鍛え損
自分が置かれた状況を思い出し恐る恐る視線を上げると、どうしたわけか琴乃の表情からは怒りが消えていた。目にも光が戻っている。
「賢将が幼女趣味なのはよく分かったわ」
「なにを分かっちゃったんだよ。止めどなく誤認だよ」
「パパの今後については後で家族会議を開くとして、ご飯の続きにしましょう」
言うが早いか、一人納得した様子の琴乃は箸を手に取り、自分が作ったおかずを摘み始めた。
「……家族会議」
土下座が不発に終わった師匠は青ざめた顔で床を見つめているが、まあ同情の余地はない。てか、どんだけ怖いんだよママさん。
琴乃に対して弁明する必要もあるのだが、ここでまた余計な刺激を与えるのはリスキーだ。幼女趣味うんぬんの誤解はそのうち解いておこう。
「そんじゃ、改めていただきます」
再度手を合わせ、茶碗に手を伸ばす。
琴乃の実質脅しに近い一喝もあり、その後は特に変わったことのない時間が続いた。
時折会話を挟みながら並べられた料理を三人で平らげ、琴乃が入れてくれた食後のお茶を口にする。
「賢将、お前は自分が恵まれた環境にいることに感謝すべきだぞ」
「なんすか、急に」
満腹感に浸っていると、隣りでお茶を啜る師匠が話しかけてきた。
「毎日稽古を付けてもらって飯まで出て来るなんて、普通の道場じゃ考えられんからな」
「普通の道場はそもそも毎日稽古がないと思うんですけどね」
もはや日課となっているため自分でも違和感はないが、俺は学校が終わると基本的に毎日この道場に足を運んでいる。
元々は柔道を習うために通い始めたのだが、単に強くなることが目的で大会等には興味がなかったため、今では自称何でも世界チャンプ級の師匠の下で様々な武術を学んでいる。
「仕方ないだろ。お前が来ないと俺がヒマだし」
「弟子をオモチャかなんかだと思ってるんですか……。ていうか、ヒマなら俺以外の弟子も取ればいいでしょうに」
数代前から続く歴史ある(らしい)桐崎家の道場は、現在、抱える弟子は俺のみとなっている。
五年前に俺が入門したときは他にも数人の門下生がいたのだが、彼らが卒業やら就職やらで道場を後にしていく一方、新たに門を叩く者は現れぬまま現在に至った。
そりゃ、毎日のように悲鳴(発信源・俺)が響き渡る道場に足を踏み入れようという物好きもいないだろって話だ。体罰等にも敏感になったこの時代、親からしても我が子を預けるには抵抗があるだろうし。
「まあ、稽古の頻度抜きにしてもですよ? キツ過ぎるんすよ、師匠の稽古は」
入門当初こそ基礎トレーニングを中心とした一般的な稽古だったのだが、最近では実践形式が多く、俺が一方的にサンドバッグと化すこともままある。
「そりゃお前、強くなるための稽古なんだからキツいに決まってるだろ」
「程度の話をしてるんすよ」
取り返しのつかないようなケガこそないものの、軽度の打撲・打ち身なんかは日常茶飯事だ。もう少しマイルドにしてくれても良いと思う。
「なんだ賢将、泣き言か?」
「……は? いや、違いますけど」
「んん~、そうか? どうしてもって言うなら、優しくしてやってもいいんだぞ?」
「誰もそんなこと頼んでないっすよ。おっさんに優しくされて喜ぶ趣味もありませんし」
不敵な笑みを浮かべる師匠に対し、つい反抗的な態度を取ってしまう。
からかわれているというのは分かっているが、我慢するにはいささか師匠の顔が腹立たし過ぎた。なんだこの顔、殴りてえ。絶対避けられるけど。
俺の反応を面白がってか、師匠は椅子に座ったままぐっと身を引き寄せて来て、
「『俺を……俺を鍛えてくれ! 強くなりたいんだ!』だったか? まったく、あの頃の意気込みはどこにいったんだ」
キリっと良い顔をしたと思ったら、こっ恥ずかしいセリフを口にした。
……ん? なんだ今の? どこかで聞いた覚えがあるような……って、
「おい! マネすんじゃねえよ!?」
聞いた覚えじゃなく、言った覚えがある言葉だった。
俺の反応が気に入ったのか、師匠は更に笑みを広げ、
「『守りたいのものを守れる力が欲しい!』なんて恥ずかしげもなく言ってた、あの頃の情熱はどこにいったんだ?」
「止めろ! 普通に恥ずかしいわ!」
師匠のモノマネの完成度は酷いものだが、そんなようなことを言った自覚はある。
数年前のこととはいえ、改めて見せられると悶絶ものだ。
「どうしてもって頭下げるから今日まで鍛えてやったってのに。そうかー、限界じゃ仕方ないな。稽古のレベル下げるか」
「んなこと言ってねえだろ!? むしろ3倍でも4倍でも掛かってこいや!」
「おっ、言ったな? 明日から後悔しても知らねえぞ?」
「上等だ! 2倍ぐらいなら乗り越えてやらあ!」
「もう半減してるじゃねえか」
「うるせえよ! 4倍なんかにしたら普通に死ぬわ!」
照れを誤魔化すように、売られた言葉を買っていく。
当時中1とはいえ、恨むぞあの頃の俺。なんてハズいセリフを……。
「だいたいな! 死にもの狂いでここまで鍛えたのに、肝心の使いどころが全く無ってどういうことだよ!? 鍛え損じゃねえか!」
「鍛え損とはなんだ!? 悪いがそっちは専門外だ、勝手に見つけやがれ!」
「『賢将、報われねえ努力なんてないんだぜ?』ってあんた言ってたよな!? 一向に報われないんだが!?」
「マネするなよ!」
「こっちのセリフだ!」
お互い椅子から立ち上がり、睨み合っていると、
「今度は何を騒いでるの?」
皿洗いを終えた琴乃が台所から戻って来た。
十数分ぶりに言い争う父と同級生を前に、見るからに怪訝な顔をしている。
さっきは何故か助かったが、こう短時間で何度も琴乃の機嫌を損ねたら、また尊厳やらなにやらを犠牲にしなければならなくなる。ここは早急に切り上げるが吉だ。
「おいアホ弟子、続きはまた明日だ。お前もう帰れ」
「言われなくても帰りますよ、アホ師匠」
これ以上の争いは犠牲しか生まないことを師匠も悟ったらしい。
小声で停戦協定を結び、帰宅する旨を琴乃に伝える。
「もう帰るの?」
「ああ、食ったら眠気がヤバい。飯サンキューな」
「それは全然いいけど。それじゃ、また明日」
「おう」
琴乃に別れを告げ、礼儀としてアホ師匠にも一礼する。
「あ、賢将」
「なに?」
二人に背を向けたタイミングで、琴乃に呼び止められる。
「守りたい人なんて、そう出会えるもんじゃないわよ?」
「聞こえてたんなら先言えよ!?」
振り返ることすら恥ずかしくて、俺は疲労で重くなった足を引きずりながら逃げるように桐崎家を後にした。
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