2 冒険者


 教会の中の建物の一つ、外れにある小屋のような扉を開けた先にあったのはファンタジー世界でよく見るような木製の酒場であった。木で作られた机と椅子に、樽を模した片手で持てるサイズのコップに並々と紫色の酒や黄色の酒が注がれている。おそらく香りから察するにワインやエールに似たものだろう。


 一般の会議室ほどの広さはあるここには、まだ昼間だというのに多くの人が集まって酒を呷っていた。どのテーブルも満員だ。そんな多くの人々が入り口に立つ俺ら二人に注目する。


 人々は順番にメア、そして俺の順に目線を寄越す。しかし俺の服装を見て異世界人であることを悟ったのか、なにやら訝し気な反応を寄越した。好奇でも攻撃的でもない……まるで憐れむかのような、悲しみに満ちた目だ。


「メア! こっちこっち!」


 そんな俺の思考を断ち切ったのは酒場の奥の方から聞こえたメアを呼ぶ女性の声。メアもそれに気付くと手を振り返しながらそちらへ近づいていく。


 人を掻き分け進んで先にあったテーブルを囲んでいたのは二人の男女。メアを呼んだ赤い髪をした女性に、お酒で顔を真っ赤にしている黒髪の爽やかそうな男性だ。俺の姿を見た二人であったが、一瞬驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに人懐こそうな笑顔を浮かべた。


「もうーメアったら帰ってくるのが遅いんだから心配してたのよー。でもこの様子を見るとなんとなく状況は察しちゃったわ」


「また人助けしてたのか? 坊主、あんたどうやら異世界人らしいな。しかし生きてここまで帰ってこれるとは運がよかったな!」


 赤い肩までかかるくらいの髪を携えて、魔女のようなローブを羽織った女性と、鎧のような装備を着込んで腰に日本刀サイズの刀を差している黒髪の男が俺に物怖じもせずに話しかけてくる。

 初対面の人がどちらかと言えば得意ではない俺は、目を合わせず、あ、はい、と相槌を打つのが精一杯だった。コミュ障? ほっとけ。


「紹介しますね! こっちの赤い髪の方がマリィで、こっちの鎧を着てる方がロイド! 私たちは今三人でネバラの攻略を進めているんです! この異世界から来た人がシュンさんです!」


「ど、どうも……」


「よろしくねシュン。本当はもともと七人パーティーだったんだけど、もう半分は死んでしまったのよねぇ。だいぶ懐かしい記憶だわ」


 えぇ……。マリィさんがとんでもない発言を何事もなかったかのように呟く。この世界の冒険に慣れた人たちでも簡単に死んでしまうようだ。メアが人智を超えた武器を操っていたものだから勘違いしていたが、やはりネバラは危険なことには変わりないらしい。

 とりあえず座れよ、何か飲むか? と気さくに話しかけてくれるロイドだったが、突然異世界に飛ばされて訳の分からないまま化け物に襲われた俺は、今日一日でどっと疲れてしまったようだ。起きた時からだいぶ良くなったとはいえ、まだ頭は痛いし吐き気もわずかにする。酒なんて飲む気にこれっぽっちもならない。

 

 俺の返答にそうか、とだけ表情を変えずに呟いたロイドだったが、何か思うところがあるのか、遠い目をしたまま言葉を続けた。


「しかし異世界人かぁ、久々に見たな」


「異世界人はやっぱり珍しいんですか? ネバラにはよく異世界人が飛ばされてくるって聞きましたけど」


「メアから聞いたのか? 実際毎月毎月異世界人がネバラに飛ばされてきた痕跡自体は見つかるんだがな、大体見つかるのは骨の状態でだ。それに、運よく生き残れたとしてもほとんどはすぐに死んじまうからなあ」


「え? 異世界人もネバラに冒険にでかけて殺されちゃってるってことですか?」


「え?? メアから何も聞いてないのか?」


 不自然なマリィとロイドの反応に冷や汗が滲む感覚が俺を襲う。なんだ、何かとてつもなく嫌な予感がする。

 ロイドとマリィの責めるような視線を受けて、メアは今から説明しようと思ってたの、と頬を膨らませて言った。


 さて、と。何か真面目な話があると親に呼び出されたかのような威圧感。メアは佇まいを直すと、俺の方に真剣な眼差しを向けた。


「シュンさん、体調に何か変化はありますか? 頭痛や吐き気などです」


「あ、ああ、目覚めたときからはだいぶマシになったけど、今も少し」


「それはネバラから発される瘴気が原因です」


 瘴気……? またゲームでしか聞かない単語が。しかしこの時点でなんとなく話の予想はつき始めてしまう。少なくとも俺にとっていい話ではなさそうだ。


「ネバラからは人体に有害な瘴気が絶えず発されています。上に行けば行くほど濃い瘴気が。それが地上にも漏れ出て、この世界全体を薄らと覆っているんです」


 言い辛いことを言うためか、注文したエールらしき酒をメアが一口呷る。


「この世界で生まれた我々には地上にいる限りは大した影響を与えないのですが、異世界の瘴気に慣れていない人にとっては非常に強力な毒なのでしょう。頭痛などの症状はそのうち納まりますが、地上でただ普通に過ごすだけでも瘴気の毒がじわじわと体を蝕んでいくようです」


 冷や汗が止まらない。


「この世界で、異世界の人が長く生きていくことは不可能なのです。近いうちに、静かに過ごしていても徐々に徐々にネバラの瘴気が身体を蝕んでいきます。例えネバラから遠ざかろうとも、この世界を覆いつくす瘴気から逃れる術はありません。これが異世界人がすぐに死んでしまう理由です」


「それじゃあ……」


「過去に運よくネバラから救出された異世界人も何人もいます。中には果敢にネバラの冒険に加担した人もいましたし、ネバラを恐れて遠い土地で暮らしていくことを決めた人もいます。ただ誰一人、五年と生きることができませんでした。みな、瘴気の毒に犯されてしまっていましたから」


 そんなことが……。

 俺の頭の中で色々な言葉が駆け巡るが、思考を纏めることができないでいた。

 理不尽にも異世界に飛ばされ、化け物に襲われ、運よく助かったと思ったらこの世界の毒で五年も持たずに死ぬ? そんな馬鹿な。そんな……。


「突然こんな話をしてしまって申し訳ありません……」


 しゅん、と落ち込むメアに俺は返答を出すことができずにいた。これがマリィやロイド、他の冒険者が俺のことを見て哀れんだ視線を寄越した理由か。せっかく助かった命だというのに、時を待たずに死んでしまうなんて、そりゃ哀れにも映るだろう。


 ……五年か。

 短い人生だった。まだ現実世界で何も成し遂げちゃいない。それに、あっちの世界にもやるべきことを多く残しすぎてしまった。必死に、三人の顔を見る。余程俺の顔がひどいものだったのだろう。三人は目線を合わせることができずにいた。


「……なにか、何か元の世界へ帰る方法は、ないのか?」


 何気なく呟いた俺の言葉に、メアがさらに言い辛そうな、辛い反応を見せた。


「……一つだけ、可能性があります。地獄を通るよりも遥かに過酷な旅になりますが、一つだけ」

 




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