第10話 誰かの犠牲の上の恋愛

「乃木先輩がりおのこと好きだって、前からわかってたよ。そりゃ見ててわかるよ。でも…私の気持ちを伝えたかったから。私はすっきりしたよ?乃木先輩、すごく謝ってくれた。私は利用されたなんて思ってないし、告白を断られるのはさ、ある意味次に進むための儀式みたいなものだから」

れいかは、通話の先で鼻をすすりながら甘え声でそういった。本当にれいかは優しくて可愛い。

「でも、乃木先輩の告白を断るなんて絶対ありえない。りおだって、先輩のこと好きなんでしょ?好きな人がいる?は?そんなもの他にいるなら言ってみなさいよ。私はそんな人の存在、聞いてないよ。私に遠慮して嘘つくなら、私、りおのこと一生軽蔑する」

「嘘なんてついてないよ。私が好きな人って、山本さんのことだよ」

電話での長い沈黙は、いつだって相手の苛立ちを空気で伝えてくる。

「…あの拘置所にいる文通仲間のおじさん?本当に?」

「本当だよ。私はあの人に会ったこともないし、顔も知らないけど、好きなの」

「でも…その人はいつか死刑になる人だよ?好きで結婚した奥さんを殺した殺人犯だよ?」

「だからって何。私には関係ない。私には優しくて、親切で、尊敬できる人だもん」

「りお…それは不毛すぎるよ。ねえ、何で乃木先輩じゃダメなの?あんなに仲よかったじゃない」

「仲良かったかな…ただれいかが真ん中にいて繋がってただけだよ」

れいかの大きなわざとらしいため息で、私の携帯を当てた耳元にも風圧を感じた。

「嘘つき。りお、これ以上私に嘘つくと絶交だよ。本当は乃木先輩のこと、好きでしょ。告白された時、すごく嬉しかったでしょ。私は、遠慮されても全っ然嬉しくない。どっちみち私はもう振られてるし。もう最悪、なにこの茶番?乃木先輩にもおじさんにも失礼じゃない?りおが乃木先輩よりおじさんのことが好きだなんて、私絶対信じないから。私が信じてるのは、乃木先輩のことを話すときにいつもキラッキラしてた、りお自身だからね」

「やめて」

せっかく止まった涙がまた溢れてきて、もう部屋にあった箱ティッシュが空になってしまった。

「りお、こじらせすぎ。…それならおじさんと文通してること、乃木先輩に言うからね」

「本当やめて。山本さんに迷惑がかかる」

「何を今更。本当に好きなら、迷惑上等だよ!」

れいかはそのままブツっと通話を切った。

私はゆっくり立ち上がって、脱衣所でスウェットを脱いだ。もうこれ以上涙を拭うなら、お風呂に入ってしまった方がいい。洗面台の鏡に映る自分はもう最悪の顔だ。今日、好きな人に告白された女の顔には、到底見えなかった。


湯船の熱さが、身体に染みた。頭ごと湯船に埋めて、外の音を締め出した。水の中の音にゴボゴボと共鳴して浮かんできた想いは、ただ罪悪感だけだった。狭い湯船の中で、私の身体は罪悪感に熱湯で閉じ込められているようだった。


れいかは聡い。私は乃木先輩が好きだ。でも付き合えない。最初に好きだと言ったのはれいかだったし、私と乃木先輩の間にはいつもれいかがいた。れいかがいるのが前提の付き合いだった。私は誰かに好きになってもらうほど立派な人間じゃない。大好きな人を犠牲にしてまで幸せになりたくない。もし今日の告白を受け入れて先輩と付き合っても、楽しい気分では絶対に付き合えない。いつもれいかの顔がちらついてしまう。れいかに乃木先輩との話をしづらくなるのも目に見えている。そうだ、乃木先輩と付き合ったりなんかしたら、もっといじめられる。


乃木先輩が私のことを好きって言ってくれた事実だけで多分一生生きていける。ちっぽけな自己承認欲は十分に満たされた。うん。これだけで、大丈夫。

私は今回のことを全て、山本さんの手紙に書いた。山本さんを好きだと言ってしまったことも。拘置所の人は、山本さんに見せる前にこの手紙を読むのだろうか。幼くて恥ずかしい、高校生の恋愛泥沼。でも他人に読まれるのなんて、もうどうでも良かった。とにかく山本さんに迷惑をかけたくなかった。


「おじさん、りおさんの手紙を読んでとてもドキドキしています。手紙を渡してくれた刑務官にニヤニヤされたのは、こういうことだったのかとわかりました。

僕は自分が迷惑をかけられたなんて少しも思っていません。まさかこの歳になって、流れとは言え高校生から告白されようとは夢にも思わなかったから。おじさん、今まで生きてて良かった(笑)どうもありがとう。

ところで、罪悪感のことだけど。何も犠牲にしないで生きるなんて誰にもできないし、幸せになるってことは、単に犠牲の有無じゃなくてりおさんの努力の結果だと思います。りおさんはお肉食べてるよね?それ、生き物ですよ。野菜食べてるよね?それも生き物ですよ。りおさんは生き物を毎日食べて生きているのです。生きること罪悪感を持ったまま、人間は生きていけませんよ。りおさんが素敵な女の子で、乃木先輩はそんなりおさんを好きになった。乃木先輩も素敵な男の子だから、もし彼と付き合うことになれば、乃木先輩のファンはれいかちゃんを含めてみんな悲しむかもしれない。でも、乃木先輩がりおさんを好きになって、付き合いたいって思うことは、乃木先輩の意思であり、自由だってわかるよね?それと同じように、素敵な乃木先輩を好きになって付き合うってことも悪いことじゃない、自然の摂理です。自分に自信が持てないとかそういう思いも全部踏まえて、罪悪感とか不安とか全部彼と話し合って、一緒に前に歩んでいけばいいと思います。

こんな話は正直小学生にするような話だと思っていたけど、高校生もまだまだ純粋なんですね。僕は嬉しくなりました。それとも、そんなに簡単に諦めて思い出にできる程度のレベルの浅い彼だったかな?」


しばらくして届いた山本さんの手紙は、確かに幼い子供に向けて書いたような感じがした。バカにしてる?うん、多分。私の選択に怒ってるんだ。違うだろって。私はすぐに返事を書いた。シャッターをガラガラと下ろして、ぶっとい線を地面に引くように。これ以上こっち側にズカズカ入ってこられないように。上から見下ろして嘲り笑う大人に惑わされないように。


「乃木先輩の悪口を言うのはやめてください。あと自分をおじさんって言って年齢で線を引くのもやめてください。山本さんのことは好きですが、もう手紙は送りません」


私が乃木先輩を振ったという噂はすぐに流れた。先輩は、あの時噂を何とかして消すって言ってたけど、人の口に戸は立てられないということを実感した。そしてあの告白からしばらくして、夏休みに入った。期末テストは勿論最悪、勉強も全然身に入らず、イライラしっぱなしだった。順位を20位落としただけだったのは本当にラッキーだった。

夏休みは店長に頼まれたせいもあって、お母さんに相談もせず勝手にコンビニのバイトを増やした。エアコンが効いているからと聞かれもしないのにバイト仲間に触れ回って、朝から夜まで働いた。コンビニは中国人留学生が多くて、ちょっと中国語の会話を勉強したりもした。でも何をやっても無気力だった。まるで無気力がふわふわと雲に乗って商品を運んでくるようだった。一週間で6回もレジ打ちを間違えた。

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