第18話 穏やかな日々

その後、私は約束を守るために、いくつかの手紙をコピーして高野さんのもとへ送った。あまり関係のないことや私の個人的なことが書いてあることを抜かすと、あまり選択肢はなかったが、それでも高野さんからお礼状が来るほどには役に立ったらしい。しばらくして、最後の山本さんの記事が高野さんによって執筆され、下世話な記事を書いて炎上させるタイプの週刊誌に〝死刑執行された殺人犯の意外な一面〟と言うタイトルで掲載された。大きな記事ではなかったのと、私とのやり取りだったことは伏されていた。高野さんなりのケジメを感じた。高野さんの中で山本さんの事件は終わったのかもしれない。私はその記事の中で、山本さんの希望で遺体が検体に回されたことを知った。山本さんらしいと心から思った。


そして乃木先輩は、進路を正式に建築科に変更すると担任の先生に告げ、そして海外へ行くことも報告した。

私の2学期の中間テストは入院直後もあってまたまた散々な結果だったけど、れいかが予想以上に私をサポートしてくれたんで、なんとか奨学金保持の点数は保てた。

「あれから玲先輩とうまく言ってる?」

「うん。玲ちゃん、弁護士さんになるんだって。凄くない?でも毎日勉強してて、なかなか遊んでくれない。つまんない。襲ってくれない。この前、喧嘩して2日顔見てない」

ちゃん付けで呼んでるなんて知らなかった。しかも意外なほどの高スペック。どこぞの王子だ。

「私、れいかのことが本気で心配になってきた。まだ綺麗な身体だよね?遊ばれてないよね?あんなチャラチャラした男が弁護士とか、ちょっと信じられないよ。大丈夫なの?」

「りお」

れいかが真剣に私を見た。

「玲ちゃんの悪口言っていいのは、彼女の私だけだから」

それを聞いて、衝撃を受けた。私はうんうんと心の底から嬉しくなった。れいかと玲先輩は、私が想像してる以上に、お似合いなのかもしれない。

「そうだよね。ごめん」

「そうだよ」

「うん」

「うん」

「幸せそうだね」

「うん。りおもね」

「お互い奥手な彼氏持って、大変だよね」

二人して、声を上げて笑いあった。

玲先輩は影の策士だった。その人の本質は、その人の友達を見ればわかる気がする。大好きな智樹のために、憎まれ役を買ってくれる親友。そんな親友がいる人を好きになって、そんな親友と私の親友は付き合っている。れいかにそんな人の彼女が務まるのかなと逆に心配になったけど、そのれいかと玲先輩が、のちに私を頼って駆け落ちするのは、またそれからずっとずっとずっと後の話になる。


乃木先輩は、そのあとからもの凄く勉強した。私の身体と心を気遣いながら、旧帝大の工学部を目指し始めた。この時期に進路変更できるレベルがとても私には信じられなかった。理科Ⅰ類、理科Ⅱ類等のどこかの科類に合格するべく、猛烈に勉強を始めたのだ。

10月の乃木先輩の誕生日に、私も、先輩に何か役に立てることはないかと思って、以前に山本さんにもらった勉強法をまとめて先輩に渡してみた。こんなお金のかからない、色気のないプレゼントでごめんなさい、と言いながら。そして、もう一つ。

先輩がもし、なんでも言うこと聞く券をもらったら、何に使いますか?と聞いた。

ハッと渡した勉強法ノートから素早く顔を上げて、そのまま私ではなく空を仰いだ先輩。キラリと瞳の奥が輝き、期待でいっぱいになった横顔は、なぜかとても可愛かった。

言いどもりながら『計画を練って…それでも理性に…いや我慢できなくて実力行使をしたい時に…』と言うので、その場で私は封筒から丁寧に厚紙で作った券を取り出し、ボールペンで書き足した。〝コメ。ただしいやらしいことには使用禁止〟。

これに対する決め台詞があまりにも酷かった。

「まあ、この券を使わないだけで、いやらしいことをするにはするさ。だって俺、花も恥じらう男子高校生だもん」


高校受験と大学受験は違うと思うけれど、乃木先輩はうまく使えそうな方法だけピックアップして、あっという間に自分のものにしてしまった。

球技大会では、捻挫をしつつもバレーボールでクラス優勝をしてしまうくらい活躍した。私は、未だにそんな先輩が、自分の彼氏だなんて、自分のことを好きって言ってくれるなんて心底信じてなかった。

文化祭では、私のクラスは和風カフェと題して、浴衣で和風メニューを出した。料理の腕を見込まれた私は、調理班として裏方にまわり、乃木先輩にエプロン姿だけじゃ物足りないと怒られた。れいかはれいかで可愛いミニスカートの浴衣を玲先輩に『脚見せすぎ!』とこちらも怒られた。

先輩のクラスはお化け屋敷で、リアルなお岩さんならぬ乃木先輩の岩男さんの恐怖が伝説になる程に恐れられた。その時に撮った四人の写真は、私の一生の宝物になった。

二学期の期末テストは私も凄く頑張ったし、クリスマスは少しだけバイトを減らして、乃木先輩と都心のイルミネーションを見に行った。お正月には予備校で忙しい乃木先輩たちの代わりに、レイナと二人で着物を着て初詣に行った。お母さんが着付けてくれたウールの着物とれいかが結ってくれた髪を見せたくて、写真を送った。玲先輩と二人で写真に発狂している動画が返事で送られてきて、れいかとお腹を抱えて笑った。


私は、三学期になってすぐに提出した進路相談の用紙に、四谷にある国際色豊かな大学の『新聞学科』を第一希望に書いた。奨学金制度をもっと詳しく調べて、ジャーナリストを目指したいと書いた。提出時に職員室で、相変わらず何か言いたそうな担任の福ちゃんに他の先生にわざわざ見えるように深々と頭を下げた。先生方に頑張ってね、と応援されて外堀をきちんと埋めた。これで福ちゃんは面倒臭がらずに少しは協力してくれるだろう。

問題は乃木先輩だった。乃木先輩にももちろん報告したが、あまり驚いてくれなかった。驚いてくれないことに驚いた。

「だって、普通に考えたらりおは物書きだろ。ニコマーク」

金曜日の夜、10時。まあ、勉強してるだろうから、あまり電話して時間を取らせたくなかった。

「えー。普通ねえ。でも普通って、女の子はレーズン食べないらしいし…」

私は上目遣いで悲しそうな表情のスタンプを送った。

「だーわかった、言い方間違えました!自然に考えたら、お前が何か文章を書く仕事に就きたいって考えるだろうなって思っただけ!だから驚かなかったの!…やりたいこと、見つかってよかったな」

ガッツポーズのプロレスラーのスタンプに笑ってしまったけど、そうか、私が気がつく前に乃木先輩は気づいていたのか。意外にも自分の知らない自分を見ていてくれたことに、また驚いてしまった。

乃木先輩は、いつも私を驚かせてくれる。私は布団の上で足をばたつかせて埃を立て、お母さんに思い切り怒られた。乃木先輩が遠くに行ってしまうという現実を、少しずつ容認してきた頃だった。

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