警察に突き出すことも検討したのだが、生憎女性であった。私の知る限り同性間でのセクハラ行為はあまり問題にはならないのだ、これは不思議なことだが、やはりそれも社会常識という事なのだろう。
冷めた瞳で見やれば立ち上がったその同級生は手を合わせて、悪びれてない顔で謝ってくるのだ。恥知らずという事か、懲りないという事か、ともかくこの時点で私は彼女のことをあまり宜しくない類の人間にカテゴライズしたのだ。
「なにか」
そう聞けば彼女はこれまた無遠慮に私の後ろの席に座り、私の方をじっと見てくる。私は自分の胸を揉まれることに恥ずかしいと思ったことはないが、見つめられるということに対しては嫌悪感に似た感情を覚える。
まるで、それは自分が他の人と違うことを見透かされているような気がするのだ。取り繕っても取り繕えない隙を見定められているような気がして、どうしようもなく胸がざわつく。不安になる、それは感情の動きというよりは、リスクを排除しておきたい投資家の心理に似ていた。
「笑ってみてよ」
その上でのこの発言は、私の中でこの無遠慮かつデリカシーのない同級生に対する評価を一段階下げることに繋がった。経験上、こういった類は無理に引き離すとついてくる、ならばその通りにしてやって、満足するまで満たしてやるほかはない。生産性のない行為ではあるが、それで満足するならばと私はいつもそうするように微笑んでやった。
◆◆◆
初対面こそそんな調子の彼女であったが、クラス内での評価は大変宜しいものだった。
リーダーシップは抜群、朗らかでカリスマ性があり、頭の回転はそこそこだが運動神経は抜群。人に好かれる要素しかないような女だった、クラスの中で彼女は一定の地位をすぐに獲得したことは喜ばしいことだった。なにせ取り巻きが居れば行動しにくくなる、私はなるべく彼女と関わり合いになりたくなかったから、別のグループでも作ってそこで仲良くやるつもりだった。
なにせ女子グループというのは一旦出来てしまえばそれに縛られがちで、お互いの間には隔たりが出来るもの。表面上は仲良くしていてもあまり深くは関わらないようになる、私にとっては実に理想的なものだ。
しかし、それがどれだけ完璧な計画であったとしても。それは実行に移されなければ全くもって意味がない机上の空論に過ぎず、意味がない。
彼女が私を半分強引に自分のグループに組み込むという暴挙に出たことで、私の理想は砂上の楼閣の如くあっさりと崩されてしまった。
当然私はそうならないように手を尽くした、自分の派閥を作ろうと話しかけ、彼女と距離を置こうとした。しかし、彼女が私に対して毎日毎日飽きもせず真っ先に話しかけてくれば意味がない。既成事実のように周りからは私が彼女の”お気に入り”だと認識されてしまえば動きが取れなくなる。
1カ月経つ頃には、私は彼女と登下校する仲にまで発展してしまったのだ。
意味が分からなかった、誰かに執着されたことはあったがここまで完膚なきまでに潰されてしまうことはなかった。
それでも彼女はクラス内で地位のある人間だから無碍に扱うことはできず、適当に微笑みつつ表面上は仲良くすることを強いられる。下手に関係性が出来てしまうと周りの目がそうなる、私と彼女の仲は非常に良好であり、親友のような立ち位置とみられている。そこに少しの疵が見られたらどうだろう、私の取り繕っていた仮面が剥がされてしまうかもしれない、そればかりが恐怖だった。
「一緒に帰ろうよ」
「ええ」
彼女は私を誘う、飽きもせず、毎日。私はそれに答える、誘われる限り、毎日。
そうして二人一緒に放課後の帰り路を征くけれど、何もしゃべることはない。ただ二人一緒に、歩く。そういえば、友達は毎日こうするというけれど。私はその理由について考えたことも無かった。
それは嬉しいからだろうか、楽しいからだろうか。私は相変わらずなぜ人が笑うのかわからないから、取り繕った笑みを時折浮かべるけれど。その裏ではどうしようもない不安が風船のように膨らんでいた。
怖くて、怖くて、恐ろしくて。
ねえ、あなたは本当は知っているの、私の正体を、私の仮面を。
「ねえ、どうして私と仲良くするの?」
「笑顔が綺麗だからかな」
私は、笑えているだろうか。
笑えているよと言って欲しいのだろうか、私は。
彼女は私の笑顔が好きだと言うだけで、そのことを教えてはくれない。
「ねえ、笑ってみてよ」
私はただ求められるように笑みを浮かべた。
決してこいつに真意が知られないように、曖昧さという仮面を被った。
◇◇◇
その笑顔を向けられた時、私は身震いした。
人に好かれるにはどうすればいいか、私は人に好かれたかったからそれを学んだ。
見てくれを良くすること、笑顔を向けること、馴れ馴れしくしても相手に必要以上に踏み込まないこと。スキンシップを取っても同性ならある程度許されること。私は誰にでも好かれたし、それが好きだった。
特に笑顔を見るのが好きだった、私が笑いかければ照れたり、そうでもなかったり。それはその人のことを映す鏡で。だから教室の窓際で寝ているあの少女を見た時も、笑顔を見たいと思った。
春風に揺られて目を閉じるその顔は、控えめに言ってしまうと心臓を鷲掴みにされるような衝撃を受けた。自分が女性に対してそんな感情を抱くのはおかしいのかもしれないと思ったけれど、窓際で目を閉じるその姿を見て、きっと綺麗な笑顔なんだろうと思った。一目惚れだったのかもしれない、おっぱいを揉んじゃったのはやりすぎたかもしれないけれど、それでもリカバリーは可能だと思っていた。
でも、あの笑顔を見せられたらそんな思いは吹き飛んでしまった。
ひどく歪な笑み。
私が向けられたことのない、怪物の表情。
表面上だけ取り繕って、その下では何を考えているか分からない。
それから私は、なんで彼女がそんな顔をするのか考えた。考えた、考えて、結局分からなかった。翌日も、その次も、彼女は怒ったり悲しむ顔は得意だけど、笑顔になると途端に作り物の笑みを浮かべる。
まるで笑い方が分からない人間が、無理やり他人を真似ているような、そんな笑顔。
一緒に帰りながらも彼女の方を見る、君はいつだって、何を考えているか分からない。分からないから、知りたい。
「ねえ、笑ってみてよ」
彼女はまた、寒気のする笑みを浮かべる。
何も考えていないような、作り物の仮面のような笑みを。
私はあの時からずっと、その奥にいる未知の相手と交信をしようとしていた。
◆◆◆
君は、いったい何者なの?
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