第20話 最期のリクエスト

「りおさん

僕は残念ながら、僕自身のために罪を償います。ごめんなさい。僕自身の喪失が贖罪そのものなのです。それは事件の日に自殺しようとした気持ちと未だ変わりません。しかも社会は僕と同じように、僕が死を持って罪を償うことを望んでいます。法は社会のために僕を裁き、死刑を執行する。今後、楽しい体験も悲しい思いも僕に禁止させることで、社会は僕の贖罪を一応は受け入れるのです。でも僕は今までに拘置所でたくさん考えることができたし、悲しんだり、辛い思いをすることもできた。僕自身は社会のために死刑になるわけじゃなく、法を使って自害するのです。我儘で独りよがりですよね。でもそれが人間の本質なのです。今、拘置所で大量の死刑執行が近々行われると噂が流れています。そのリストに僕の名前が入っているのは確実で、もしかしてこれが最期の手紙になるかもしれません。実は7月に乃木先輩から手紙をもらいました。彼の手紙は短かったけれど、りおさんのために最期まで立派な大人でいてくれと書かれていました。どう言う意味なのかすぐにわかりました。彼は本当にりおさんが好きなのですね。僕は今更誰かに願い事をされるなんて思わなくて、とてもびっくりしました。本当に嬉しかった。この手紙のことを君に絶対に言わないで欲しいと書かれていたけれど、僕は立派な大人ではないので仕方ありません。でも、少しは君の役に立てると思います。乃木先輩と話しなさい。そして、自分の今の素直な気持ちを伝えなさい。それが、我儘で独りよがりな僕からの多分最期のリクエストです。お二人でお幸せに。今まで本当にありがとう」


さいご、の漢字をあの人が間違えるわけがない。山本さんは最後ではなく「最期」のリクエストだと書いたのだ。

今の今まで全く知らなかった。乃木先輩が、山本さんに手紙を送っていたなんて。

山本さん、私はちゃんと乃木先輩に自分の気持ちを伝えたよ。ちゃんと二人で話せたよ。

うっすらと周りの景色が滲んでいたけれど、口に当てていた両手を解いて、無理矢理に眠いような演技をしつつ目を拭った。そして私は、無言で心配そうにキッチンからチラ見しているお母さんに笑顔を見せた。

山本さんは、二人の人間の未来と希望、絶望、全ての可能性と思いをその手で奪った。この罪は決して許される罪ではない。しかし、山本さんはきちんと罪を償った。法の裁きを受け入れ、自分自身の喪失を持って贖罪を全うした。山本さんの苦しみはもう終わったんだね。殺された被害者に関わった全ての人の苦しみはこれからもずっと続くけれど。それが犯罪というものなのだ。私は3人の冥福を祈って、コタツの中でゆっくりと手を合わせた。


不思議なことに、さらに他の手紙があるようだった。折ってある束が二つになっていたけれど、最初の手紙は完結していたから、てっきりまた何か勉強に関する表とか箇条書きの説明文だと勘違いしてしまった。文字が連なっているのが見えて、慌てて二つ目の便箋の束も開ける。中身は、相変わらず美しい縦書きの鉛筆文字の手紙だった。


「里織へ。

俺は、今まで自分はずっとお前のことを憎んでいると思っていた。

俺を憎み、俺を必要とする女を手元に置いておきたかっただけだと自分に信じ込ませていた」


な…にこれ。これは…里織さんに当てた手紙だ。なぜ、これが私の手元に?刑務官が間違えたのか?いや、これは自身が殺した奥さんに向けた手紙なのだ。誰も間違えたわけではない。でも…これは、私が読んでもいいものなのか。

暫く手を止めて、便箋を伏せて悩んだ。

「お母さん。私、この2枚目の手紙を読んでもいい人間だと思う?」

私は、こたつの布団を顔まで上げながら、何か手持ち無沙汰に料理を作り始めたお母さんの背中に話かけた。

「何を言ってるの。それは山本さんがあなたに送った手紙でしょ。山本さんがあなたに読んで欲しくて書いたものよ。りお以外に誰が読む権利があるのよ」

言って欲しい言葉をそのままくれたお母さんにホッとした。

「まあ私が…最初に封を開けて全部読んでしまったことは本当に悪いと思ってるわ。でも、こうするしか仕方がなかった。あの時あなたは病院で毎日泣いて食事もできない状態だったし」

「うん、そうだね。多分あの時に読んでいたら、私はもっとおかしくなってたかもしれない」

だからと言って、今の私が受け入れられる内容なのかはわからない。

私は立ち上がって、玄関のドアを開けて通路へ出た。吐く息が白い湯気になっていく様を楽しみながら、アパートに吹き付けてくる大粒の雪を素手で掴むと、様々な雪の結晶が手のひらに乗ってきては溶けて消えた。ぎゅっと握ると、手のひらがすっごく赤くなる。かすかに濡れた感触とともに、自分の決心も朧げながらつかめたような気持ちになった。

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