現代百物語 第19話 見ている
河野章
第1話 現代百物語 第19話 見ている
「これいるよね」
「……」
「ねえ、なにか言ってよ」
「……」
「黙ってられると、余計に怖いから。ねえ」
「……いる……かな?」
「かなって何、かなって!?」
いつものコメダ珈琲で、ガタンと林基明が立ち上がった。テーブルの上で珈琲が踊る。危うくカップから珈琲が溢れるところだ。
「落ち着いて、林くん!」
しーっと谷本新也(アラヤ)は林に指示する。店内がざわりとこちらに注目するのがわかった。
「だって、いるんだろ?その人!僕の後ろに……っ」
声のトーンを落とし、けれど彼にしては珍しくキレ気味に林は新也に迫る。
日曜の穏やかな午後だった。春先の陽光も店内に届いており、ポカポカと温かい。
けれど、林の周囲だけがどんよりと暗かった。
本人が落ち込んでいるせいもある。
けれど、彼の周囲だけ、ひやりと冷たい空気が流れているのも本当だった。
新也はしょうがなく声を潜めて、見えるままを言った。
「いるよ。……若い女性、で片目が潰れてる。もう片方の目で食い入るように林くんを見てる……かな」
社会人らしく制服姿の彼女の手が、林の肩に爪を食い込ませておぶさる形になっていることは敢えて言わないままにしておく。新也はため息をついて聞いた。
「どこで拾ってきちゃったの?」
「……携帯ショップ」
林もため息をついた。
先週、機種変をしようと林は携帯ショップへ行ったらしい。
白い看板に灰色のロゴの某店だ。
そこで、嫌に目に着く店員がいたらしい。
制服は古く擦り切れて肘の辺りや裾がボロボロ。奥の事務所付近を出たり入ったりを繰り返していたかと思うと、次には店外へ客の見送りに出る、と忙しそうだった。
林が、その女性を更に変だと思ったのは、彼女がカウンター奥のキャビネットの引き出しを開けた時だった。
キャビネットは腰くらいの高さで、2段の引き出しだった。
一番上の引き出しを開けた彼女が、そこへ、何でも無いようにスッと片足を入れた。
「え?」
林は思わず声を上げた。
女性の足の角度がまずおかしかった。
そして、その不自然な姿勢のまま、スルスルと彼女は引き出しの中に入っていく。勿論入れるはずのない体積だ。
しかし無理やり体を詰め込んでいく彼女が最後に片足を引き入れると、キャビネットの中でカタンっと、彼女のパンプスが引き出しの底にあたった音がした。
それからである、ずんと林の肩が重くなった。
そして、視線を感じ始めた。
店から出るときの、柱の影。乗った車のサイドミラー。家にいても背後や横から視線を感じる。じっとしているとその視線がすぐ近くまで寄ってくるのがわかる。
「冷たい息遣いも感じるんだ……」
林は新也の前で語り終わると頭を抱えた。
それはそうだろうと新也は思う。
彼女は林の肩越しに林の頬に鼻先を付けんばかりに近い位置で食い入るように林を見ている。どうしても視線を合わせたいようだった。
しかし、林は目を合わせない。
ある意味上手いこと視線から逃げている。無意識のようだった。
「どうしよう……何で僕なんだろ」
林は泣き言を言って、机の上に突っ伏した。彼女も林に合わせて被さる形で動く。
新也は迷っていた。そして結局ちょいちょい、と林をつついた。
「これ、確信はないし、言って良いのか迷うんですけど……」
「何?」
林が半泣きの顔で顔を上げる。
「多分、林くん……中途半端に見える人なんじゃないかと思うんですよ」
「え?」
だから、と自身のスマホを取り出してとある人物の履歴を探し、通話ボタンを押す。
「ある意味、もっと力のある人に押し付けたら良いと思います」
林が答えるよりも前に、電話相手が出た。
『もしもし?新也か?』
2人の先輩の藤崎柊輔の声だった。
どうした、という声を聞いて、林の方へと新也はスマホを押し付ける。
「なにか喋って」
小声で林に指示する。電話口からは『新也ぁ?』という藤崎の間の抜けた呼びかけの声がする。
林は新也のスマホを手に取り両手で握った。そしてがばっと頭を下げる。
「先輩すみません!」
『え?』
通話はそれっきり途切れた。
ふっと空気が軽くなる。
2人の間にはコメダ珈琲の店内の喧騒だけが残った。
林が恐る恐ると顔を上げた。
「いなく、なった……?」
「なったね」
新也は平然と珈琲へ手を伸ばした。すっかり冷めてしまっている。林は恐縮したように新也のスマホを返してきた。
「先輩……の方へ行ったんだよね?彼女……」
大丈夫かな、と今更ながら身を震わせる。
新也は頬杖をついてしばし考える
「多分、」
「多分?」
林が聞き返す。
「多分大丈夫だよあの人は。女の人に少々見られるくらいなんてことないでしょ」
慣れてるだろうからと少し笑うと、林もくすっと笑った。
【end】
現代百物語 第19話 見ている 河野章 @konoakira
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