汚濁に塗れた白百合の花咲く

薄煤薄

『つまりは共犯者になることを無理強いする一つの手段』

例えば知らない人が、私の両親を殺したとすれば。

私は大声で泣き叫び、なぜどうしてと糾弾するでしょう。


例えば知っている人が、私の両親を殺したならば。

私は声を押し殺して、故人を偲ぶでしょう。


例えば恋人や友人が、私の両親を殺したならば。

私は膝をついて地面に頭を垂れ、この世が終わってしまえばいいのにと呪うでしょう。



では、両親を殺したのが妹ならば。

私はどうすればいいのでしょうか。



その少女は、敢えて回りくどい言い方をすれば蝶であり花であった。

ぱちりと開いた瞳に整った目鼻立ち、世に言う文学少女を最大限に美化したようなと称せば分かるだろうか。

灰色の教室でも彼女一人がいれば忽ちその部分だけが精緻な絵画のように見えるとは誰の弁であったか、私はさっぱりと覚えていないがそれは万人共通の思考らしい。


そういった極めて優れた容姿を持つ者は性格にせよ習性にせよ頭脳にせよ、大抵の場合何らかの疵のような欠点があるものだ。

しかし、彼女は一緒憎たらしくなる程に欠点という欠点が無かった。成績は優秀、容姿は端麗、頭脳は明晰で性格は温柔、誰にでも分け隔てなく接し、ソツがない。

そこまで来ればもう人気者にならない訳がなく。私が知る限りでは彼女が何かの集団の中にいて目立たない位置に立ったことはなかった筈である。


往々にしてこの世には彼女のような産まれながらの勝利者が存在していて。

そして私は、そんな勝利者の姉であった。


どこか超絶とした妹と違い、姉である私はいたって平々凡々である。

成績は普通、性格は良くも悪くもなく、友達が数人、妹以外には特質することもない。

妹と比べられたことはあったし、割と酷いことを言われたこともあったが、私は妹に対して何一つとして思うところはなかった。

住んでいる世界が違う、見えている景色が違う、だから比べるのは愚かなことだ。私にとって石間浅見は血縁上の妹ではあったがそれ以上の何者でもなく、身も蓋もない言い方をしてしまうと、私は彼女に対してなんら興味を抱いていなかった。


朝は学校へ行き、友人と喋りながら将来に思いを馳せ、部活から帰れば両親と妹が食卓を囲んでいて。寄せては返し、繰り返す日常の中でやがてはそれぞれの進路へと進む、きっと妹は素晴らしい人生を歩むだろうし、私はそこそこの人生を送れればいい。そう望むことは何も間違いはないはずだ、なんと素晴らしい、平凡な人生なのだろうか。



大学受験を控えた、ある冬の日のことだった。


「あ、お帰りお姉ちゃん」


その日、血塗れの妹が帰宅した私を出迎えるまで、私の日常は平凡そのものだったのだ。



知能指数が20違うと、会話が成立しづらくなるという。


「お父さんとお母さんを殺しちゃったの」


だが、血まみれの包丁を持ったまま何ともないとばかりに微笑む妹の言葉が欠片すらも理解できないのは、知性の高さ低さの話ではないことは断言できた。

カーテンを閉め切った家は薄暗く、キッチンの電灯のみがその輪郭を映し出す。

自分の椅子に座ったまま机に突っ伏す父、廊下で倒れている母、その足元にジワリと広がる水溜まり。

キィンと音がするほどに痛い静寂の中で、妹が何かを洗う音だけはやけに鮮明だった。


へたりと床に座り込んだ私に近づいた妹は、赤かった。

右半身を中心としてべっとりと赤黒く、つんとただよう錆びた鉄の匂いが生理的に不快感を示す。


「あなた……」

「ごめんね」


リビング、見慣れた景色の筈なのに、視界に移る死体が私の日常と現在をリンクさせることを拒む。


「殺しちゃった」


妹は、どこか壊れてしまったのだろうか。

でなければ両親を自分の手で殺しておいて、あのような声は出せないだろう。

まるでうっかり茶碗を落として割ってしまったような、あんな声は。

逆光に隠れて、私には彼女の表情が見えない。


「なんで」


そう問えば彼女は目を閉じて、ゆっくりと首を横に振った。

知る必要がないと言わんばかりの反応が、怒りではなく虚無感を呼ぶ。

俯けばフローリングの冷たい床が火照りを取り払い、コチコチと鳴り響く秒針が、その一秒一秒ごとに私を現実へと引き戻す。


妹が、両親を殺した。

自首させないと、でも警察が来たら何もかも台無しになる。

大学受験も、友達との日常も、何もかもが壊れてしまう。

今で積み上げてきたものが崩れて、積み上げようとしていたものがなくなってしまう。

コチコチと鳴り響く秒針が、一秒一秒ごとに私を絶望的な現実へと引き戻す。


狂ってしまいそうで、壊れてしまいそうで。

だから


「お姉ちゃん」

「一緒に埋めよう?」

「お父さんとお母さんを」


優しい声が、まるで天啓のように聞こえたから。

私はそれに頷いて、差し出されたシャベルを手に取った。



ざく ざく ざく ざく


真冬の夜に、私達は二人で穴を掘った。

霜が立って鉄のように固くなった土を無心で掘った。


ざく ざく ざく ざく


人間二人分が入る深い穴を掘って、お父さんとお母さんだったものを埋めた。

土を掛ける時に祈ったかどうかは、覚えていない。

かじかんだ手は破けた血豆に塗れて、私はまるで自分が両親を殺したように思えた。


「家も掃除しないとね」

「うん」

「折角だから模様替えしようよ」

「うん」

「お姉ちゃんってば」


いや、殺したも同然なのだろう。

私はこうして、妹の共犯者になった。

埋めた後で気付いても遅く、傍観者に過ぎなかった私は気付けば妹と同じ位置にまで堕とされていた。


家に帰った私達は血糊を拭いて、ネットで調べた情報を元に証拠を隠した。

あまりにも拙すぎる隠蔽で、その気になればすぐにバレてしまうだろう。

そうなればすべてが終わりだから、そうなる前に自白しようとしたら妹は笑った。


「バラしたら、お姉ちゃんを殺すからね」

「根も葉もないことを言って、お姉ちゃんが差し向けたことにしてやる」

「私の人生を滅茶苦茶にしてでも、お姉ちゃんの人生を滅茶苦茶にしてやる」


楽しそうに、まるで夢に溢れた将来について語る様に。

妹は私に無形の包丁を突き付ける。


「大丈夫だよ、きっと上手くいくって」


妹は私の手を握って囁く、信じたくなるような甘言は藁のようにか細く。

けれども溺れた私は、それを掴んで祈るほか手段が無い。


「大丈夫だよ、お姉ちゃん。私の手を握って」


私は、何かを間違えたのだろうか。

寄せては返し、繰り返す日常の中、けれども日に日に膨らむ破裂寸前の腫瘍を抱えて。


これは、罰なのだろうか。

妹という存在を理解しようとしなかった私の、責任なのだろうか。


「お姉ちゃん」



繰り返される、いつかくる痛みを後回しにして。

歪んだ日常は精神を腐らせて、傷口からは膿が垂れる。

憎悪は正義と同義語で、犯人に対する怒りを噴出させる。


誰が悪いのか、決まっている。

お前だ。

手を差し出す妹を払いのけ、私は包丁を振りかざす。


こいつさえ居なければ私は平凡な日常を送れたのに。

こいつさえ居なければ私は途方もない劣等感に駆られずに済んだのに。

こいつさえ居なければ、こいつさえ居なければ


「お姉ちゃん」


こいつさえ居なければ


「大好きだよ」





こいつが居なければ、私はきっと壊れてしまうから。

私は、藁を手放すことができない。

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