第6話 悪魔の愛

安物のコンディショナーのフルーティーな甘い残り香が漂うタクシーの車内。

私は、窓から白々と夜が明けて行く街を眺めていた。

まばらに灯るマンションの部屋の灯り。きっと、その一つ一つに、お父さんとお母さんがいる幸せな家族が住んでる。お父さんはワイシャツにネクタイを締めて、お母さんはキッチンで朝ご飯の用意。子供達は洗面所で歯磨き。そんな、ドラマのような私には無縁の家族を妄想していた。

遠くの工場の長い煙突からモクモク出た白い煙が風になびいていた。

私はもう、白くなれないのかな。私は油絵になりたい。油絵だったら黒く塗られたキャンバスも時間が経って乾いたら上から白い絵の具を塗ることが出来る。でも、私は水彩画。黒の上に白い絵の具を塗ったらにじんで灰色になるだけ。

エロ坊主から貰ったタクシー代を節約して駅前で降りた時には、もう、街はすっかり起きていた。

囚人服を着た大勢の人達が拘束される為に駅に吸い込まれて行く光景を見て、私は仏の世界から解放されたと言った越感に浸っていた。

余ったお金でコンビニで寄生虫の好きなハンバーグ弁当を買った。

寄生虫の喜ぶ顔を想像しながら曲がりくねった路地の先にある一人と一匹が住む巣へと向かう足取りは疲れて重たかった。

学校へと急ぐ小学生達に追い越され行く。遅刻の心配のない私は、また、優越感に浸っていた。


駅まで徒歩8分。家賃6万円のアパート。

コンコンコンと金属製の階段を昇る足音が早朝のアパートに響く。

この甲高い音は部屋の中からでも聞こえる。その音色で履いている靴がわかって誰かがわかる。

あれ、鍵かかってない。居るんだ。

「いるのー?」

返事がなかった。爆睡かな?

キッチンのテーブルの上にコンビニ袋を置いて寝室を覗いた。ベットは抜け殻だった。

トイレ?

コンコン。

「いるのー?」

いない。

「もう!また 鍵かけないで出て行ったな!」

お坊ちゃま育ちの彼には鍵をかけると言った習慣がなかった。

取られるものと言ったら、私の下着ぐらいだけから、まあいいんだけど。

でも、勝手に誰かが入って来てレイプされちゃたらどうするの。

でも、それも刺激的かな。

何てこと、妄想しながらバスルームを覗いた。

バスタブの中に彼が浮かんでいた。

「どうしたの!」

動かない。ヤバイ!

「どうしたの!?大丈夫?」

動かない。

私は軽々と彼の白くやせ細った冷たい身体を抱っこしてベットに寝かせてスマホを手に取った。

119を押す指が震えた。

ピーポーピーポーピーポー。

担架に乗せられた寄生虫。

やっぱ、人間なんだな。

この時、寄生虫は標本になりかけいた。


白い清潔な病室に、居心地が悪るかったのか寄生虫が目を覚ました。

標本になるには、少し早かったようだった。

「大丈夫?」

「う うん 死んで欲しかった?」

ゾンビになりそこねた彼にイヤミを言われた。

「バカ! 店に戻ったの?」

「それしたとりえがないから」

「私 戻ったら死ぬって言ったよね!」

「何時までも エルに寄生してられないし」

そう呟いた彼は、私を見つめて、また深い眠りに落ちて行った。

まだ、彼には父親が死んだことは言ってはいない。勿論、遺産相続のことも。

正直、まだ私自身も実感がなかった。

それが証拠に私は、何時ものように彼と生活するために身体を売ってしまった。

「ゴメン」

それは、私が初めて感じた罪悪感から来た言葉だった。彼の寝顔を見て涙が出て来た。


私が初恋をしたのは小学3年の時。

その相手が彼だった。

私がイジメられているのを見て、助けてあげられなくてごめんなさいと謝るような弱々しい彼の眼差しに私は恋した。

さっきの眼差しはあの頃のまま。

今、初恋の人と一緒にいる。何て、幸せなんだろう。

身体を売るのは彼と一緒にいたいから。

家賃、食費、電気、水道、ガス、携帯料金、銀座までの交通費、彼の医療費とお小遣い、私の美容院代、最低限、高校中退の私一人でこれだけ稼がないと彼と生活出来ない。

だから、ムチとロウソクも我慢できる。

でも、心だけは売ってはいない。心は彼だけのもの。

これが、究極の愛と言うものだろうか。


身体も彼だけのものになるには、水死体に呪われること。

呪い殺される時は彼を道ずれにしよう。

そんな不気味なことを考えていて気がついたら、何時ものように魔女が住む館で呪文を唱えていた。

肉欲を求める男達。それを餌に金欲を満たす魔女達。ここにいる人間達は、本能のままに生きる原始の姿。

その中でピアノを弾く彼女は遠い知らない国から来た異邦人のようだった。

その姿は、なんの欲望も持たない聖母マリアに見えた。

私は半分でも彼女と同じ遺伝子から出来ている。そう思うと私も聖母になれそうな気がした。

「今日 付き合ってくれる?」

突然、巡って来た聖母とのデート。彼より先に天国に行くような気分だった。

と、その時、どこからかセミの鳴く声がした。


ふと気がつくと、私達は柔らかい紫の照明が灯ったカウンターに座っていた。

私達の前には群青色をしたカクテルが置いてある。

少しタイムスリップしたようだった。

「エルって本名なんです」

私は、思いきって鼻筋のとおった彼女の横顔に話かけた。

「この業界で本名を使うとこの商売を一生 辞められないって言う都市伝説があるんです」

彼女は、グラスに口をつけた。

「私 覚悟を決めてこの業界に入ったつもりだったんですけど 今は もう 辞めたいかなって」

彼女は、私の顔を見ることもなく黙ったままだった。

「私 今 どうしていいのか分からなくって」

凍りつくような沈黙

「魂って 人に 何時 入るか知ってる?」

それは、グラスの中で氷がぶつかり合うような透き通った声だった。

「魂?」

「そう それは卵子が精子と出会った時」

この二人が会わない様に何時も私は男にゴムを付けさせている。

「最初の細胞 受精卵が出来た時なの」

そうなったら薬で殺す。やっぱり、私は悪魔。

「でも その魂は前世の人のもの だから 私達も魂は違うの」

昔、霊感の強い風俗嬢から言われた。

私の前世は魔女狩りで処刑された売春婦と。

きっと、あなたの前世は処女のまま死んだお姫様。

「私 まだ お名前 知らないんです」

「愛」

彼女もアルファベットの名前を持っていた。

また、どこからかセミの鳴く声がした。





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