第6話 秘密の暴露
別の日には、とうとう乃木先輩の秘密をバラされた。誰も質問してなどいないというのに。乃木先輩はこの日、なぜか機嫌が悪そうだった。自分の秘密を話すというのに、何をイライラしているのだろう。
「…俺さ、結構前から悩んでることがあってさ。まあ心臓に毛が生えていそうなお嬢からしたら全然大したことない話なんだろうけど、チキンハートの俺は毎日悶々としてたわけよ」
「先輩の自虐下ネタ、あんまり面白くないです」
「あーすみません。とりあえず話、続けていいですか?」
「はい、どうぞ」
今日は私が植木に隠れるように、奥のコンクリートブロックに膝を抱えて座った。先輩は、私の目の前のベンチに座って私と同じ方向を見てる。まるで、れいかがよく話すドラマに出てくる情報屋と警察のような配置だ。私の最大の譲歩として、こんな位置関係になった。先輩も受け入れてくれたけど。なぜか理由も聞かずに受け入れてくれるところが、ほんの少しだけ嫌味に思えて不貞腐れたい気持ちになった。この人は多分、本当に自分がモテるってことを知っている人なんだろう。
「それで、その悶々な日々の真っ只中に、お嬢様に言われたわけよ。〝何やってもどうせ他人になんか言われるんだから、好きなことしたらいい〟って」
「だから好きに告白すればいいのに」
「いいから最後まで聞いてくださいませんか、お嬢様」
「はい、すみません」
「で、俺、その時吹っ切れたわけよ。胸のモヤモヤが消えちゃったわけよ。さささーっと霧が晴れたみたいにさ。ああ、そっか。そうだような。俺、何でこんなに悩んでたんだろう、自分の好きなように生きればいいだけなのにって思ったわけよ」
「一体何の話ですか?」
「俺の将来の話」
「先輩の将来の話に、その顔のアザは関係あるんですか?」
「あ、やっぱりわかるよね、これ。皆には一応階段でコケたって言ってるんだけど」
「コケた、というより、階段がグーで先輩の顔を殴ったみたいに見えますよ」
先輩は笑いながら、切れた唇をさすったようだった。痛そうだったけど、背中から滲み出る笑顔となぜかミスマッチのように思えた。
「俺んち、ちょっと厄介な感じででかくてさ」
「へえ。何ヘーベーなんですか?」
「えーと、物理的な大きさじゃなくて、社会的な感じの大きさね」
「ああ、社会的に成功しているセレブ家系なんですね」
「うん、まあ、そっちの方」
否定しないんだ。ちょっと嫌味っぽく言ったのに。
「親御さんに後を継いでくれとか期待されてて順風満帆な人生だったのに、まさか先輩、テンプレートみたいに『俺はやりたいことがあるんだ』とか言っちゃって、お父様に殴られたとか」
「いや、殴ったのはお袋」
「あー。漢と書いてオトコと読ませるかっこいいお母様ですね」
私の安易な想像通りの展開で、思わず笑ってしまった。先輩は大人びているように見えるのに、中身はまだまだ子供っぽくて何だか安心する。
「テンプレか。まあそうだよなあ、普通。同族経営のでかい製薬会社のレールから外れて、畑の違う建築士になりたいとか」
瞬間、蜂に心臓をチクっと一発刺されて跳ね上がったように感じた。今笑ったばかりなのに。声が裏返らないように、素早く大きく呼吸をした。同族経営のでかい製薬会社?建築士??
「ああ、それでガウディ。先輩がやりたいなら、やればいいじゃないですか。夢を持てて、その夢を追える可能性があるなら、ぜひトライするべきですよ。高校生のくせに世の中何もわかってないとか、そんなこと言われても想定内の批判ですよね。もし先輩が失敗しても、先輩の親御さんなら、ほれ見たことかって頭撫でながら迎えてくれそうですし」
「頭撫でてくれはしないと思うけどな。まあ、俺もそんな気はしてる」
「先輩は、素敵なご両親に幸せいっぱいに育てられたんですね。口がいくら悪くても、育ちが滲み出てます。でもこの学校、偏差値高いとは言え公立ですよ。そんな先輩がなぜここに。普通御曹司といえば私立でしょうに」
「まあ、そういうのも色々あんだよ。本家とか分家とか、な」
残念ながら確かにある、乃木って名前のつく製薬会社。凄い家の人だったんだ。私は心の中で大きく舌打ちをした。だから俺のこと知らないの?なのか。きっと校内では有名なんだろう。
建築士って、国家資格?大学は建築科?今日のバイトを始める前までには、一通り調べておきたい。今日中に知っておきたい。そして私は自分自身の境遇と比べる以前に、私の胸の中に静かに存在している山本さんを思い出した。中学から新聞配達。中卒になりそうだった境遇からの大学、就職、結婚そして、殺人。
「うちは上場もしてないし、ファミリー企業だから余計水面下で色々あんだよ」
「色々ありすぎて、大変そうですね。健康すぎる私には到底関わりはなさそうです。では、そろそろ失礼します」
「まあ、そうくるか…うん、お嬢。そんなところからわざわざ話聞いてくれてありがと」
乃木先輩は、よっこらしょとベンチから立ち上がり、そのまま振り返らずに背中越しに手を振りながら中庭を後にした。
「そんなの、全然見てませんから!」
私はとっさにその背中めがけて叫んだ。こういうことする人ってなんかずるい。絶対見てるって保証ないのに、カッコつけちゃって。でも私が隠れていた意味が全くなくなってしまった。それから、先輩が去ってから十分に時間をとり、改めて大きなため息をついた。ああ、私はよりにもよって大きな製薬会社の御曹司様にお嬢と呼ばせているのか。どうりで今日も机の中にべちょべちょの濡れ雑巾が入ってだったわけだ。ベンチにゆっくり回り込んで、置き去りにされた未開封のコーヒー牛乳をじっと見つめた。
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