第14話 名前の一致
山本さんに関する不吉なニュースを聞いたのは、2学期が始まった翌日だった。
学校の門の外に変なおじさんがいる、と部活に向かう生徒から通報を受けた先生が職務質問(先生でもそんなことできるのか)をしたら、私の名前を出してきたと言う。私は教室で掃除を終え、乃木先輩から隠れながらまさにバイトに向かおうとしていた矢先に、初の校内放送での呼び出しを受けたのだった。私はまだ乃木先輩のことをどうするつもりなのか、どうしたいのか結論を出せずに、なんとか合わずに避けてやり過ごすつもりでいた。
その変なおじさんは、よく下世話な記事を書いて炎上させるタイプの週刊誌の記者だと自ら名乗り、職員室の隣の会議室で私と先生方に名刺を差し出した。
「先生はできればご遠慮していただきたいのですが…取材は守秘義務もありまして。お手数ではありますが、ご協力ください」
雑誌の記者がある日突然学校に来て、そちらの生徒に取材させてくれと言われたら、どう見ても私が何かやったと思うだろう。しかしこの記者は、この東郷りおさんだけが知っている証言を聞きたい、と色々と理由をつけて二人きりになりたがった。
学年主任と担任の福原は、でもでもだってと、まるで意思決定のできない依存症の人間みたいな言い訳を繰り返して私をイラつかせた。
私はこの時点で、この高野と言うおじさんが私に何を聞きたいのかがわかった。山本さんのことだ。先生方には笑顔で、人命救助で表彰された件だと思うので心配なさらずに、と言って二人を驚かせた。高野さんは目を見開いて何か言おうとしたが、目で制した。おじさんでも女子高生に目で押さえつけられることもあるんだ、と思ってさらにイライラした。先生方はニヤニヤしながら、ごゆっくり、と言って会議室から出て行った。さて、後でどうやってこの話をまとめるか。これは後でじっくり心配しなくてはならない。
高野さんは目の前のパイプイスに腰をかけて、私にも着席を勧めた。どっちが客なのか。
「山本死刑囚は、私と何度か交換した手紙に、ある女子高校生と文通していると書いた。その子は以前に中学生弁論大会で優勝したことがあると。最近の優勝者はラッキーなことに、男ばかりでね。2年前の弁論大会で優勝した東郷りおって子が、過去5年間の優勝者の紅一点だった。ネットはすぐに検索できて便利だね。そしてその子は、頑張ってるシングルマザーのために返済不要な奨学金を得て都内の偏差値高い公立学校に通っている。そして多分、今も山本と通じている。因みにこの情報は、ネットじゃないよ。大人の情報網ってやつだ」
私は努めて普通に高野さんを見つめた。この人が、もしかして私がネットで見つけた山本さんの記事を書いた人かもしれない。
「私からは事件のことを山本さんに聞いていないし、山本さんの方から手紙に書くこともありません」
「じゃあ、今まで文通した手紙、見せてもらえるかな」
「お断りします。完全プライベートな内容です。刑務官がチェックしているそうですし、法律違反をしている内容ではありませんから」
高野さんは、頭をかきかき、何か言葉を選んでいるようだった。
「もちろん、私は東郷さんが山本と法律に引っかかるようなやり取りをしてるとは思ってないよ。ただ、ね」
高野さんは、少し目を光らせるように目元にシワを寄せた。
「実は山本の死刑執行が近い、と言う噂が流れてる」
私の心臓が一瞬止まり、大きくつんのめった。すうっと頭の中に真っ白な煙のようなものが満ち溢れた。山本さんの死刑執行?
「…なに情報ですか。そんなことわかるんですか」
「ある程度はね。東郷さんも知っての通り、死刑執行と政治力ってのは切っても切り離せない繋がりがあるんだ。切れる有効カードってやつだね。今年の例の皇室行事で恩赦が行われて、悪い奴が減刑される前に執行するべきだって考えの政党もあってね。恩赦で死刑が減刑されるのは滅多にないことだけど、歴史上全くないってこともないから、さ」
「恩赦…」
そんなこと、今まで考えたこともなかった。確かに近々、皇室の祝い事がある。
「もし万が一山本が恩赦によって減刑されることになっても、山本は辞退するだろうな」
「そう…ですね」
「でも、そんなこと知ってるやつなんて、政治家の中にはいないだろ?死刑囚なんてのは、毎日どうやって今日この日を生き延びようかと思ってるやつらばっかりだと思ってるだろうよ」
高野さんはイスの後ろ脚だけで、シーソーのように揺れている。
「…さらに、最近では毎年12月の御用納め、官庁の仕事納めのことね、の直前に死刑執行がおこなわれる傾向もあるんだよね。どっちにしろ、今は死刑囚にとってやばい時期ってことだ」
高野さんはバランスをくずし、パイプイスごとひっくり返りそうになった。私は無視した。
「っと。俺は、東郷さんと山本のやり取りを世間に公表したくてここに来たわけじゃないんだ。そこは誤解しないでほしい。後、東郷さんの家に行かなかったのは、そっちの方が近所で噂になりやすいから。学校はうまく丸め込めるからね。さっきみたいなのもだし、弁論大会の記事って言っても良かったんだ」
高野さんは、いつの間にか俺呼びになっていた。こういうパターンはわかる。僕、が俺、になる時は心を許した人との会話に出てくるものだ。この人は、山本さんに心を許しているのだろうか。
「大丈夫です。弁論大会のテーマ、人命救助と表彰、ですから」
「あはは、そうか!流石だな!」
高野さんは大きな口を開けて笑った。根はいい人そうだった。でも悪い人ほど〝根はいい人〟と言われることも、私は知っていた。
「俺は山本の、山本なりを知りたいんだ。山本が東郷さんに心惹かれたのもわかる。同じ中学生だし、何しろ同じ名前だしな」
「同じ名前?」
私は何のことだかわからなかった。同じ名前?誰が誰と?
「山本の奥さんの名前だよ。りお。東郷さんと同じでしょ。山本と奥さんのりおさんは中学の時に出会ったから、俺は山本がりおさんとりおさんを重ねてるんだと思ってたけど」
高野さんはぽかんとしている私に焦ったのか、ボロボロの皮鞄から、何やら資料らしきものを取り出した。
「ほら、これ。東郷さんはひらがなでりおだけど、山本の奥さんは里織と書いてりおと読むんだ」
今の今まで全く知らなかった。確かに山本さんの奥さんの名前は何度か「目にした」ことはあった。でも、この里織と言う漢字をりお、と読ませるとは思わなかった。私が知っている事件の内容は全て活字だったし、読み仮名も特に付いていなかったから、私はずっと奥さんの名前はさおりだと思っていた。
「知らなかったのか」
「さおりさんだとばかり…」
高野さんは、なぜか申し訳ない表情になった。
「しまったな。俺はてっきり東郷さんが知っているものだと思ってたよ。山本は、奥さんの里織さんと中学時代に出会ってる。山本は知っての通り、頭が凄く良くてね。今ならアスペルガー症候群とか発達障害の可能性とかも調べるんだろうけど、当時は誰もそんなこと知らなかったしさ。それで、テストの点が悪かった同じクラスの里織さんは、山本に目をつけた。この話の続き、聞きたい?」
「聞きたいです、けど…やっぱり私は今までの山本さんとのやり取りを高野さんにお見せしたくないです」
高野さんは、うーんと唸って、それから会議室の天井を見た。私も一緒に天井を仰いだ、無数のつぶつぶが天井いっぱいに広がっていて、集合体恐怖症の人が見たら可哀想だな、と素直に思った。
「…手紙は一部を見せてもいいです。ただし、それを記事にして欲しくないですし、事前にチェックももちろんしたいです。約束が破られたら…他の雑誌にリークの事実と私が持ってる他の情報を売ります。その代わり、高野さんが今の時点で知ってること、全部教えてくれませんか」
「随分と詰めの甘い交渉だな。大人をすぐに信用しちゃダメだよ」
高野さんは笑いながら素直に私の提案に乗った。どっちにしろ、高野さんが知っていることは、今の世の中いくらでも調べられる内容だから秘密にしておくのは意味がないと言う。
私は高野さんが話を始める前に、バイト先に電話をして遅くなる旨を告げた。店長は訝しがったが、この前会った先輩に呼び止められて話があると言われたのでと言うと、急に二つ返事でオッケーが出た。店長は確実に私が玲先輩と付き合ってると思っているに違いなかった。
「これで、大丈夫です。お願いします」
高野さんはよいしょ、と声に出してパイプイスに改めて腰掛け直しゆっくりと話し始めた。男の人は、おじさんでも高校生でも皆よいしょ、と言うのだなと思うとなんだか気持ちが和らいだ。
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