設定しこしこまとめ〜現世日本近現代史〜前半




作中では多少言及をしたものの、ちゃんとこの世界の歴史をまとめた事がなかったので、この日本の歴史を箇条書きで書いてみる事にした。

と言っても、そんなに詳細には書けないので、大きな出来事を中心に書いていく。





1905年12月 大日本帝国はロシア帝国との戦いに敗れ、多額の債務を抱える。日本への戦費借款の回収が出来るか、更にロシアが南下して太平洋の植民地が危うくなる事を不安視した大英帝国、アメリカ合衆国は日本へ大規模な内政干渉を行う事を決め、台湾島が英、千島列島が米に保証占領される。



1907年5月 明治憲法の第一次改正が発布、また国内法も英米慣習法的改正が加えられる。憲法に限らず、天皇に関する事項では一部で英米の対立があったが、天皇自身のある発言により一気に事が進む。

また、改憲に伴い、皇室典範や不敬罪の規定もかなり修正が加えられた。



1907年11月 第一次改正帝国憲法施行、天皇が国の象徴元首で大権行使には内閣の輔弼が必要と明記される。

また、明治憲法には規定のなかった内閣総理大臣の権限も明記、陸海軍を纏めて軍とし、内閣の統制下に於かれる。時同じくして日露の関係修復、同盟締結に伴い、英国が日露戦後に保証占領していた台湾島、同じく米国が保証占領していた千島列島が日本に返還される。



1910年9月 米国からの提案で日露境界確定条約締結。朝鮮半島の南側を日本、北側をロシアが併合し、江戸時代より日露混在の島であった樺太島も同様の措置を取る(通称朝樺分割)。




1914年8月 オーストリア皇太子暗殺事件に端を発した欧州での戦争開始に伴い、英軍は日本軍に参戦なしでのアジア太平洋地域の防備を依頼、日本政府はこれを快諾。以降、日本は協商国寄りの中立を維持。



1916年4月 英仏露、日米へ対独宣戦布告と欧州への軍隊派遣を要請。米国は断ったが、日本は承諾し、東部戦線と西部戦線の一部へ派兵を行った。これで欧州大戦は世界大戦となる。



同6月 日英連合軍がドイツ領青島を攻略。成立したばかりの中華民国政府との密約で戦後に返還する事とした。



同8月 ドイツ領南洋群島を日本海軍が攻略。この頃から、豪州が日本を警戒しだす。



1918年11月 英仏露を中心とした協商国連合とドイツとの休戦成立に伴い、大戦終結。



1919年10月 パリ講和会議は前世以上に連合国有利で妥結。日本は南洋群島と中華民国内の租借地を手に入れる。



1921年4月 国際連盟発足と共に、日本は常任理事国となる。また、南洋群島に関して、豪州の反対がありながらも、英本国の後押しもあって連盟に統治を委任される。



1923年9月 大正関東地震発生。政府は各国の支援を仰ぎ、再建計画の中で復興という言葉が生まれた。これを契機に防災法の整備が急がれる。



1928年3月 ロシア領マンチュリアに於いて鉄道爆破事件発生。とある軍閥のドンが犠牲となり、治安維持の為と称して日本は英国と共同で満州地域への進出を決める。ロシア軍は動かず。



同8月 日英露は密約を交わし、満州地域の中国からの分離独立、自由市場化と三国の権益配分を取り決める。中国からの反発は英露に握り潰される。



同10月 親善訪問でシドニーに入港しようとした日本の駆逐艦を豪州海軍沿岸部隊が砲撃。

英本国の仲裁で大事には至らなかったが、豪州との緊張状態が続く。



1929年4月 中国で国民党と共産党の内戦が活発になり、租界や租借地の治安維持を名目に日英仏露の連合軍が中国大陸に大規模派兵を行う。

国内では憲法改正が大規模に行われ、民主主義が強化される。日英同盟、日露同盟が無期限延長更新。



1930年2月 緊張が続いていた豪州との和平合意成立。豪州政府より幾つかの事件に関する賠償金を受け取り、日露戦争の借款の返済に充てる。




同年5月 フーヴァー大統領、初来日。演説で日本人含むアジア人や黒人への差別問題に言及。以降、日米は軍民問わず交流が加速する。



1931年4月 教育制度変更。義務教育が小学校6年、中学校2年の8年制となる。この改革によって、中学野球大会は高校野球大会となる。また、日露戦後より議論のあった年度変更案も提案されたが、今まで変えずに来て、急な混乱を避けるため、結局4月年度初めのままとなる。



1932年6月 この頃より日本国内と世界各地で不思議な世界の話をする者達が確認される。彼らの多くは脳の病気だと診断されるが、日本政府は数人の話に着目し、極秘調査機関を設置する。




1935年2月 次回1940年の夏季オリンピック開催地に東京が選ばれ、冬季は札幌と決定。以降、競技場や道路建設等の需要で少し景気が上向きになる。

また、中国国民党への支援を米英露と共に打ち切る。




1936年6月 日本オリンピック委員会JOCは、ヒトラー率いるドイツ労働者党の人種政策を理由にベルリンオリンピックのボイコットを発表。ロシアROC、米国USOPCも追従。



同年12月 アメリカで初の女性大統領エリザベス・ジョンストンが就任。時同じくして沙羅が憑依し、日米友好が加速していく。



1939年9月 欧州での戦争開始に伴い、兼ねてより計画された在欧日系人を中心とした難民救出作戦が発動。沙羅は自ら満州に赴き、難民達の様子を直で見る。



1941年2月 英国へ送り出した商船の遭難が相次ぎ、米国と共に対独宣戦布告、第二次大戦に参戦。日米秘密協定合意。前世と違い、中国に深入りする事もなく余裕のあった日本は日米秘密協定に基づき、主力艦隊と大規模な陸軍部隊を派遣。



1942年12月 第二次大戦終結。日本軍がヒトラーの逮捕に成功する。



1943年2月 英仏米露と共にドイツ進駐。戦中に組織させた自由ドイツ軍を元にした新生ドイツが自立できるまでの非常措置であった。



1944年5月 講和発効とドイツ連邦共和国成立に伴い、他の連合軍と共に一部を残し在独実戦部隊撤退。



同10月 延期されていた東京オリンピック開催。大いに盛り上がる。



1945年4月 エリザベス元大統領、日本移住。戦前からの極秘調査機関を通し、政府にSI情報が齎され、日本政府は他にも世界がある事を認識し始める。



1947年12月 日米秘密協定を日米同盟という形で公表、英露と同盟解消。露についてはその後、日米同盟に与する形で友好関係が続く。



1948年5月 独ザール地域の日米共同基地での訓練中に英軍、仏軍の兵士の一部が実弾発砲する事件が起き、日米と英仏の関係が冷え込む。



1949年7月 中国で共産党政権が成立。敗走してきた国民党軍を台湾島、新南群島にて保護する。彼らの話を聞き、日本政府は中国共産党内に転生者がいる可能性を認める。



1950年1月 日本は国際連盟総会で以前から豪州の白豪主義に関する問題を訴え、米国やロシア、何より豪州の旧宗主国である英国等多くの国から賛同を得るも、豪州は内政干渉だと反発し続け、常任理事国の全賛成で豪州への経済制裁を決める。



同5月 日本商船が豪領ニューギニア沖にて臨検を受ける。単なる観測ミスで領海に入ってしまっただけだったが、船員達が長く拘束され、国際世論の後押しもあって日本政府は豪州を猛烈に非難。これより豪州とは冷戦状態となる。




思った以上に長くなりそうなので、前後半分けます。なお、この小説はそんなに真面目なものでもないので、今までの話との整合性だけ気を付けて書いております。この歴史はあくまでフィクションです。









































































































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