第15話 愛を知らない男

高野さんが知っている山本さんは、里織さんとの出会いまで遡る。

中学一年生の時に事業の失敗で父親に逃げられた山本さんは、人を信じることをこの時にやめた。専業主婦だった母親は何もできず、ただ毎日泣いているだけの人だった。しかし山本さんが中卒で就職を考えたのは、決して母親のためではないと言うのが証人尋問から伺えたと言う。就職して、息子にすがろうとする母親から逃げたかったのだと言う。

そして学校でも無口で誰とも関わりを持とうとしなかった山本さんが、なぜか同じクラスの女生徒に積極的な干渉を受けることになる。それが里織さん、のちに奥さんとなるりおさんだ。

里織さんは、正直あまり頭が良くなかった。勉強が苦手でちょっと派手な女の子。スカート丈が短いと何度も生徒指導の先生に呼び出され、反省してますと言いながら背を向けて愛嬌良く舌を出していたらしい。その里織さんは、しばらくしてメキメキと成績が上がった山本さんに目をつけた。勉強が自分の将来を決めると担任に諭された山本さんは、すでに二年生の時に頭角を表していた。地味で目立たなかった教室の隅の男子が、急に成績をあげて学年一番になった。ずっとトップだった生徒会長に随分と点数で差をつけて。その頃には、地味な雰囲気は消え、同じ制服を着ていながら山本さんは凛々しい顔をしていたと言う。これは当時の里織さんが友達が語ったとされる山本さんの印象だ。里織さんは、即座に山本さんに迫った。最初は迷惑そうにしていた山本さんだったが、次第に里織さんに心を許し、勉強を教えるようになった。そして里織さんと付き合うようになった。告白は山本さんからだったと言う。ああ、悪い女の受け身アプローチに乗っちゃったんだね、ダメな山本さん。


ここで、高野さんは言い淀んだ。

「死んだ人の悪口を言うわけじゃないけど、里織さんはその時他にも彼氏がいた」

「え」

思わず声が出た。

「山本はそれを知っていた。知っていて、見ないふりをしたんだ。そして高校が別々になって、二人の付き合いは一度途絶えた。自然消滅じゃないよ。里織さんは底辺といえども無事に高校に入学したから、もう山本は必要ないと思ったのかもしれない。里織さんは山本を振った後の高校生活で合計4人の男性と付き合い、そして高二の夏に一度中絶している」

いやだ。そんな人、山本さんには釣り合わない。山本さんにはもっと…お似合いの女性がきっといたはずなのに。清楚で、頭が良くて、山本さんをわかってくれる大人しい感じの美人が。山本さんは里織さんのどこに惹かれたのだろう?

「山本の高校時代は、中学時代と打って変わって、明るくなった。社交的で、誰からも好かれる好青年になった。女学生からはモテて、大変だったらしい。頭が良くて、ほら、あいつ元々顔もいいだろ。そりゃ女の子は放って置かないよなあ」

「あの…私、山本さんの顔見たことないんです」

私は、ちょっと恥ずかしそうに言った。高野さんは再び目を見開いた。この人は、自然にこう言う表情ができるんだ。私はほんのすこし笑った。人の心に切り込んでいかなくてはいけない仕事をするなら、これは必須特技と言っていいだろう。

高野さんは、慌てて何枚か写真をカバンから出してきた。

「見て、いいですか」

今まで、どうにか探そうと思えば探せたかもしれない、山本さんの顔。高野さんのファイルには、高校の卒業アルバムや結婚式の記念写真もあった。

私と同じ年代の頃の山本さん。高野さんの言っていることは嘘じゃなかった。小さな枠に閉じ込められた山本さんは険しい顔つきだけど、この顔がもし立体的に笑ったり、微笑みかけてくれたりしたらどうだろう。多分私も含め、今の女子高生でも夢中になってしまうだろう。とても凛々しく、そしてとても整った顔をしていた。どんな声なのだろうか。私は、写真に見入った。結婚式の記念写真もタキシードを着てキリリとした真顔で正面を向いていた。椅子に座る里織さんの肩に手を置いて。里織さんもウェディングドレスがとても良く似合う飛び切りの美人だった。この人が、山本さんの手によってこの世からすでにいない、という事実がとても不思議だった。

こういう写真は、一体どこから手に入れるのだろう。こんなにもプライベートなものなのに。写真は黄色いシミのある白い紙の枠にはめられていたが、フィルム写真なのだろうか、少し色あせていた。奥行きのある時間経過をひしひしと感じた。今まで想像していたタイプとは少し違っていたけれど、別な意味で凄くかっこよかった。凄く。凄く。無言で高野さんに自分の携帯を見せてみた。写真を手元に残したいと思ったが、首は横に振られた。その代わり、もう二度と見れないかもしれないその姿を、私はしっかりと目に刻んだ。

ちらりと3枚目の写真も見た。それは多分、逮捕直後の拘置所での写真だろう。頬がこけて、髪の長さは同じような感じだったけれど、結婚式の表情とは別人のようだった。一番今に近い写真なのに、見たいと言う気持ちにならなかった。

第一審で証言した〝毎日深夜まで働いてとうとう体調を崩し、ふらふらになりながら家に帰った直後、愛する奥さんと浮気相手の部下の不貞シーンを見せつけられ、その二人を泣きながらダムに落とし自殺を図った〟直後の顔なのだ。首筋にくっきりと紫色の跡が残っていて、私はリアルに気分が悪くなった。山本さんは、その後に一年前からの計画的犯行だったと証言を覆しているけど、それは多分本当のことじゃないと思う。凄く巧妙で理論的につじつまの合う計画だったらしいけれど、山本さんなら、手持ちの材料だけでそれくらいのことを考えるのは朝飯前だろう。とっさの悲劇を、自分が一年前から計画していたことにするなんて芸当は。

私はその写真は目を滑らせてなんとか記憶に残らないようにした。夢見る私には少し酷な、今の山本さんの現実だった。私はこの人を、この写真をじっくりと見据えた後でも好きだと言えるか、自信がなかった。

「ありがとうございます」

写真を返しながら、これ見よがしに腕時計を見る仕草をした。でも、高野さんに話を切り上げる気は到底なさそうだった。

「山本は、結局里織さんに戻った。大学の時に一人暮らしを始めた里織さんのアパートにストーカーがうろちょろし始めたんだ。貢いでもらえないとわかった途端に捨てた里織さんの元彼なんだけど、そいつはちょっと里織さんに仕返しをしたかったタイプのヤンチャな元彼でね」

「仕返しって、どんな。暴力?」

「女性にする仕返しなんて、安易に騒動できると思うけど。そいつは他人を使って、里織さんを集団でレイプしようとしたんだ。数年後に別件で大事件になる大学のレイプサークルだよ。里織さんはその助けをとっさに山本に求めた。里織さんがこの時襲われなければ、そして山本に連絡をしなければ、奴は奴なりに初恋を卒業して、次の恋愛に進めたかもしれないんだが…」

そんな酷いサークルがこの世に存在しているのか。私はスカートをギュッと掴んだ。湧き上がる吐き気を懸命に押さえた。

「まあとにかく、リベンジレイプは山本のおかげで未遂に終わった。これをきっかけに、山本と里織さんは再び付き合い始めた。この時山本はまだ大学生だったが、既に株を始めていて金に余裕があったようだ。不景気で株価も低迷していた時期にも関わらず、だよ。凄えよな。里織さんは、山本の貯金額を何かのきっかけで知った途端、今までのツレない態度を手のひらを返したように変えたんだね。山本の欲しがる里織さん自身を奴に与え、里織さんは代わりに金を手に入れた」

「随分酷い人ですね。結局浮気してたわけだし。こう言うのって情状酌量の対象になるんじゃないですか」

「まあ、事実だけをかいつまんで見れば確かに酷い女だが、里織さんにも隠された過去はあった。あの人は、昔から親に相手にされなかった放置子でね。中学、高校とヤンキーまがいだったけど、小学生時代は親は何も言わないどころか、食事もろくに与えてもらってなかった。4歳年下の弟がいるんだが、そいつが親の愛情をすべて持って行ってしまった。いわゆる長男教の被害者だ。両親も弟も、山本と里織さんの結婚式にも来なかったそうだよ」

複雑な気持ちになった。自分たちにとって必要じゃない放置子が誰かに殺された時、その親は何を思うのだろうか。

「里織さんも、自己愛を満たすために他の男にすがったんだろうな。沢山の男から愛されてると実感することで、自分は価値がある人間だとやっと思える、的な」

「山本さんは、浮気をしていたのは知っていたのになんで黙っていたんでしょうか?別れたくなかったから?」

「うーん、そこは俺にも正確にはわからない。山本は途中で巧みに証言を変えているからね。殺された浮気相手の武藤は、実はそんなに里織さんとは浮気回数は多くなかったようだ。しかし、こいつも曲者でさ。裏は未だ取れてないが、武藤は他の大学だったがそのレイプサークルに出入りしていたとの噂がある。里織さんがそれを知っていたのかはわからない。山本はどうだろう。もしかしてあの日に武藤が暴露したのかもしれない」

高野さんは、ふぅとため息をついた。

「俺の推測が正しければ、山本は単に浮気に逆上しただけじゃないって事になる。奴は童貞みたいに純粋なところもあるからな。あ、ごめん。女子高生に変な単語使っちゃった。セクハラだよね」

わかった。お父さんだ。この高野さんと言うおじさんは、まるで山本さんの保護者のような発言をするのだ。

「大丈夫です。女子高生の方がもっと際どい言葉使ってますよ」

私はコンビニで使う、社交辞令の笑顔で返した。童貞みたいに純粋な人は、私みたいなガキにも本当のことは言わない、と仮定するならば、高野さんの推理はあながち間違っていないのかもしれない。

高野さんは無言で逆Vサインを私に向けた。

「ダメだよね。ここ、学校だもんね」

「はい。校内は全て禁煙です。すみません」

「まあ、奴が君に自身のことをどう言う風に言っているか知らないが、結構自己申告とはギャップがあるんじゃないかな。男は得てしてカッコつけたがるもんでね。特に女の子の前ではなあ。山本は…」

高野さんは、言葉を切った。

「愛を知らない、ただの寂しい男だ」


沈黙が静かな会議室にとうとうと流れた。遠くで微かに踏切の金切音が聞こえる。

「山本さんが私に手紙をくれたのは、同じ名前を持つ奥さんへの贖罪の意味があったと言うことなんでしょうか」

私から話を進めた。どうしても聞きたいことがあった。なぜ私に返事をくれたのか。なぜ私にあそこまで丁寧に勉強を見てくれたのか。

「手紙の内容はまだ読んでないからわからんが、奥さんへの贖罪と言うより、どちらかと言うと自責の念にとらわれて何とかしたかったって気持ちの方が強いんじゃないかな」

「どう言うことですか?」

「山本は、自分を頼ってくる可愛い里織さんに夢中だったが、またそれ以上に頭が悪くて気分屋で浮気性の里織さんのことをどこかで見下していた。あの時、自分がこうしていれば、ああ答えていれば、里織さんを浮気に走らせることもなかったのにとね。もっと構ってやれば、里織さんに浮気に走るほど寂しい思いをさせなくて済んだんじゃないかと、思ってる気がしてさ。特に山本と里織さんは高校時代の三年間は離れ離れで一切連絡をとっていなかった。山本は東郷さんとの手紙のやり取りで、里織さんとの高校時代をやり直してるんじゃないだろうか。あくまでこれは、俺の推測だけど」

「高野さんは、まるで山本さんのお父さんみたいですね」

私はとうとう、口に出して言った。

山本さんのお父さんは、もうこの世にいないのだろうか。山本さんの知らない、山本さんを心配してくれるお父さんやお母さんたちは、今どのくらいこの世の中にいるんだろう。

「あいつの父親は、借金のかたにヤクザ闘争に巻き込まれて、多分殺されてる。弱みを握られてるヤクザの敵の陣地に突っ込んで会長さんを殺そうとして失敗、コンクリートで足を固められて、生きたまま広い太平洋にドボンだ。多分な」

「そう、なんですか」

「まあ、どれもこれも、完全な俺の推測だけどな」

高野さんは、苦笑いでカバンに手を伸ばした。

「嫌な話ばかりしちまったな。まあ、ゆっくり考えて。連絡先は、その名刺に書いてあるから、何かあったらメールでも電話でも連絡してよ。どっちにしろ、死刑執行は常に突然だからね。山本はすでに平均待機期間を過ぎている。明日に執行されてもおかしくはない状況なんだ。東郷さんもある程度は覚悟しておきなよ。法の下の裁きとはいえ、やっぱり心を通わせている人間が殺されるわけだから」

私は深々と頭を下げ、片手を上げて会議室を出て行く高野さんを見送った。頭を下げた拍子に前に出たペンダントをおもむろに隠しながら、私はため息をついた。

大人が切る政治的なカードに殺人犯が使われるとは。大人は人の命を平気でゲームに利用できるものなんだなと思った。

私は会議室の明かりも消さず、職員室にも寄らず、そのまま気分で勝手に校門まで出てきた。

…山本さんは、私で里織さんとの高校時代をやり直しているのか。

それでも私は構わなかった。私は里織さんじゃないし、今までのやり取りを思い出してみても、どこも不自然な文章は見当たらなかった。むしろ私自身に向けた言葉しかなかったと思う。私は山本さんじゃないからわからない。本人にもわからないかもしれないなら、私が気に病むことじゃない。

いつもより精神的にハードにバイトを終えた私は、足取り重く家に帰るのを少しためらった。あの公園まで遠回りをして、地面すれすれのブランコに腰掛けた。お母さんにはちょっと友達の家に寄ってから帰ると連絡した。


ペンダントをまた触った。初めてつけるアクセサリー。初めて人からもらったアクセサリー。お父さんの結婚指輪をいつもペンダント代わりにしているお母さんを昔は羨ましかったことを思い出した。

乃木先輩。私はどうすればいいのか。つけ始めてからまだ日は浅いのに、もう私はお母さんと同じように何かというとペンダントを触る癖がついてしまった。

そうこうしているうちに、ブランコは意外と高くまで漕げるものだとすぐに気がついた。加速をつければ、空まで足が届きそうだ。

これ以上悩んでも無駄だ。小さな賭けをしよう。もし、このスピードでうまく地面に着地できたら…明日乃木先輩と話をしよう。私の本当の思いを知ってもらおう。

タイミングを掴んで、私は両手を離した。身体がふわっと宙に浮いて、鉄パイプのギリギリ手前で両足から着地して、案の定滑って大げさにすっ転んだ。お尻を派手に地面にぶつけて、犬の散歩をしていたおばさんに笑われた。すっごく痛かったけど、私は泣かなかった。派手に地面に尻餅をついて、それを地球に強く背中を押されたこととして脳内変換した。

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