第22話 一番新しい過去
今座っているブースは一面ガラス張りの壁で、外の暑い日差しがこれみよがしに入ってくる。ブラインドも降ろしていない場所は、暑くて眩しくてしょうがない。
9月に入ったばかりだというのに、光り輝く桜並木の木陰は、まるで濃い緑の影を落としているように見える。こんなにきれいな景色のはずなのに、街行く人々は、見慣れているのか関心がないのか、秋の花粉症対策マスクをして携帯を片手に下を向きながら歩いている。美しいものにあえて気がつかないフリでもしているのか。それとも、決して見つからない落とし物を探し続けているのか。
そのブース内に案内されて待っている間、いろいろな声があちこちから聞こえてくる。前からは官能作家さんらしき女性と男性編集者さんのエロネタに詰まった嘆き節、後ろからは雑誌の読者モデルの面接に来た女子高校生とその母親らしき人の励ましの会話と緊張。どうしよう、私も思わず緊張してしまう。
「来てもらって悪かったね、久しぶり」
不意に声に気がついて、顔をあげる。目の前に座るくたびれたスーツは、相変わらずに違いない寝癖がついたままの髪を無造作に触った。
「お久しぶりです、高野さん」
「じゃあ、早速見せてもらおうか」
一度だけとは言え、約6年ぶりに再会した人と季節の挨拶や導入の世間話も全くない。私には清々しささえ覚えた。
私は本当に久しぶりに、高野さんに連絡をして〝今日〟会う約束をした。
山本さんが私に最期に送った手紙のコピーを高野さんに見せるためだ。なぜこんなに時間がかかったのか。それは私自身にもわからない。初めは見せるつもりなど全くなかった。私へのプライベートな手紙だったし、乃木先輩のことも書いてある。何より、他人に見せることで何か手紙の意味が変わってしまうような気がして怖かった。でも。
「実は、山本さんは私に、私以外の人への手紙も書いて送ってきていました」
高野さんは、手紙のコピーから目を逸らさずに聞いている。
「誰に?」
「里織さんにです」
高野さんは、さっと顔を上げた。そうだ、驚いている顔が上手な人だったと懐かしく思い出した。
「山本さんは奥さんである里織さんへの手紙を、私に送ってきました。日付を見ると、多分本当に最期の手紙だったと思います。作品、ではありませんが絶筆ですね」
「何それ、なんで今まで教えてくれなかったの。見せてよ。持ってきてるんでしょ」
「いえ」
私は瞬きひとつせずに静かに答えた。
「ダメです。あれはラブレターだったんです。預かったラブレターを他人に見せるなんてそこまで私は野暮じゃないです。それに、その手紙はとっくにもう私の手を離れて、里織さんのご遺族に渡っているはずです。コピーはしていません」
高野さんは目を見開いたまま、ため息をついた。
「なんだよそれ。よりによってあの親にかよ…でもラブレターなら、尚更読みたいと思うのが世間のニーズじゃないか」
「ラブレターだからダメなんです。本当は、私も読むべきではない相手ではありましたが、山本さんが送ってきてしまって知らずに読んだので、仕方ありません」
「読むべき本人はもうこの世にいないのに」
「書いた本人ももういませんが、それは関係ありません」
「なんて書いてあったの」
「それも言えません」
「あの時、死刑執行のこと教えてあげたのに」
私は思わず微笑んだ。
「あの時はありがとうございました。おかげである程度は心の準備ができました。高野さんのお話を事前に聞いていなかったら、私は多分…」
ふと、ガラス窓の外に再び目を移した。
「私は今頃どうなっていたか、わかりません」
高野さんはチラリとテーブルの灰皿を見て、手紙のコピーを軽く持ち上げて手元に寄せた。私は灰皿を手に取って目の前に置いた。
「どうぞ。これも」
「あ、俺、辞めたの。タバコ。偉いだろ」
手にしていたボールペンをくわえながら自慢げに言い放ち、コピー用紙を脇に寄せる。
高野さんは一拍置いたあと、ずいと身を乗り出した。
「山本は、実はこの手紙と一緒に武藤の妹にも手紙を出していたと、最後の記事を掲載した後で連絡が来た。もちろん、そっちもしっかり読ませてもらった。非常に短い手紙だったが、保険金を横取りする気は最初からなかった、自分が許可印を押したせいで保険が無効になって申し訳ない、しかしできる限りのことはしたつもりだ、とあった。事件後、武藤の唯一の遺族である武藤の妹には、犯罪被害給付金が給付された。犯罪の被害者遺族には、国から給付金が出るんだ。本当に微々たるもんだがな。だが、被害者本人が犯罪行為を誘発したときは給付されない場合もある。山本は保険外交員だったから、それを知っていて巧みに供述を操作したのかもしれない。まあ言い方を変えれば、税金の横領だけどな。ちなみに妹は、武藤が大学生の時に起こした車の自損事故に巻き込まれて聴覚障害者になった。山本は、意外だが武藤を殺したことについては生涯一度も謝らなかったんだ。妹さんへの最期の手紙でもだ。そして武藤の妹はその事についてノーコメントを貫き通した。何かあるんだろうな」
高野さんが独り言を言うようにゆっくり淡々と話すのを、私は静かに聞いていた。妹さんにも手紙。武藤さんが里織さんから巻き上げていたお金はどこへ渡っていたのだろうか。
「じゃあさらにお願い、二つだけ教えて」
高野さんは、ぱん、と手を力強く合わせて深く頭を下げた。
「里織さんは、山本のことを本当はどう思っていたの?それがわかるような記述はあった?」
「高野さんはいまだに現役記者なのに、一番聞きたいことがそれですか?普通犯行の動機に関することとか、犯行当日の行動が書いてなかったとか、もっと他にあると思いますけど」
「いまだに、は余計だ。まあまあ、そうなんだけどな」
「やっぱりお父さんだなあ、高野さん」
私はふふと笑って、口元に思わず手をやった。
「確かに山本さんの人生は寂しい思いをした人生だったかもしれないけれど、山本さんは、愛というものをちゃんと知っていたと思います。一文字一文字にそれが滲み出ていました。私が言うのはおこがましいかもしれませんが」
高野さんは、ニカッと笑った。
「…そうか。そうかそうか。もうあいつのことで新しく記事を書くこともないだろうから、それだけ再確認できれば十分だ。記者としては失格だけどな。それからもうひとつ」
高野さんは、私の左手を指差した。
「その婚約指輪の相手がここに書いてある乃木先輩だったら、俺的にはもう少し女ってものを信じていいかなって思ってるんだけど」
高野さん自らが、さっとこの重い空気を変えてくれた。なるほど大人だ。
「高野さん、女性を信じてないんですか。意外ですね」
「うるさい。里織さんへの手紙も見せてくれないくせに。正直に答えろ」
高野さんは嬉しそうに怒った。
「乃木先輩とは、あれからもう10回以上喧嘩別れしてますね。これからもまだまだ記録更新するんじゃないかと思います」
「あっそ。それくらい仲良かったら、もう熟年夫婦レベルだな」
ニヤニヤする高野さんを優しく睨んでいたら、思い出した。
「あ、それから」
私は慌てて椅子に座り直してお辞儀をした。
「ライバル社なんですけど、この度出版社に内定をいただきました。来年からは、よしなに」
「な、や、あ、そう!やっぱりね。東郷さんはそう来ると思ってたよ。文屋になるのかなって。うん、俺のカンもまだまだ現役だな。いけるいける」
「ありがとうございます。私も高野さんみたいな記者になれるよう頑張ります。って、配属は分かりませんけど」
「そっか。ま、お互いがんばろーぜ」
私たちは、机越しに握手をした。高野さんがぐっと握った手に力をこめた。
「なんですか、これ」
違和感を感じて、てのひらを見る。小さな写真。プリクラだ。いや、違う。プリクラサイズの写真のコピー?
「大学の時のプリクラだってよ。4年位前かな、里織さんの友達からもらったものをカラーコピーした。あいつがプリクラとか笑っちゃうよな。…ちょっと古くてピントが甘いけど、いい笑顔だろ。前は写真ダメって言ったけど、今回は特別に東郷さんにあげるよ。手紙のお礼」
「…ありがとうございます」
「これから、雑司が谷霊園?」
「はい、今日七回忌なので」
「だよな。じゃ。あいつによろしく」
軽く敬礼を飛ばし、高野さんはコピー用紙とともに颯爽と社内に消えていった。
私は、しばらく写真に目を合わせないようにソワソワと挙動不審にしていたが、受付の女性に優しく促されて慌ててテーブルを立った。
玄関先から出たものの、ジャケットとカバンを左腕に、右手に写真を持ったまま立ち尽くしてしまった。道ゆく人には、持ち込み作品を編集者に酷評されて絶望するスーツ姿の漫画家にでも見えたかもしれない。
埃の舞う風に促されて、仕方なくジャケットを着た。だけど、ポケットに一度突っ込んだ汗ばみつつある右手に神経が集中する。
私は大きく一呼吸して、ゆっくりと右手を開いた。
そこには、若い顔立ちのはにかんだ山本さんと、同じように照れながら可愛い笑顔で笑う里織さんらしき女性がいた。笑った山本さんを見るのは初めてだった。再確認、と言った高野さんの意味がわかった。それにしても。
「私はラブレターなんかで女の子は落とせないとずっと思っていたけど、山本さんはやっぱりすごいですね。こんなにいい笑顔で」
…まるで中学生が考えたような、苦し紛れのパラドックス。
山本さんや里織さん、高野さんに取ってはこの写真はすでにただの過去なのかもしれない。でも、私に取っては一番新しく知った山本さんの過去なのだ。
恥ずかしい独り言を呟いた自分を誤魔化すように、私は地下鉄の入り口に向かって颯爽と歩き始めた。
アンプラグド・メッセージ 倉橋刀心 @Toushin-Kurahashi
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