第19話 封印された手紙
その二ヶ月後、私の手元に思いも寄らない手紙が届いた。
お父さんの命日で昼間にお墓まいりに行ったある冬の日のこと。夜から大雪になるとの天気予報に、翌日の大学入試を控えた受験生がやきもきしていた夜。私は暖かい鍋を食べ終えてコタツでぬくぬくしていた。もうきちんと食事が取れるようになり、味覚も依然と変わらないほど戻っていた。手が黄色くなるほど、無駄にみかんが美味しい。墓前のお父さんに色々報告して、充実した気分の1日だった。入試の前日だから、先輩に連絡を控えようと特に長目のメッセージのやり取りもしていなかった。
食事の用意からなんとなくそわそわしていたお母さんが、洗い物を終えると、何か言いたそうに、意を決してコタツの前に座った。
「なんで中に入らないの?寒くない?」
「りお。今日はお母さん、あなたに謝りたいことがあるの」
突然のお母さんの真剣な口調に、私は怯えた。
「え、お母さん…もしかして再婚?やだ、嘘でしょ?」
「もう、違うわよ。これ」
コタツの上に置かれた一通の手紙。
これは…この封筒はすぐにわかった。これは、山本さんの手紙だ。
「なにこれ。どこかに落ちてた?」
お母さんは、静かにそしてちょっと後ろめたそうに目をそらしながら言い訳をし始めた。
「違うの。これはあなたがまだ読んでいない手紙よ。ほら、もう、あなたも落ち着いてるし、今日はお父さんの命日でしょ?だから、あなたにずっと隠しておいた手紙を渡して謝ろうと思って」
私はすうっと血の気が引いた。本当に頭から血の気が潮のようにスルスルと引いたのだ。後ろに強い引力を感じて、もう少しで倒れてしまいところだった。
「これは、あなたが去年倒れた日のすぐ後くらいにポストに届いていたものなの。私は拘置所からの手紙なんて初めてで不安になったし、あなたは入院中だったし、怖くて怖くて、すぐに中を開けて読んでしまったの。ごめんなさい」
慌てて切手の消印を見た。薄いインクで読みにくいけど、確かに去年の9月1日になっていた。
「お母さん、中、私より先に読んだんだね」
思い切り声が震えた。でも、私は無理やり笑顔で言った。
「本当にごめんなさい。今日お墓の前でお父さんに凄く怒られた気がして。娘を信じられなかった弱い母親でごめんなさい」
私は俯いたままのお母さんの腕を優しくゆさぶった。
「ごめんね大丈夫。私こそ、ずっと秘密にしててごめんね。当たり前だよ、私がお母さんの立場だったらお母さんと同じことするよ」
何度この言葉を口にしただろう。お母さんにとっての魔法の言葉。私はそしてこれからも、一生この呪文を唱え続けるだろう。
母は私が倒れた日の一週間後、すっかり忘れていた自宅の集合ポストを久しぶりに開け、見慣れない白封筒を発見する。宛名は確かに自分の娘。差出人は、東京拘置所に住所を持つ知らない名前の男だった。拘置所、という一般人にはまるで縁のない場所に恐怖と不安を抱き、母は封をためらわず開けた。進展にはなっていなかったが、なっていても結局は開けただろう。何せ成人前の一人娘だ。自分の知らないところで何が起きているのか、母親として知る義務がある。その前日にも、娘が時折話していた同じ高校の先輩とやらにも話を聞いていた。先輩は、自分が悪いとしきりに自身を責めており、後日詳しい話を聞く必要があった。話の内容によっては、母親として大人として法的に動かなくてはいけないかもしれない、とまで鼻息荒く考えていた。そして手紙を読んだ後、混乱して即座に男の名前をネットで検索した。そして母は、自分の娘が倒れた本当の理由をネットのニュースで知ることになる。
その後、入院中の娘本人から、実は高校受験の時からこの死刑囚と文通をしており、今までもらった手紙と今まで自分が送った手紙をコピーして習字バッグの中に隠しているから、押入れから探して持ってきてくれないかと頼まれた。母は、その時に最期の手紙の存在を黙っていた。あまりにショッキングな内容から、それは暫定だが得策のように思えた。母として、保護者として、正義感を持つ社会の一員として。
執行前々日に書かれ、前日に投函された死刑囚からの手紙はこのようにして母の愛情の元に隠され、封印された。
母は自分の預かりしれないところで、雑誌の記者が娘に接触していた、という事実にも驚いた。その記者自身が、娘が倒れて二週間後、文通の事実を打ち明けられた三日後に母親に直接連絡を取ったことで発覚した。記者は拘置所から手紙を受け取ってはいないかと執拗に聞き、お母さんはそんなものは見たことがありませんと突っぱねた。私は高野さんの訪問も知らされていなかった。手紙を送った高野さんからのお礼状にも、全くそのことは書かれていなかった。
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