第二幕

 気が付くと俺がいるのはエルシノア王城、会議の間だった。



 大勢が集まっていた。

 叔父と母つまり王と王妃は玉座に並んで座っている。

 重臣のポローニアスやその息子レイアーティーズも立ち並んでいた。

 レイアーティーズはオフィーリアの兄だ。

 オフィーリアはいない。



 この俺はといえば端で壁によりかかり立っている。

 冷たい空気を暖めようとでもいうのか叔父は元気そうに声を張って皆に演説をしている。

 兄である先王が死に、国中が暗く悲しみに沈みそうだが負けてはならない、そのために姉である王妃を妻としたのだなどと語っている。

 立派な王であった父の王座どころか妻まで奪うとは腐りきっていると、俺の中のハムレットが激昂しそうになるのを抑える。



 これはハムレットの序盤シーンだ。

 つまり俺はハムレットの芝居を頭からやり直しているのだ。

 この芝居世界はループしている。



 このシーンでは隣国ノルウェイのフォーティンブラス王子がデンマークを狙っている件の対策が語られるはずなのだが、俺が脚本からフォーティンブラス王子を省略してしまったのでその話はない。



 叔父がレイアーティーズのフランス行きについて語り合っているのを後目に、俺は脳裏に残っている魔女たちのセリフを思い起こしていた。



 幕が上がるとき、最後に魔女が言った言葉。

「最後の幕が下りれば舞台は終わる」

「舞台が終わらなければ幕はまた上がる」



 これはたぶんヒントだ。

 お芝居をきちんと終わらせればきっとこの世界のループから抜け出せるのではないだろうか。



 前回の世界ではオフィーリアと俺が事故で水死してしまった。

 復讐は決着せず、悪の叔父はのうのうと生きている。

 これでは舞台は終わらず、最後の幕が下りないのも当然だ。



 今度こそ芝居のエンディングを迎えてやる。そのためには叔父を倒す。



「どうしたハムレット、暗い顔をして」

 叔父から急に声をかけられて俺は思考を中断される。邪魔な叔父だ。

「ハムレットよ、いつまでも地下の父を慕うのだ。その喪服を脱ぎ捨てよ。生きている者は必ず死ぬ、そして天国で永遠に生きるのだ」

「人は死ぬ、言うまでもないことですな」

 俺は冷たく言う。どうにも叔父を嫌うハムレットの気持ちがにじみ出てしまう。



 王は続けてくる。

「ハムレット、父の死を悼む気持ちはよく分かる。しかし今やお前は我が子、世継ぎの王子なのだ。神学校に戻るなどと言い出されるのも困る」

 表面的にはありがたい言葉だが、俺はこの男から暗殺されかけたのだ。

 裏に抱いている気持ちはただ俺を利用したいだけだろう。

 今は王位を継いだばかりで不安定な時期だから、デンマークにはしっかり世継ぎがいるという体面を一時的に欲しているだけだ。



 母ガートルードも相槌を打ってきた。

「どうかここにいて、ハムレット」

 優しく話しかけてくる。

 母に裏表はない。

 それはそれで困るのだが。

 素直すぎて叔父を疑うことができない。



「そうするつもりです」

 おとなしく俺は母に答える。



 叔父が大声で、

「良いことだ、では宴としようぞ。祝砲を撃て、酒の時間だ」

 叔父は立ち上がり、一同を連れて食事の間へと去っていく。



 俺は寒い部屋に一人残った。腐った叔父の臭いを我慢せずによくなってほっとする。



 今回の世界ではどうするか。

 終わりに向けて全力で進もう。

 復讐を完遂して華々しいエンディングを迎えるのが目標だ。

 そのためにはまず亡霊と会わねばならない。


 会議の間に親友のホレイショーが入ってきた。

「ハムレット様! よくお帰りに」

「ホレイショー! 待っていたぞ。亡霊の話だな」

 ホレイショーはきょとんとした。



「よくご存じで。何を隠そう城壁で真夜中に先王としか思えないお姿の亡霊を見たのです」

「うむ知っている。会いに行こう、今日の真夜中に城壁で落ち合うぞ」

「は、はい」



 話の早さにホレイショーは戸惑っている。

 でも知っている話を繰り返すのは時間の無駄だ。


 そして真夜中になった。

 身を切るような寒風が吹きすさぶ。

 十二時の鐘が響いた。



 城壁上の通路で時を待っていた俺とホレイショーは、物見の高台に青白い亡霊が現れたのを見つけた。

「話してくる」

 俺は亡霊のほうへと直ちに歩き出す。



「ああっ! 危険ですハムレット様、どうぞお止めください」

 気にせず俺は早足に進む。

 慌ててホレイショーは後を追い始めた。

 階段を上がり、亡霊がいる高台に俺はたどり着いた。

 亡霊は立派な甲冑姿、あごには白い髭、偉大だった男の顔。ハムレットの記憶が確かに父の姿だと告げてくる。



 青白い顔で亡霊は話し始めようとした。

 俺はかぶせて話し出す。

「叔父があなたの耳に毒を注いで暗殺したあげく王妃を寝取った。復讐せよ、ただし王妃には手を出すな。分かりました誓います」

 亡霊は言葉に詰まり、しばらくしてからただ「誓え」と言い残して消えた。



 すまない父上。

 いろいろ積もる思いを語りたかっただろうが、知っている話をまた聞かされるのは面倒なんだ。



「殿下、ハムレット様!」

 ホレイショーが追いついてきた。階段を上がってきて白い息を吐いている。



「ホレイショー、確かに父上だったぞ」

「なんと」

 さて、ここが考えどころだ。



 原作のハムレットはホレイショーやその他の誰にも亡霊の語ったことを教えず、知らないふりをするようホレイショーに誓わせる。

 復讐には関わるなということだ。



 この場所この時代、復讐は神の教えに反する行為だったらしい。

 そんなことは自分だけで十分というハムレットの覚悟なのだろう。

 でもそれでいいのだろうか。

 話としては一人で苦悩するハムレットが見せ場なんだろうけど、一人だから復讐が進まない。



 悪は皆で倒せばいいのだ。



 俺はホレイショーに事件の内容を語った。あまりの大胆不敵な悪行にホレイショーの顔も亡霊に負けず劣らず青白くなる。



「そんな、決して許されないことです」

「俺たちで悪を倒そう。剣に誓ってくれるな?」

「誓え!」

 通路の下というよりも地獄の底から響くかのように亡霊の言葉が響く。



「誓います」

 ホレイショーは力強く言った。



「では作戦だ」

 俺とホレイショーは室内に戻ろうと歩き始める。

 ここは寒すぎる。

 「誓え」の言葉が地面の底をついてくるが、俺はもう気にしないことにした。

「誓え!」



 叔父の悪行が本当かどうか確認するために、原作では劇中劇が演じられる。



 寝ている貴族の耳に毒を注ぎ込んで暗殺してから妻を奪うというストーリーだ。

 これを見せつけられて叔父は耐えられなくなり、広間を出ていく。

 この様子にハムレットは亡霊の言ったことが真実だと確信する。



 さて俺はもちろん叔父の有罪を知っているが、この段取りは繰り返す必要がある。


 やってきた旅芝居の一座に俺は言い含めて劇中劇を同じように再現させることにした。



 劇を演じる広間には叔父や母にポローニアスらが集まる。

 ああ、オフィーリアがいる!

 座っている彼女に近づき、思わず抱きしめそうになるのを我慢する。

 ここは人目が多すぎて彼女に迷惑がかかる。



 ループして頭に戻った世界なのだからオフィーリアが生きているのは当然だ。

 でも目の当たりにして俺は泣きそうになった。



 彼女はと言えば不機嫌である。

 彼女からの手紙返却を無視して今回の作戦を進めていたからだろう。

 原作だとハムレットはひどい言葉でオフィーリアをからかい彼女の心を傷つける。

 もちろんそんなことはしない。

 俺はただ謝った。

 彼女も微笑み許してくれたようだった。



 芝居は進み肝心のシーンが演じられる。

 叔父は急に立ち上がり、身体を震わせよろめきながら広間を出ていった。

 狙いどおりだ。

 俺は叔父がたどり着く先を知っている。

 礼拝場所だ。

 そこに先回りして待つことができる。

 しかし原作とは大きく異なるところがある。


 王は礼拝場所に一人で入ってきた。

 足取りはよろめいている。

 叔父は祈祷の台にひざまづき祈り始めた。



 叔父はつぶやいている。

「兄殺し、許されない大罪…… この手は兄の血に塗れている。祈っても天をごまかすことはできない。せめて懺悔しよう、ああ、いつか救いが」

 兄殺しの自白だ。

 誰もいない場所だとて普通はこんなことを口に上らせないだろう。

 しかしここは芝居の世界、内面は口で語られるもの。



 俺はこれを叔父が祈るすぐそばのカーテン奥で聞いていた。

 隣にはホレイショー、母、ポローニアス。全員が聞いた。

 母とポローニアスは叔父の立派な祈りを聞かせてもらうべきだと適当に言いくるめて俺が連れてきていた。

 計算どおりの結果だ。



 耐えられないのか母があえいだ。

 ポローニアスが「ああああ」と呻く。

 叔父がびくりとする。



 俺はカーテンを引き破いた。全員の姿が露わになり叔父と対面する。

 叔父は口をぽかんと開けた。

 全てを聞かれたのだと悟り、開き直ったのか目が据わる。



 俺は前に出て剣を抜き、叔父へと高く掲げた。

 堂々と宣告する。

「殺人者め、罪はもう隠せないぞ。堂々と決闘しろ」



 叔父は立ち上がり、俺をにらみつけ、そして叫んだ。

「警備兵、集まれ! ハムレットが反乱を起こした、わしを殺そうとしている! 急げ!」

 やはりこの叔父は骨の髄まで腐っている。

 決闘する勇気もない。

 しかしこの反応パターンも想定の内だ。



 俺がホレイショーにうながすと彼は母の手を引いて安全な場所へと連れ出していく。

 ポローニアスも動揺して震えながらついていく。

「ポローニアス、オフィーリアも部屋から安全な場所まで連れていくんだ、しっかり守ってくれよ」

 俺は叫ぶ。



 さあ後は俺の仕事だ。

 警備兵たちの足音が近づいてくる。

 叔父は守りを求めて飛び出す。

 剣を背中に投げつけようとして、しかし手が止まった。

 俺が止めたというよりもハムレットが手を動かさなかった。

 必殺のタイミングだったのに惜しい。

 ハムレットはどうしても正しく倒したい思いなのだろう。



 俺は後を追う。

 大廊下に警備兵たちがなだれ込んでくる。

 俺が剣を構えているのを見て彼らはいったんためらった。

 相手が王子であり、そしてその剣の腕前はこの国で一番だからだ。



 王が逃げながら怒鳴って命じる。

「早くハムレットを殺せ、大逆罪だ!」

 警備兵たちはやむを得ずといった様子で剣を抜き、俺に向かって構えた。

 真面目に仕事をしているだけの彼らには悪いが、剣を俺に向けた以上は敵だ。

 やらせてもらう。



 先頭の警備兵が振り下ろしてきた剣を半身でかわし、相手の肩に剣を刺して抜く。

 警備兵は叫び声を上げて倒れた。許せ、致命傷ではない。一人。



 次の警備兵は剣を左右に振り回してくる。

 俺は剣をくるりと回して相手の剣を絡み取り、宙へと飛ばした。

 素手になった警備兵は逃げていく。二人。



 続いては三人の警備兵が槍を構えて横並びに進んでくる。

 これは剣だと分が悪い。

 俺は飛び上がるや槍に飛び乗って駆け、剣を三刺し。

 手を刺された警備兵たちは槍を取り落とした。

 俺は回し蹴りで三人の頭を撫でる。

 俺が着地すると、三人もゆっくりと倒れていった。五人。



 そう、ハムレットは強い。

 劇中では剣の達人であると語られており、レイアーティーズを倒している。

 そしてこの俺ハムレットは主人公なのだ。

 芝居の世界で単なる雑魚にやられるわけがない。

 ここはそういう法則が働く世界だ。きっと。



 俺は切り結びながら進む。

 警備兵たちは続々と集まり続々と倒れていく。

 目の前にロズギルが転び出てきた。

「ハ、ハムレットさまぁ、なんてご無体な」

 俺は剣を高く掲げた。

「相手になるかね」

「と、とんでもない!」

 ロズギルは逃げようとして足が滑り、派手にすっころんだ。

 頭を打ってのびる。

 俺は倒れているロズギルを踏み越えて進む。

 叔父はどこだ。



 外のほうから怒鳴り声と馬のいななきが聞こえた。叔父は馬で逃げようとしている。これもまた想定内。



 廊下を進む。駆けつけてくる警備兵たちの弱さが哀れになってくる。

 俺は剣を右手に鞘を左手に構えた。

 警備兵たちが振り下ろしてくる剣をこちらの剣で弾いて鞘で額を突く。

 彼らは後ろに倒れてそのまま昏倒。



 倒れた警備兵たちでいっぱいの廊下を抜けて外に出る。

 扉の脇には俺のための馬が停めてあった。ホレイショーはやってくれる。



 俺は馬に飛び乗って城門を抜けた。

 先を駆けていく叔父の馬が小さく見える。

 距離がかなり開いてしまった。

 俺は馬に鞭を入れて急ぐ。



 俺自身は馬になんて乗れないのだがそこはハムレット王子だ。

 巧みな手綱さばきで馬を駆けさせる。

 馬は道を猛スピードで走り、先を走る叔父の馬が少しずつ近づいてくる。

 だがまだかなり遠い。

 風を切って進む。



 叔父のさらに先を立派な馬車がゆっくり進んでいるのが見えてきた。

 王族用の馬車だ。

 母とおそらくオフィーリアも乗っているのだろう。

 御者はポローニアスか。

 ホレイショーの馬が並走して守っている。



 叔父がなにか叫んでいる。風に乗って聞こえてきた。

「代わりの馬を寄こせ、代わりに王国をやるぞ、代わりの馬を寄こせ!」

 ホレイショーが答えている。

「いいですとも、代わりに王国はハムレット王子のものです。言った言葉は戻せませんよ」

 ホレイショーが馬をゆっくりと降り、叔父が慌てて飛び乗る。


 駆けさせようとして叔父は愕然とした。

 道を横切るように馬車が置かれ、進路を妨害している。

 そして馬車の中から母とオフィーリアがつらそうに叔父を見つめていた。

 御者席のポローニアスも悲しそうな顔で同様に。



 居たたまれなくなったのか、叔父は道をそれて脇の草原に馬を踏み入れさせた。

 駆けようとするが荒れた土地を馬はうまく走れない。



 俺の馬も草原に踏み入れた。もうすぐ追いつく。



 叔父の馬は草原の奥へと逃げていく。

 だが、みるみるうちに距離は近づいてくる。

 叔父の前方には小川。

 叔父は馬に小川をジャンプさせようとしたが、馬はためらい急ブレーキした。

 叔父はやむを得ず馬を降りる。



 俺は馬を降り、剣を抜いて叔父へと近づく。

 叔父は蒼白な顔で俺をにらみつける。

 追い詰められた叔父に俺の剣が迫る。



「覚悟しろ」

 叔父は俺をののしる。

「この私生児め、誰が貴様を王子にしてやったのだ。お前の親父ではない、この俺様だ。裏切り者めが」



 俺はゆっくりと言い返す。

「裏切り者はお前だクローディアス。父を裏切り母を裏切った。国の信頼を裏切り、民の道徳を腐らせた。裁きの時だ、降伏しろ」



 そのときだった。

「許すな、殺せ!」

 地面の下から叫び声が響き渡る。

「復讐を誓ったな、決意を研ぎ澄ませ!」

 亡霊の声だ。

「殺せ!」

 激情が俺からあふれ出た

 偉大なる父、誰よりも尊敬されていた王、神話の英雄にも比すべき存在。

 その父を殺した者は許しておけない。



 殺す。

 直ちに殺す。

 ハムレットの燃え上がるような怒りが俺の全身を焼く。

 ハムレットは叔父の胸へと剣を突き出した。

 突き出したはずだった。

 剣は叔父から離れた宙を刺す。

 俺は目を疑った。

 激昂のあまりに剣さばきが鈍ったか、叔父が素早く避けたのか。

 どちらも違う。

 ただ俺が見当違いのところを刺したのだ。

 どういうことだ。

 俺は剣を叔父へと振り下ろす。

 まるでずれた方向の空を切る。

 叔父にはかすりもしない。



「なぶるつもりか!」

 叔父が暗い怒りの表情を浮かべる。

 いや、わざとではない。ちゃんとできないだけなんだ。

 そういえば叔父が逃げ出すときに背中へと剣を投げようとしてできなかった。



 ハムレットは人を殺せない男だったのか?

 いやとんでもない、劇中ではポローニアスを軽く殺している。



 そうか、これは復讐だからだ。

 ハムレットはなかなか復讐をできない男なのだ。



 俺はやみくもに剣を無駄振りしながら必死に考える。

 なぜ復讐できないのか。なぜ最後には復讐できたのか。

 劇中では、祈っていた叔父を殺すチャンスが巡ってくるもハムレットは断念する。

 祈り清められた状態の叔父を殺せば天国送りになるからだ。

 一方、そんなことをすれば復讐の罪を犯した自分は地獄落ち。

 叔父こそが地獄に落ちねばならないのに。



 では、ハムレットはどうして最後に復讐を成し遂げられたのか。



 ひとつ、叔父の罪が明らかにされて復讐は皆の正義となった。

 この条件は現状でもさきほどの自白で達成している。



 ひとつ、ハムレットは自分が死にかけてからようやく叔父を倒した。



 そうか、これなのか。

 復讐の罪は万死に値するのだ。

 ハムレットは死の罰をもう受けていたから復讐の罪は清められていた。

 だから復讐に手を染めることができた。



 亡霊がハムレットに求めているのは、神の教えに反しても復讐を成し遂げよとの誓いだ。

 地獄の呪いだ。

 ハムレットはこれに逆らい打ち破ろうとしている。



 俺がただ剣を振り回し続けるのを見て、叔父は小川に飛び込む。

 派手な水しぶきを上げて水に落ちたが、そこは足が着く場所だった。

 叔父は全身ずぶ濡れで立ち上がる。腹まで水に浸かっている。

 川底は泥だ。

 叔父はゆっくりしか動けない。

 向こう岸まで渡ろうと叔父は進む。



「誓えええ!」

 亡霊の叫びが響き渡る。



 俺は訳のわからない叫び声を上げながら小川に飛び込んだ。

 大きな水しぶきがカーテンのように上がる。



 叔父がなにやら叫びながら小さな瓶を振り上げて小川に黒い液体を振りまいた。

 確信した。あれは致命の毒だ。

 毒は小川にすぐ広がる。

 ハムレットはもう助からない。

 死ぬ。

 復讐の条件は満たされた。



 水しぶきの向こうへと剣を刺す。

「ネズミめ、ネズミめ!」

 俺は何度も剣を繰り出す。

 水しぶきの向こうにいる叔父の胸に、腹に、肩に、首に。

 叔父は叫ぶ。笑い声のようにも聞こえる。



 水しぶきが消える。

 叔父は全身から血を吹いて小川へと倒れ沈む。

 小川に血が広がる。

 水草にでも絡まったか、叔父の身体は浮かび上がってこない。



 俺の呼吸が苦しい。

 ここまでに受けた小さな傷口から毒がしみ込んでくる。

 身体が痺れてくる。

 俺はよろけて小川に倒れ込む。



「ハムレット様!」

 ああ、悲痛な叫び声が聞こえる。ポローニアス、ホレイショー、母上、そしてオフィーリア。

 小川に沈んでいく俺の身体を誰かの腕が抱える。細い腕、オフィーリア。



 やめろ、オフィーリア、ここは毒の川



「止めませんハムレット様、私たちは生きるも死ぬのも同じ」

 オフィーリアの熱い涙が小川に波紋を作る。

 彼女はナイフを胸に刺していた。



 俺を抱きかかえたまま水に沈む。

 俺たち二人の身体は水草に絡まれ泥の底へと沈んでいく。

 光も音もなにもかも消えていく。


「終わりは始まり」

「始まりは終わり」

 暗い霧の中を俺はさまよっている。



「始まりの先は終わり」

「終わりの先は始まり」

 霧の中、三人の魔女が歌っている。

 輪になって踊っている。



 魔女は回る。

 芝居も回る。



 なぜだ。

 叔父は倒した。

 どうして終わらないのだ。

 俺とオフィーリアも死んでしまったが、物語はエンディングを迎えたはずだ。



 それともあれは終わりではないのか。



 俺は叫ぶ。

「ハムレットが終わらない!」

 魔女たちが唱和する。

「ハムレットは終わっていない」

 そうか、あれは終わりではないか。

 ……だったらどうすればいい。



「終われば始まる」

「始まれば終わる」

 魔女たちが歌う。



 霧が下から晴れ始める。

 俺は光に包まれていく。

 魔女たちは叫ぶ。



「悲劇には朝日を」

「喜劇には夕日を」

「「「第三幕、開幕!」」」


第三幕に続く。


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