第9話 告白の破壊力

翌日、れいかの様子がおかしいことに私はすぐに気がついた。朝から目を合わせてくれない。昨夜に私が送ったメッセージを読んでもいないみたいだった。いつも可愛く髪型を整えてくるのに、今日はボサボサのままで後ろに一つ縛り。目は晴れて、明らかに長時間泣いたようだった。学校に来てるだけマシな状態。でも私が声をかけても相槌だけで、まともな会話ができない。おかしい。いや、おかしくない。何があったのか聞きたくはなかった。


れいかとうまく話すタイミングがないまま、昼ごろに乃木先輩からまた呼び出しメッセージがあった。また、体育館の裏だった。ああ、再び、決闘。


放課後、乃木先輩は先に来ていた。コンクリートの階段に背を持たれて、腕を組んだままずっとどこか遠くを無心に見つめていた。さっと生暖かい風が歩いている私の顔を撫でた。カサカサと葉っぱを踏む音に気がついて目があった先輩の顔は、未だ残ってる青あざを抜きにしても今までで一番眩しかった。どこか照れているような、それでいて嬉しそうに笑う瞳。男の人のこう言う顔って、どんな人でも綺麗に輝いて見えるんだろうか、と考えてやめた。不謹慎だ。


ちょっとだけ距離を作ったまま、私は止まった。私、今どんな顔をしているだろう。

「先輩…昨日…」

「りお」

話を止められて、私はいよいよ来るべき衝撃に胸を左手でギュッと掴んで備えた。


「りお、俺、お前が好きだ。俺と付き合ってください」


最初のセリフは、れいかに告白をしたという報告ではなかった。でも私は内心、そのことを知っていたのだ。そして乃木先輩は、もう私をお嬢とは呼ばなかった。そしてそのまま私はスカートの右裾を、ぎゅっと、握った。

「れいかに告白は?」

「昨日、決闘の後れいかちゃんに会ったんだ。なんとか連絡先を調べて呼び出した。それで利用してごめんって謝ったんだ。そしたら…れいかちゃんに告白された。でも、断ったよ。ちゃんと丁寧に」

私は黙っていた。なんて言えばいいのかわからない。

「…直接告白されるって、すごい破壊力あんのな。知らなかった。断った俺がこんなこと言うべきじゃないかもしれないけど、告白ってこんなにも勇気がいるんだって知らなかった。れいかちゃんのこと、すげーなって素直に思った。それで…俺は今、勇気を振り絞ってお前に告白してる」

「何で?今まで私を騙してたんですか?」

「騙してなんてないよ。あの封筒がラブレターなんて言ってないし〝れいかちゃん〟に告白するなんて一言も言ってない。最初に名前入りの紙を拾ったけど、進路相談の紙だったし、担任は俺の嫌いな福原だったし、たまたま中庭で見かけた同じクラスらしい子に渡してもらおうと思っただけなんだ。りおが勘違いして責めてきたから、一瞬確かにムカついたよ。俺にもプライドあったし。でも…」

先輩は急に思いついたように私に近づいて、後ずさりする私の肩を両手で捕まえた。ビクッと身体が震えて、私と、多分先輩も二人して驚いた。

「お願いだから話し終えるまで、このままでいて」

一瞬の抵抗も虚しく、私は乃木先輩の胸の中に自然に入ってしまった。

「俺、お前と話してる時、楽しくて仕方がなかったんだ。皆から期待される、かっこいい男を演じなくても一緒に居られるのがすごく新鮮で。こんなに面倒臭い子、今までだったら絶対うざいって無視してたと思うけど、お前はバイトも家のこともすごく頑張ってるし、俺はお前のこと尊敬してる。気がついたら、すごく好きになってた。いや、ごめん。気が付いてた最初から。俺は、りおの言葉に救われたんだ」

胸の中から響く先輩の声が、不思議に心地よかった。好きな人の胸の中がこんなにも切なく暖かいなんて。2秒だけ、ずっとこのままでいたいと思った。3秒だけ、このまま今死んでもいいとさえ思った。

「…このままじゃいけないってわかってたのに、万が一嫌われてこの関係が終わるかもって思ったら、怖くて。今まで本当のことが言えなかったんだ。れいかちゃんにもすっごい謝った」

こんなハイスペックな先輩でも、怖いなんて思うことがあるのか。胸が細い針にザクザクと刺されたみたいに痛い。内側から、内臓を小人に引っ張られるみたいに痛い。息が苦しい。辛い。前を向けない。しっかり立っていられない。もう涙を我慢できない。私は先輩の手を弱々しく振り払い、そのまま先輩に寄りかかりそうになる自分の醜い心を責めるように押しのけた。先輩は抵抗しなかった。

「ごめんなさい私、先輩とは付き合えません」

目を開けているはずなのに、目眩がするように視界が揺れて何も見えなかった。

「他に好きな人がいる…んです」

コンクリートの床と自分の上履きの上に大きな雫が2粒落ちて、あっという間にシミになったところだけがかろうじて見えた。

「何でまた泣いてるの?好きな人って、誰?」

低く優しい先輩の声が、冷たい風に乗って私の耳を叩いた。よく聞こえない。自分の嗚咽でよく聞こえない。

「先輩には、関係ないです」

「れいかちゃんに悪いと思ってるから、じゃないよね」

「違います、好きな人がいるんです」

先輩が私の腕を掴んだままで、体育館の壁に私を押し付けた。

「誰だよ、好きな人って。俺の知ってる奴か。手紙の奴?」

「関係ないです、離してください」

私は一生懸命ちゃんと話そうとした。でも、うまく話せない。涙と胸の痛みと悲しみで、立ってることもできない。私はずるずると壁に沿ってしゃがんでしまった。

「りお…」

乃木先輩は、私の腕を掴んだまま一緒にしゃがみ込んで、私の胸に顔を埋めた。歯を食いしばってる。

「だめ、だめ…」

先輩のサラサラな髪が、私の涙でベタベタな顔に触らないようにって、一生懸命手で押し返したのに、無駄だった。

体育館の裏に、相変わらずどこか遠くのマラソンの掛け声と、相変わらずカサカサと葉音を奏でる木々、そして私の止まらない場違いな嗚咽だけが響いていた。

しばらくして、乃木先輩はふと力を緩めた。私のホッした息が先輩の髪にかかってさらりと揺れた。

「悪かったな。お前に好きな人がいたなんて、知らなかった。こんな俺に付き合わされて…迷惑だったろ。だから、一緒にいるところを見られたくなかったのか」

私は無言で首を横に振った。

「ごめんな、俺…本当、駄目だな。れいかちゃんも傷つけて、お前も傷つけたよな。俺たちのこと、噂になってるって玲から聞いた。噂は何とか消す努力をするから。…お前の好きな人と、両想いになれるといいな」

乃木先輩は、そのままゆっくり立ち上がった。私は頑張って頑張って、勇気を出して、先輩を見上げた。

乃木先輩は、困ったような泣き顔で私を見つめていた。

「ごめん、今までありがとう。さよなら」

男の人の泣き顔を見たのは、これが初めてだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る