第21話 アンプラグド・ラブレター

「里織へ。

俺は、今まで自分はずっとお前のことを憎んでいると思っていた。

俺を憎み、俺を必要とする女を手元に置いておきたかっただけだと自分に信じ込ませていた。

そしてお前も貢いでくれる男をキープしたかっただけで、お互い様だと思っていた。

あの時最期にお前が言った言葉を、今でも何度も夢に見る。確かにそうだ。お前は間違っていない。

俺は、お前に愛していると一度も言ったことがなかった。

そして、武藤が俺に言ったことも多分間違ってはいないだろう。

最近、お前と同じ名前の女子高生が、俺に恋愛相談をしてくるんだ。

この俺にだよ。お前なら鼻で笑うだろうな。

でもその子は、人を好きになるということはどういうことかを教えてくれた。

だから俺は、自分自身の本当の気持ちに気づくことができたんだ。

俺は今まで気づかないふりをして、お前の笑顔をこっそり見ていた。

お前の可愛らしい仕草を隣で目を細めてずっと見ていたよ。

言えない言葉をずっと胸の中深くに溜め込んで、他の男からの愛に応えるお前にずっと嫉妬していた。でも今、やっと言える。


里織、お前を愛してる。


出会った時からずっとお前を愛しているよ。だからもう許してほしいなんて言わない。お前は俺に酷いことを沢山したし、俺もお前にそれ以上の復讐をした。できるなら、あの世でまた寂しい者同士、二人で喧嘩し合おう。指輪をしたまま裸で泣いていたあの時のお前を抱きしめたい。だからそれまで、あともう少しだからそこで待っていてくれ」


ふー。と一息、乃木先輩はゆっくりと顔を上げて息をついた。昨日の雪が積もって校舎全体が太陽を反射して明るい。私と先輩は誰もいない三年生の教室の椅子に並んで座りながら、私の作ったお弁当を二人で食べていた。初めての先輩の教室にドキドキした。もうすぐ卒業なんだ。三年生はもう卒業のカウントダウン。登校する理由もなく、授業はなかった。一年生の私は、学期末テストを来週に控え、午後の授業はなし。本当は家で勉強しなくちゃいけない時間帯なんだけど…。どうしても乃木先輩にこの手紙を読んでももらいたくて、お弁当を餌に呼び出した。美味しいって言ってくれるのが嬉しくて、なんでもっと早く先輩にお弁当を作ってこなかったのかなと後悔した。


「これは〝あり〟なんじゃないの。りおが嫌いな、直接渡さないラブレターだけどさ」

乃木先輩は読み終えた手紙を丁寧に折りたたみ返して、私に渡してくれた。私は先輩の肩を肩で押して、無言の抗議をした。

「まあそうだね。でも、こういう形でしか、里織さんには思いを伝えられなかったんだよね」

私も丁寧に新しい封筒を用意して、汚れないように、折れないように気を使いながら便箋を中に入れた。

「この手紙は検事さんを通さなくちゃダメかもしれない。〝里織さんがあの時最期に言った言葉〟って言うのを警察が知っているのか、私は知らないから。指輪というのだって結婚指輪かわからないし。拘置所が送ってきたってことは検閲的に問題ないのかもしれないけど、まあ一応ね。それで検事さん経由で、そのあとに里織さんのご両親に渡してほしいってお願いしようと思ってる。里織さんのご両親からまた里織さんに渡してもらうの。どういう形になるかわからないけど」

「俺のラブレターを渡すのは断ったのに、このラブレターは渡してあげるわけね、りおは」

私はちょっとムッとした。

「ポリシーは時と場合によって変えるべきじゃないってわかってるんだけど。今回は私が山本さんのためにしたいと思ったからいいの!」

「まあ、そのネグレストの親と弟には全然伝わらないかもしれないけど、だからって渡さないってのもないしな」

私はこくりと頷いて、唇をぎゅっと噛み締めた。そう、これを渡すことに意味がないかを決めるのは、私じゃない。

「私、山本さんの一人称が俺って手紙を初めて読んだんだ。僕、ではないんだよね。やっぱり俺、なんだよ。これだけで、もうなんと言うかすごく思いが伝わってくるの。手書きの1文字1文字に気持ちがこもっていて。ここの〝仕草〟とか、〝愛〟なんて、すごく丁寧に書いてるってわかるよね。この払うところとか見てよ」

先輩は黙って頷いた。

「手紙って、文字ごと、会えない人への思いが込められた大事なメッセージなんだね」


先輩は優しい笑顔で、そう言った私の頭をそっと撫でた。嫌な気は全くしなかった。いつもは誰かに頭を撫でられるなんて、死ぬほど嫌なのに。

「…でもすげえな、山本さん。なんで手紙送ったこと平気で言っちゃうかな。結局到底、かなわない人だったんだな」

先輩は言いながら、箸で唐揚げを一つ口に放り込む。今日も美味しくできた竜田揚げ。

「あの、ところで先輩、一昨日の入試どうでした?やっぱり難しかったですか?」

「え、何、突然聞くなよ。完璧に決まってんだろ」

むぐむぐと口に唐揚げを頬張りながら慌ててる先輩も可愛い。

「あと、わかってると思うけど、話題をそらしても俺はちゃんと戻ってくるタイプの男だからな。ちゃんと謝らせてくれ」

ああ。恥ずかしいから何とか話を逸らしたのに。聡い男の人も、なかなか面倒だ。

「…手紙のことは、本当にごめん。あの時は若気の至りだったし、このことは墓場まで持っていくつもりだった。まあ、今も勿論若いけどな。もうお前と会えないかもって思ってたから、せめてあの人にはお前を傷つけないでくれって頼みたかったんだ。結構、嫉妬心見え見えだったのが恥ずかしい」

私は少し怒ったふりをして、これ見よがしにそっぽを向いて見せた。恥ずかしいから、そのことはもう話したくなかったのに。

先輩の手が私の顎を掴んで、ぐいっと顔を向けさせた。目が合う。ああ、負けてしまう。

「今でも、その、山本さんのこと好きなのか」

私は少し視線を落とした。

「…好きだよ。一度本気で好きになった人を、嫌いになんてなれないし」

「そうか。そうだよな…俺はもう一生山本さんには勝てないんだ」

私は、山本さんにも乃木先輩にも一生勝てないよ。

「でも今、私には彼氏がいるから。来月から遠距離確定のワガママ彼氏がね」

むに、とそのまま両頬を掴まれた。私は真っ赤になったまま、情けないタコ顔になる。

「今なんとおっしゃいましたかな?お嬢。はは、ウケるこの顔。お前ってほんと」

「へんぱいはほんとうにわらしのことが好きなんれすか?しんりられまへん」

「あ、すいまへん」

そして私たちは、竜田揚げを口に頬張ったまま、お互いの頬をつかみ合ってひとしきり笑った。

「もうすぐバルセロナだけど…その…先輩、何でもいうこと聞く券はいつ使うの?」

意味、伝わるだろうか。気がつかなかったら、まあ、気がつかないままでいてくれるといいんだけど。

「え?あれには有効期限書いてなかったし、今使うのはもったいないからね。ここぞって時用に取っておくよ。もう使い道は決めてるけどな。りおは券を使って欲しいの?何に?」

ニヤニヤしながら先輩がお茶を流し込む。

「いえ、あの。何ってことはないんですけど…」

挙動不審な私は、虚をつかれてあっという間に床に寝かされてしまった。腰に手を当てられ、まるでスローモーションのように、まるで社交ダンスの型のように、スカートのプリーツさえも先輩の誘導に従ったみたいに、美しく床に背中をつけた。その上に、覆いかぶさる先輩。前髪も私に向かって美しく乱れる。

「前にも言っただろ?券を使わなくてもエロいことはちゃんとするから安心しろって。学校で、しかも二人とも制服でとか、もう男のロマンしかないだろ」

腕立て伏せのように顔が近づいて、唇が触れる寸前でギリギリ両手を先輩の顔に押し当てた。

「もう少し、女のロマンも考慮してください」

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