第11話 付き合うための言い訳

8月に入ってから、玲先輩がコンビニにまた来た。コーヒー牛乳をカウンターに置いて、あの時と同じ笑顔を投げつけてくる。花火大会の翌日で、客はいつもより少ない午後の昼下がり。それでも外にいれば、汗が吹き出してくる暑さだった。

「バカ女、久し振り」

「…160円になります」

「また、待ってていいかな?今度は失礼なこと言わないから」

「今ので十分失礼ですし、私には話すこと何もありません」

「智樹が今、れいかちゃんに接近中。これでも?」

「……」

不意に出かけた言葉が早すぎて喉につっかえた。

「どう?」

「あと」

「うん?」

「あと1時間…」

「オッケー。反対側のファーストフードで待ってる。これ、差し入れ」

玲先輩は今買ったコーヒー牛乳を私にそのまま渡してきた。私の好きな、いつもの銘柄。乃木先輩が教えたのか。私は無言で受け取って、不安そうに玲先輩を見送った。


「さっきのそのまま言葉の通り。智樹が今、れいかちゃんに大接近中だよ」

ファーストフード店の2階で、私と玲先輩は向かい合って座った。何人の女性はチラチラと先輩を顔を赤らめた女子顔で見ている。居心地悪くていたたまれない。でも話は聞きたい。

「二人、付き合うことになったんですか」

「違うよ、でもお嬢はそう思いたいの?」

あからさまにムッとした顔をしたが、玲先輩にはこう言った無言の圧力は全然効果がないようだった。

「その呼び方していいのは乃木先輩だけですから。それより受験生がこんなところで油売ってていいんですか」

シェイクは美味しいけど嫌いだ。いつもストローに詰まって、れいかみたいに可愛く飲めない。玲先輩の前で可愛く飲むつもりも毛頭ないけど。玲先輩のお嬢呼びは癇に障る。

「おやおや、あからさまに所有物アピールですか。受験なんて余裕だし、油だって売れるんなら売るよ。買ってくれる人がいるようだからね」

「私、お金ないですよ」

所有物なんて。キッと玲先輩を睨んだ。乃木先輩にも同じことしたな、と胸の奥深くで懐かしく思い出しながら。

「そう噛みつくなよ。智樹はさ、あんたのこと全然諦めてないよ?今はというとね、れいかちゃんに彼氏を見つけて、お嬢が智樹と付き合うことに罪悪感を無くさせる作戦。略してOZN作戦遂行中」

「れいかが乃木先輩のこと好きって知ってて、そんな酷いことしてるんですか?!」

私は思わず声を荒げた。お店の客が全員私に振り向いた。

「落ち着けバカ女…これはれいかちゃんからの提案なんだよ。れいかちゃんは思ったより智樹のこと吹っ切ってるよ。だってれいかちゃんに智樹のどこがいいの?って聞いたら、顔。っていうんだもんさ、お兄さんたち拍子抜けだよ」

「だから、呼び方…。別にどこを好きになるかなんて、本人の勝手でしょう」

「そうそう。じゃあ智樹よりもっと顔がいい人はどう?って、勧めてるの」

と、玲先輩は、ほおずえをつきながら自分を指差した。私はさっと血の気が引いた。

「まさか、玲先輩、れいかを狙ってるんじゃ」

「狙ってるなんて。文章上手らしいのに、もっと言葉選んでね?れいかちゃん可愛いし、誰かさんみたいにこじらせてないし、とりあえずお試しでどうかなって思ってるところ。因みに銘柄指定のコーヒー牛乳もれいかちゃん情報。智樹じゃないからね」

「やめてください、れいかに近寄らないで。あんたみたいなのがれいかと付き合うなんて絶対許せない」

この男は、最初のイメージと全然違う。最初会った時はとても冷たい人に感じたのに。今は

ありえないほど、チャラすぎて怒りが湧いてくる。

「れいかちゃんがどんな男と付き合うかを、何であんたに指図されなきゃなんねえの」

ド正論で言い返せない。言葉が出ない。

「れいかちゃんの彼氏をあんたが指図できないと同じように、あんたの彼氏も誰にも指図されるもんじゃないよな?智樹は、あんたがれいかちゃんに遠慮して振られたってことをれいかちゃんから聞いたんだ。あいつは優しいよな、ほんと。優しいから、責める代わりに〝あんたが智樹と付き合う言い訳〟を作ろうとしてるんだ。優しいよな、あいつほんと。バカ女、この意味わかる?」

「わかりません」

玲先輩はコーヒーの紙コップをくるくる回しながら、そのスピードに乗って滑るようにゆっくりと語りかけるように話してくれた。

「れいかちゃんが智樹を吹っ切って別の彼氏と付き合えば、お嬢のれいかちゃんに対する罪悪感はとりあえずなくなるよな。智樹はね、コレコレだから仕方なかった、アレアレだからしょうがなくこうなったって、あんたの意志じゃないけど智樹としょうがなーく付き合ってあげてるってテイをあんたに作ってあげようとしてるんだ。智樹はそれでいいって言ってんだよ、優しいよなあ。俺はまず無理だよ」

乃木先輩がやろうとしていることが全然わからない。

「だからって、あんたとれいかが付き合うなんて…」

「俺は、智樹の話抜きにして、れいかちゃんが可愛いと思った。天然のれいかちゃんと話してて楽しいなと思った。もっとれいかちゃんを知りたくなった。命を捧げられるほどじゃまだないけど、俺は今れいかちゃんに興味を持ってる。そしてれいかちゃんもまんざらじゃないって言ってくれてる。十分でしょ。高校生の恋愛なら」

私は何も言えなかった。確かに、私に他人の気持ちをどうこう言う権利はない。

「今あんたが考えなくちゃいけないのは〝引っかかっていた罪悪感が無事解消された後、改めて智樹と付き合えるか否か〟だよ。ああー俺も大概優しいよなあ。智樹とは長い付き合いだし、本当ならバカ女なんかと付き合うなんてありえないんだけど、あんなに弱ってる智樹、流石に見てらんなくてさ。あんた、智樹にどんな魔法かけたの?」

私はそれでも黙っていた。この人が最初に見せた冷たい印象は、やっぱり私に対する嫉妬だったんだって、この時に確信した。私もまた…同じようにこの人に嫉妬心を見せているのかもしれない。私のれいかを取らないでっていう暗黙の。

「あんたが智樹と付き合う言い訳っていうのは、罪悪感を取り除くってことだけじゃないみたいだから、まあせいぜい気をつけな。既成事実作りって手もあるんだぜ。あんたにもまだ智樹に情が残ってんなら、上手く乗ってやんなよ。騙されたふりすりゃいいんだよ。バカなあんたも少しは脳みそ機能してんなら、それくらい簡単だろ?」


私は確かにこじらせていた。れいかが玲先輩と付き合ったら、確かに私がこだわっていた罪悪感はなくなると思う。でも、じゃあそれで乃木先輩と付き合いましょう、ってなれる?なれる人もいると思う。私より素直な人なら。でも私は…どうしたらいいのかわからない。このまま意固地になって乃木先輩と離れてもいいのか、乃木先輩に他の彼女が出来たら…思い出だけで一生過ごせるなんて甘かった。そんなこと、辛くて受け入れられない。他の人にあの優しい笑顔を向けて欲しくない。あの人の心の中に、他の人が入ってくるのをただ見てるだけなんて。

どす黒い思いがさっと目の前に溢れたら、また自然に涙が溢れてきた。休憩後に再開したレジ打ちで、高校生のバイト店員が急に涙をこぼしたら、そりゃお客さんも店長もびっくりするだろう。店長にさっきまで会ってた玲先輩と別れ話になって泣いたと誤解されてしまったが、そんなことはもうどうでもよかった。とにかく人目につかないバックヤードの仕事に回してもらって事なきを得た。店長も中国人店員もみんな私を心配してくれて、人の優しさがじんわり染みた。


バイド帰り、乃木先輩にラインでメッセージを送った。あの日の告白以来だった。色々書いては消し、書いては消しをくりかえし、最後は一言、会いたいです、とだけ送った。これが、私の最大の勇気だった。もう、尊大すぎて持て余し続けるつまらないプライドより、素直に乃木先輩に会いたかった。


既読になった。読んでくれたのだ。まだ望みはあった。れいかにもラインを送った。ごめんなさいって。返事はすぐに来た。山本さんのことを乃木先輩に話したことを逆に謝られた。やっぱり話したんだ。でも、なぜか嬉しかった。乃木先輩には山本さんのことを心のどこかで知って欲しかったのだ。

乃木先輩から、返事がきた。今は玲先輩と予備校の夏期講習に通っているという。私の家やバイト先からはかなり遠い駅だ。そもそも乃木先輩の家がどこだか知らなかった。玲先輩が私の家とバイト先を知っていて、直接来たことがあることは、乃木先輩は知らないのか。玲先輩も大概お人好しなんじゃないかと思う。男同士の友情を少し羨ましく感じた。

そして私は、10日後に乃木先輩と会う約束をした。

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