プライド<<カロリー

「はーっつはは! 遅い、遅いぞ賢将!」

「だああああああ!? ふざけんな、その焼き豚は俺んだ!」

 

シャワー室で汗を流した後、俺は道場と同じ敷地内にある桐崎家本宅のリビングへと移動した。

サッパリして飯まで食わせてくれるという素敵な話だったはずなのだが、招かれた食卓は素敵とはほど遠い惨状と化していた。


「ほれほれ、そんな箸捌きじゃ何も取れやせんぞ!」

「くっそ、なんだこれ全然食えねえじゃねえか!?」

 

原因は言わずもがな、桐崎パパことクソ師匠である。

琴乃お手製の料理が出揃うやいなや猛烈な勢いでおかずを口に放り込み始めた師匠は、出遅れた俺を嘲笑うかの如く、その後も俺が取ろうとするおかずを先回りで奪い続けている。おかげでさっきから俺の箸は空を掴むばかりで、肝心のカロリーには全然ありつけていない。


「食事も修行だぞ賢将。ほれ、残像ぐらい使って俺からこのから揚げを奪い取ってみろ」

「んなもん使えるのはあんたぐらいだよ! から揚げ返せや!」

 

箸でヒュンヒュンと風切り音を鳴らしながら、師匠は俺がゲットした数少ないおかずにまで手を伸ばしてくる。

 

このおっさん、気のせいでも何でもなく腕が残像を残しているのだが、ホントに人類を舐めないでほしい。あと、から揚げを返してほしい。

 

師匠は掻き込んだ大量の白米を租借しつつ、俺を箸で指すと、


「相変わらずお前は動きが単調だな。そんなんだから十四にもなって彼女もできんのだ」

「俺は十七だ。自分の娘と同じなんだから歳ぐらい覚えとけ」

「琴乃たんが十七歳なのは百も承知よ。お前が琴乃たんと同級生だというのが認められんって言ってるんだ。代われ、俺と!」

「あんたに認められるまでもなく国が認めてるんだよ。あと、彼女がいないって勝手に決めつけるんじゃねーよ。この前だって学校帰りに天野さんちの娘さんと────」

 

バンッ!


「「!?」」

 

師匠と舌戦を繰り広げていると、突如テーブルの片隅から叩きつけるような鈍い音と振動が伝わってきた。


「…………」

 

そろーっと横目で確認すると、音と振動の発信源には姿勢良く座る琴乃の姿。

うっすらと笑みこそ浮かべているが、目に光が感じられない。怖い。


俺と師匠が動けずにいる中、琴乃の花びらのような形の良い唇が開き、


「おい、脳筋ブタ汚物ども」

 

聞くに堪えない単語が飛び出してきた。


「ねえ、パパ」

「ど、どうした琴乃たん。というか、聞き間違いだとは思うんだけど脳筋ブタ汚物っていうのはパパたちのことじゃないよね?」

 

急に矛先を向けられて動揺する師匠。

気の弱い人なら身動きすらできなくなりそうな迫力を醸し出す琴乃を前に、すぐさま応対できるのは流石父親といったところだ。そんな父の問いに対し、娘である琴乃はにこっと笑顔を返した。


どうやら、答えるまでもないらしい。


「食事中は大人しくしてっていつも言ってるよね? お箸で人を指すのも止めて。あと、その呼び方は二度と使わないで」

「え、でもこれも修行の一環であって、弟子が愛しいからこその──」

「ママに言い付ける」

「──ごめんなさい、気を付けます」

 

椅子に残像を残し、一瞬のうちに土下座で平謝りする師匠。

なるほど、こんな情けない使い方もあったのか。いくら奥さんが怖いからって名前を出されただけで娘に土下座をするなんて、この人には守るべき尊厳はないのかな?

 

自分を日々コテンパンにしている師匠の弱々しい背中を見下ろしていると、琴乃の光の無い目が俺の方に向いた。


「ねえ、賢将」

 

普段通り名前を呼ばれただけなのに背筋に寒気が走る。

師匠はこんなのと対峙してたのか。同級生に向けていい目じゃねーよ。


「……なんすか?」


しかし恐れることはない。師匠と違って俺は何も怒られるようなことはしていないのだ。


「天野さんちの娘さんと……なに?」

「……何でそんなこと言わなきゃなんねーんだよ」

「もう二度と食事は提供しない」

「すみません、勘弁してください」

 

全身の筋肉が悲鳴を上げるのもおかまいなしに、可能な限り最速で土下座をする。守るべき尊厳? なにそれカロリーになるの?

 

負い目が無いのにこんなことをするのは癪だが、背に腹は代えられない。というか、稽古の後の食事が無くなったら背と腹がくっついて、むしろ背に腹が代わりかねない。


「で、天野さんちの娘さんと……なに?」

 

ひれ伏した俺の頭上から、琴乃の冷たい声が降り注いできた。


「え、俺は土下座で終わらないの……?」

「口答えしないで」

「おおぅ……」

 

取りつく島もない。なんだこれ、土下座損じゃねえか。


「えー、なんと言いますか。その件については黙秘したかったりするわけですが……」

 

鼻をフローリングに押し付けたまま、もごもごと口を動かす。

負い目はないが、見栄を張った手前ここで全容を話すのは遠慮したい。

どう誤魔化したもんかと逡巡していると、隣で並ぶようにフローリングとキスをしている師匠と目が合った。


「賢将、天野さんちの娘さんってまだ8歳だろ?」

「ばか、それを言うんじゃ……って知ってたのかよ!?」

「はっはっは! 見栄を張ったな恥ずかしいやつめ。それともあれか、まさか本当に8歳児に手を出したのか?」

「んなわけあるか! 小2だぞ!? 家の鍵無くしたっていうから一緒に探しただけだ!」

「警察、行っとくか?」

「麦茶勧めるみたいな軽さでお縄を斡旋するんじゃねえよ!」

 

変質者の増加が嘆かれる現代だ、その冗談はシャレにならない。


「やっぱり見栄を張ったんじゃないか。こりゃ傑作」

「くっ……黙れアホ師匠、あんたも土下座してんだから変わらねえだろ」

「お前こそ口には気を付けろバカ弟子め。うちは嫁さんが稼ぎ頭だから頭が上がらんのだ」

「なんで偉そうなんだよ。働けよ」

「お前を鍛えるのに汗水流しとるわ」

「俺以外の弟子も取れって話をしてんだよ。実質、あんたの収入源って俺の小遣いだぞ」

「弟子のくせにナマ言うじゃねーか。またコテンパンにしちゃうぞ」

「おう上等だよ。今日はもう限界だから明日掛かってこいや」

 

頭を下げたまま師弟でメンチを切り合っていると、


「あーもう、そんな格好で何遊んでるのよ」

 

まるで小さな子供に接するかのような口調で、琴乃に窘められた。

 

……ああそうか、俺たち説教されてたんだった。

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