きみがすき
@andynori
第1話
県立星の原高等学校二年七組は男女半々の三十二人編成だ。よくある四角い教室には縦五列横六列に三十台の机が整然と並び、廊下側と窓側の列、それぞれの最後尾に+1の席がある。
僕の席は窓側の最後尾。つまり、このクラスに二席だけ存在するVIPなボッチ席、その一つを占めている。
教師の立つ教壇から最も離れていることや、隣に席のない解放感もさることながら、僕にとってこの席最大の魅力ともいえるポイントは、なんといってもこの席の対となる、廊下側のボッチ席の存在である。
より正確に言うなら、その席に座る人物の存在にこそ、僕は一際強い魅力を感じており、授業中や休み時間、その他何気ない瞬間、間に一切の障害物を挟まず、その人物を好きなだけ眺めていられるという特権は何物にも代えがたい特権であった。
◆
水曜日。月~金のちょうど真ん中、前後の休日から最も遠く、誰しも中弛みを覚えずにはいられないだろう。
しかし、そんな水曜日を僕は一週間に於ける最上、至高の一日として位置付けていた。以下にその理由を記す。
一、現国
二、世界史
三、数学
四、英語
五、日本史
六、古典
お分かりだろうか。そう、時間割である。ご覧の通り、二年七組の水曜日の時間割には移動教室が一コマも存在しない。
つまり、水曜日の僕は一日中自席に陣取り、件の人物の観察に勤しむことが出来るのだ。これを至上の歓びとせず、なんとする。
と、こうして日誌を綴りながらも、僕は現在進行形で机四台分+α離れた隣席に座る人物をつぶさに見ている。それはもう執拗に、舐め回すがごとく観察し続けていた。
因みに、『隣に席のない解放感』と前述しているが、物理的な距離は別として、間に他の席を挟まない二つのボッチ席は立派な『お隣さん』同士である。なので『隣席』と表記してもなんら間違いではない。ないったらない。
さて、そろそろ読者諸氏も僕が気に掛ける件の人物の詳細について、気になり始めた頃だろう。そこで、今から
まず、たった今『彼女』と記したように、件の人物とは生物学的にいうならば『Y染色体を持たないホモ・サピエンス』、つまり『ヒトのメス』──要するに『女性』である。
現在の彼女を年齢的に分類するならば『少女』、社会的立場としては『女子高生』となる。
僕ら思春期真っ盛りの、童貞野郎共最大の興味の対象でありながら、しかし最も理解に苦しむ『いきもの』。『女子』、或いは『女の子』。
目下、僕の興味を最大限に引き付ける彼女の名は『
ぐっじょぶ。
次に彼女の容姿についてだが、これは賛否両論あるだろうし、僕には様々な客観的見地を受け入れる寛容さもある。
先ず僕の主観に立てば水谷彩音は女神だ。女神にも色々あるが、この流れで
誠に遺憾ながら、冷静に、客観的に見て、水谷彩音という女性は決して美の化身などではない。女優やモデルの誰々に似ているといったこともないし、誰もが振り向くほどの華やかな美人でもないだろう。欠点は見当たらない代わりに飛び抜けた長所もない。とても普通だ。──だが、そこがいい。
むしろ、地味でも全てにおいて平均値を下回ることのない総合力は、ふとした瞬間にインフレーションを起こすような、大いなる可能性を秘めている。例えば彼女は化粧ひとつで大化けするに違いない。が、個人的にそれは困る。彼女の美を世に知らしめたいと思う一方、このまま秘しておきたいとも思うのだ。
うーむ……。
やはり彼女にはこのまま誰にも気づかれず、野に咲く花のように、いつまでも僕だけが知っている、僕だけの推しメンであって欲しい。
「…………」
それにしても、『彼女、彼女』と何度も何度も書いていると、まるで水谷さんが僕の
実に危ない傾向だ……。自重せねば。僕は決して『ストーカー』などではないのだから。
◆
県立星の原高等学校二年七組は男女半々の三十二人編成。よくある四角い教室には縦五列横六列に三十台の机が整然と並び、廊下側と窓側の列、それぞれの最後尾に+1の席がある。
私の席は廊下側の最後尾。つまり、このクラスに二席だけ存在するVIPなボッチ席、その一つを占めている。
教師の立つ教壇から最も離れていることや、隣に席のない解放感もさることながら、私にとってこの席最大の魅力ともいえるポイントは、なんといってもこの席の対となる、廊下側のボッチ席の存在である。
より正確に言うなら、その席に座る人物の存在にこそ、私はとても強く魅力を感じており、授業中や休み時間、その他何気ない瞬間、間に一切の障害物を挟まず、その人物を好きなだけ眺めていられるという特権は何物にも代えがたい特権であった。
◆
水曜日。月~金のちょうど真ん中、前後の休日から最も遠く、誰しも中弛みを覚えずにはいられないだろう。
しかし、そんな水曜日を私は一週間に於ける最上、至高の一日として位置付けていた。以下にその理由を記す。
一、現国
二、世界史
三、数学
四、英語
五、日本史
六、古典
お分かりだろうか。そう、時間割である。ご覧の通り、二年七組の水曜日の時間割には移動教室が一コマも存在しない。
つまり、水曜日の私は一日中自席に陣取り、件の人物の観察に勤しむことが出来るのだ。これを至上の歓びとせず、なんとする。
と、こうして日誌を綴りながらも、私は現在進行形で机四台分+α離れた隣席に座る人物をじっと見つめている。それはもう執拗に、舐め回すがごとく観察し続けていた。
因みに、『隣に席のない解放感』と前述しているが、物理的な距離は別として、間に他の席を挟まない二つのボッチ席は立派な『お隣さん』同士である。なので『隣席』と表記してもなんら間違いではない。ないったらない。
さて、そろそろ読者諸氏も私が気に掛ける件の人物の詳細について、気になり始めた頃だろう。そこで、今から
まず、たった今『彼』と記したように、件の人物とは生物学的にいうならば『XとYの染色体を一つずつ持つホモ・サピエンス』、つまり『ヒトのオス』──要するに『男性』である。
現在の彼を年齢的に分類するならば『少年』、社会的立場としては『男子高生』となる。
私達、思春期真っ盛りの乙女達、最大の興味の対象でありながら、しかし最も理解に苦しむ『いきもの』。『男子』、或いは『男の子』。
目下、私の興味を最大限に引き付ける彼の名は『
彼の名前が『天空』と書いて『すかい』だったとしたら、私はちょっとどうしたらいいか分からなかったに違いない。僭越ながら労いの言葉を贈りたい。
たいへんよくできました。
次に彼の容姿について。これは賛否両論あるだろうし、私には様々な客観的見地を受け入れる余地がある。
先ず私の主観に立てば佐々木正太郎はイケメンだ。ジャ◯ーズもEXI◯Eもお呼びではない。ただし、そこには私の独断と偏見が多分に含まれることは否めない。
誠に遺憾ながら、冷静に、客観的に見て、佐々木正太郎という男性は決してスーパーなイケメンなどではない。俳優やアーティストの誰々に似ているといったこともないし、誰もが振り向くほどの華やかな美男子でもないだろう。大きな欠点は見当たらない代わりに飛び抜けた長所もない。とても普通だ。──けど、そこがいい。
むしろ、地味でも全てにおいて平均値を僅かに上回る総合力は、ふとした瞬間にインフレーションを起こす大いなる可能性を秘めている。でも個人的にそれは困る。どうか、このまま誰にも気づかれず、実はアーティスト本人よりもカッコいいバックダンサーのように、いつまでも私だけが知っている、私だけの推しメンであって欲しい。
それにしても、時折ふと我に返って思うのだけれど……。
もしかして、私っていわゆる『ストーカー』体質なのだろうか。
近頃、ちょっと否定しきれない自分がいて困る。
きみがすき @andynori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます