City Illuminated#1



 アウターズリムという街が元はエイジス協会という巨大組織に管轄されていた様に、他の街もまた何かしらの大きな組織によって管理され独自の規範に基づいた自由が発生している。


 次元技術により迷宮化した都市、螺旋街。


 大陸全体が“街”という概念都市、ドゥム。


 世界の果てと繋がった事象都市、ラントカルテ。


 そして、街の中心に光の塔が聳える自由都市、アウターズリム。


 とうの昔に科学は科学でなくなり魔法の域に達し、科学技術そのものが魔法の様に扱われている。街では殺人鬼や得体の知れない者が跋扈し倫理を貪って肥え、世界の根幹には幻想が絡み付いて悪趣味なネオン光で世界を照らし、より鮮やかに混沌の世界を彩っていた。

 

 ◇◇◇


 時刻は昼間。灰色の空越しに薄明かりが射し込む部屋のソファの上で何かが蠢いている。次第に動きは激しさを増していき、唐突に毛布を剥ぎ取って赤髪の少女が飛び起きる。


「あれ、今何時?」


 ぼんやりと呟きながらぼさぼさ頭を掻く仕草をして立ち上がる。上は黒のタンクトップに下は白の下着とシンプル極まった姿であった。


「アカシア。まだ昼前だ」


 向かいに置かれたソファには灰色の髪の男が座り煙草を片手に新聞に目を落としていた。


「ならランチメニューにはありつけますねぇ、ジークさん」


 少女が楽しげに言う事にジークは反応を示さず、新聞を凝視し続けている。


 ジークの手にある新聞は螺旋街で発行されている『スパイラルウェーブ』という名前とは裏腹に酷く閉鎖的な内容ばかりのゴシップ誌とそう変わらない代物。

 そんなものを読むのは螺旋街の中でも底辺に分類される請負人くらいであるが、ジークは彼らが求める様な嘘くさい怪談話じみた怪物の話や、街の政治情勢にまつわる記事には興味は無い。熱心に探している記事とは、エイジス協会に関連する内容だけを探していた。


「今日はなんか成果ありました?」


 もうじき日課を終えると察したアカシアがコーヒーを啜りながらジークの横で聞く。


「這い回る人狼集団に人喰い蛸、加えて各地に出没する黒の墓守……全くもっていつも通りの内容ばかりだ」


 ゴミ箱へ新聞を投げ入れてジークは首を振った。

 ────とは言えこうして熱心に情報を集めるジークだが、数年前に崩壊した協会に関する記事が今更出回るとも思えてはいなかった。

 二人は、アウターズリムを離れて以降自分たちに降りかかった災厄の『連盟』の足取りを掴めていないまま二ヶ月の時が経過しようとしていた。


「ランチ行きましょ。クラウンズバーガーのランチセット。やっぱこの辺じゃあそこが一番だし」


 下着姿のままのアカシアは何の恥じらいもなくジークの前を通り過ぎてごちゃごちゃと皿や鍋が山積みになっている台所の隙間に持っていたカップを置くと忙しなく着替えを始めた。


 その光景に見慣れてしまったジークはアカシアから視線を外すと煙草の火を消して立ち上がる。背には身の丈ほどの無骨な大剣、口元まで覆える程の襟の高い灰色の長外套、灰色のソフトハットを被った。

 全身を灰色の装束に身を包んだ姿から漂う辛気臭さは同時に目にした者を威嚇するための物でもあった。どこの街にも通じる常識の一つとして、特徴的なヤツは必ず危険を孕んでいるという教訓がある。

 しかし、下手に目立てば必ずどこかの組織には目を付けられる。故に底辺の請負人が男の様な装いをする事は無く、自らの所属する群れと同じ装いをして身を守るのである。


「先に出てるぞ」

「待ってくださいよ〜!」


 マントを羽織るのに手間取っているアカシアを置いて、男は低級住居の回りすぎるドアノブを押し開けて外の空気を吸った。

 潮の匂いが鼻腔を通り抜け、湿った空気を身体の内で感じる。海が近い訳でも無いというのに潮の匂いが常に漂っているのは次元技術が放つ特有の匂いがあるゆえだ。

 

 空は灰色で薄暗い。巨大な石版じみた低級居住区の住人は総数にして千近くの人間が暮らしている。その大半が不法に占拠した流れ者で、様々な理由から生まれた街を離れ、群れる者や逃亡者、薬漬けの労働者が混在し────螺旋街の下層は、最早この街を支配している【星杯教会】にさえ把握しれない程のカオスを孕んでいた。


 ジークが煙草に火を着けようとしたところで赤髪を揺らしながらようやくアカシアが部屋から出てきた。

 赤髪に赤のマント、赤の剣。彼女の特徴である赤色は少女らしさのある白い肌をより際立たせ、アカシアの大きな瞳には常に銀色の光が灯っていた。出るところに出れば少女の容貌であれば莫大な金を得て生きていけるだろう。少女の見目にはそれだけの価値が発生してもおかしくも無い。

 つまりは居るだけで余計な諍いを生む存在だという事を示していた。


 螺旋街で人攫いに出くわすなどは日常茶飯事で、常にどこかで誰かが消えて行く。

 その理由に頭を働かせる人間も多くなければ、街自体は更にそれとは無縁であるかのように廻り続ける。

 街とは世界。

 世界が人一人に向ける歓喜や悲哀など有りはしない。無常や無情、されど友情や有情でもなく世界は世界として在り続けるだけのモノ。街とはそういうモノだと諦観していなければ生きてはいけない。

 今、ジークとアカシアの住まう集合住宅こそ『街』の先触れ、或いは縮図の様なモノだった。


 ジークとアカシアが集合住宅を出ると石造りの家屋と寂れた屋台が立ち並ぶ街並みが延々と続く。建造物と建造物の間には路地があり、それがまた街を迷宮じみた構造にしていた。

 現在地である下層──サベクトには十の大通りがあり、路地はそれを繋ぐ通路の役割を持っている。言わば超複雑なあみだくじの様相を見せ、半端な好奇心で踏み入れる者に対しては街の悪意が振舞われ、あえなく『その後、彼の姿を見た者いない』といった怪談の締めくくりに使われる末路しか待っていない。


 幸い、ジークとアカシアの向かっているクラウンズバーガーショップは大通りに面した飲食店であった。

 極力目立つ事を控えている二人は争いを避ける様に過ごし、路地には決して入らず、大き過ぎる依頼は請け負わない。

 暗殺系の依頼と冒涜テンプルクラス以上のMOの依頼は避ける事で安定した実力を持つ二人として下層内においてのみ名を挙げていた。


「いらっしゃい」

 静かに述べられた歓迎の声を聞いて、外観は石造りだが、内装は完全な木装の店内へと足を踏み入れる。

 ぎし……と、二人の踏む床が微かに鳴いた。

 時刻は丁度昼になろうという時間。店内はそれなりの賑わいを見せ、様々な種類の人間が食事以外の事にも気を散らせている。

 ざわめきの中を掻っ切りながら二人は空席へと向かった。


「この間の報酬があるから今日はいつもより良いもの食べれますねー!」


 ファミリーレストランに来た子どもの様に浮かれた様子で着座するなりアカシアはメニューを開く。ジークは先程吸い損ねた煙草に火を着けて一息つくなり、そこへ店内を縫いながら店員がやってきた。。


「ご注文が既にお決まりでしたらお伺いします」


 点々とシミのある緑の前掛けを掛けた店員はメモを片手に二人の元へとやって来るなりそうした業務的文句を述べるとペンを構える。

 昼時の店内は軽いパニックの如くに落ち着きを知らない。忙しさに思考が二手ほど遅れてしまう程に。店員の視線は目の前の二人だけに定まっておらず他の客の方にも注意を向けサービスの提供に余念が無い様子だった。


 ジークが「いつもの」とだけ言うと店員がすんなりとそれを承る側で、アカシアはと言えば「うーん……」と唸りながら『自家製スペシャルベーコン増量! スモーキンバーガー』と『異界バーガー』の二つを見比べていた。

 前者は概ねの想像が付く代物だが、後者はまるで予想が付きそうにない名前かつその商品写真すら載っておらず、常人であればまずそれに対して食欲が発生すること自体無いモノだと言える。

 そこでジークの脳裏に近頃の街では食べ物すら怪物に変態するという噂話が過ぎる。

 次の瞬間には悩むアカシアをよそに「こいつも俺と同じだ」とジークが店員に告げる事で、アカシアの選ばんとした選択肢ごと『異界バーガー』を葬っていた。

 店員はそうした状況に対して微塵も躊躇を見せずに「承りました」と業務的な笑顔を披露すると


「スタンダードツー!」


 厨房に向けて放たれる声を発し、後に続いて「オーキードーキー!」と複数の声が木霊した。肉を焼く音と油の匂い、それに加えて煙草と店自体に染み付いた空気がこれから食事をする事を客の脳に理解させている。

 店員が慌ただしくする中で客達は料理が来るまでの少し間延びした時間を会話で消費する。

 そうした店の雰囲気を煙と一緒に味わっていたジークの前でアカシアが吠えた。


「ちょっとぉ!? なんでアタシのメニューまで勝手に決めてるんですか!」


 怒りと悲しみ。それを露わにした少女がテーブルに身を乗り出してジークを問い詰めた。随分と張り上げられた声ではあったが、店内が騒がしい事もあり二人に注目を向ける者は誰もいない。ジークは悪びれる様子もなく煙を吐きながら返答した。


「食い物なんてなんでもいいだろう」

「よくないから怒ってるんですけど。あースモーキンバーガー食べたかったなぁ〜!! というか大体にしてですね、ジークさんは普段から食事に頓着が無さすぎ! この世には色んな美味しいモノがあるってのに、どうしていつもったいパンばかり食べるんですか!? まさか好きなんですか!?」


 ────『異界バーガー』に食欲が発生するのはお前だけだ。


 そんな感想を抱きながら少女の言葉を聞いている内に、段々と少女の怒りはあらぬ方向へと逸れていって終いにはジークの食事の色の無さに対しての怒りに変わっていた。

 少女の日頃から抱えていた食事に対しての鬱憤がここに来て爆発した────


 報酬が少額の時は決まって少女はジークがどこで買ってくるのかも分からない乾燥パンの塊を塩のみの味付けで口に含んで水で流し込む。食事というよりは苦行に近しいソレを耐える。


 反面、報酬が良かった時はこうして良質の食事にありつく事が出来た。しかも今回は報酬が更に良かった為、アカシアは特に浮かれていた。それを今しがた容易く無遠慮に踏みにじられ、耐えてきた日々が台無しになった事で少女は怒り収まらず卓上で握り拳を震わせていた。

 そこまで言われジークも普段の食事を思い返しながら少々反省して「……悪かった」と呟く。

 

「ウゥゥゥ……!!」


 既に少女は獣へと変貌し憎悪の瞳をギラつかせていた。ジークも僅かにたじろぎながら再度店員を呼びつける事となった。


「すまん。さっきのスタンダードバーガーひとつ、こっちのスモーキンバーガーに変えられるか? 変えるのが無理なら追加で頼む」


「承りました。変更は難しいので追加にしておきます。スモーキンワン!」


 店員が去ってからジークは少女の方へと意識を向ける。少女はすっかり先程までの怒りを忘れた様子で笑みを浮かべている。

 その姿を見てジークは安堵したが、代償として財布の中の殆どを失う未来が確定していた。

 溜息を抑え、ジークは煙草に火を点す。

 煙を吸っている内に、店内のざわめきが遠くなって気にならなくなった頃、不意にジークの耳に話し合う男の声が入ってきた。


「────だからさ、今日の新聞の記事のアレはよぉ……あの赤色のエスを探してる連中に違いねぇって」

「なんでそこで赤色が出てくんだよ。ヤツは数年前に姿消したっきり何の音沙汰もねぇだろ」

「あん時にエイジス協会も崩壊したろ? エイジスの柱だった連中がそう簡単にくたばるとは俺には思えねぇ。噂じゃエイジスの中には特級以外にもヤバいのがいるって話だ。だとしたら奴らが復活の為に何してもおかしくねェんだって」

「仮にそれが本当だとしてよぉ、なんでこんな辺鄙な街にまでやって来るんだよ。まぁ確かに人狼って言えば何でもやる傭兵集団がいるが……」

「それは俺にもワカンねぇ。ただ──コイツはきっと金になるぜ! エイジスにコネを作っとくのも悪くねぇし何より上手くいけば協会勤めも夢じゃ無い。兎に角やるべきは人狼連中とアポを取ることだ────ぜ?」


 そうして夢中に話していた男二人の側にもう一人、店員ではない人物が立ちソフトハットのつばの下で双眸をのぞかせていた。

 先程までは自席で聞き耳を立てていたが、手っ取り早く聞き出すためにジークはわざわざ男達の元に足を運び話を持ちかけた。


「よさそうな儲け話だな。都合が良ければ外で詳しく話さないか?」


 煙を吐きながらジークは男達に対して親指を立てて出入り口の方を示す。男二人は一瞬沈黙して互いの顔を見つめ合うと、少しして意見が合致したのか、男の一人が口を開いた。


「────アンタ確か、最近この街に来たヤツだよな。そこそこ腕が立つっていう請負人。しかも質のいい女連れてるって事で有名の」


 あえて男は『お前が有名なのは女連れだからだ』といった風に言ってジークがどう反応するのかを見たが、怒りもしないし否定もしないと言った様子を見て、ジークという人物に交渉の余地を見出していた。


「で。アンタは二人組の『灰かぶり』の方だろ? あっちにいるのが『赤ずきん』のお姫様だ」


 男は離れた席に座るアカシアに視線を一度向けてジークの方へと戻す。その口元がニヤつきを見せると言葉を続けた。


「助け合いと行かないか?」


 ジークにとっては脈絡の無い発言だったが為、ジークは黙って言葉の続きを待つ。男はニヤつきを消さないまま非常に低俗な意味合いを持つ助け合いについて語りはじめた。


「あっちのお姫様、俺らに貸してくれよ。なぁ? この街じゃ俺らみたいな地べたを這ってる請負人の相手してくれる女なんていねぇんだ。ましてや稼げる金じゃ買える女もいない。だからよ、儲け話に乗っからせてやる代わりにアンタは赤ずきんを一晩俺らに貸す。なーに、借りもんだからな壊したりしねぇよ、安心しな」


「──ただ……忘れらんねぇ夜にはなるかもだがな!」


 そう言うと二人の男は大笑いしたのち、にやけ顔でジークに対して「成り上がるには悪くねぇ条件だよなぁ、兄弟・・?」と聞き二人して再び笑った。


「そうだな、悪くない」


 濁った笑い声が響く中、ジークがそう頷くと男達は「よっしゃ!」と歓喜の色を見せた。 

 その矢先、男の一人が突如発生した熱と痛みに喘ぐ事となり、床に転がった。


「熱っちぃいい!!?」


 男の一人が味わった痛みと熱はジークが煙草の火を男の額に押し付けた事によるものであった。そんなジークの行動を見て、すぐさまもう一人の男がジークに対し敵意を露わにするも、その首元には既に外套の袖から覗く短刀が突き付けられており、男達は命の手綱を握られてようやく、前に立つ『灰かぶり』が始めから交渉する気なんて無かったのだと理解した。


「悪くないのだが──俺はもっといい方法を知っている」


 

 ◇◇◇

 

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