第4話 些細な事件簿

「例のおじさんから手紙の返事きたんだね」

れいかと翌日のお昼休み。

「うん。おじさんじゃないから。昨日手紙届いてたんだ。ほら。食べてる時はほおずえつかない」

「うえー、本当りおって相変わらずママくさい」

れいかは同じ中学からの友達で、この約1年前からの山本さんとのやり取りを知っている。そして一度もその手紙を読みたい、と言われたことがないので、山本式勉強法を一緒に検証する以外は何も読ませていない。単に興味がないのだと思う。


私が受験で色々悩んでいる中3の春に偶然読んだ、ある死刑囚を追った雑誌の記事。犯行が行われた時、私は幼かったし、そんな事件のことは全く知らなかった。あんな大人向けの雑誌なんて買ったことも読んだこともなかったけれど、母子家庭の現実、みたいな特集が表紙に出ていて興味を惹かれ、こっそり買ったのだ。その雑誌に山本さんの記事も載っていた。母子家庭の現実は、私が十分に知っている厳しい現実だったからすぐにどうでも良くなった。


その人、山本公則(当時27歳)さんは記事掲載より約7年前の夏に、当時の妻と自分の部下の浮気現場を、体調不良で『偶然』早退して帰った横浜市内の自宅で遭遇。裸の二人を後ろ手に縛り上げ、ガムテープでさるぐつわを施し、3時間にも渡る言葉による『一方的な陵辱』をしたのち、自分の車のバックシートに裸の二人を縛ったまま乗せ、自宅から東京都西多摩郡にある調整池ダムまで移動。日の出前、傾斜のある地点からギアをニュートラルにしたまま車を押し、加速をつけさせて二人を生きたまま車ごと高水位のダムに落とし沈めた。そしてすぐにタクシーで自宅へ戻り、荷物を整理し、会社と妻の実家と部下の家族へそれぞれ手書きの遺書を残してそのまま首を吊って自殺しようとしたが、妻と仲の良かった隣の住人がたまたま窓の外から見つけ、すぐ救急車で搬送され一命をとり止めた。その後、山本さんの供述と自宅に置いてあった手紙から犯行が発覚。翌日ダムから車ごと引き上げられた奥さんと浮気相手の部下は、二人とも溺死だった。


私はニュートラルっていうのがよくわからなかったけど、グーグル先生によると、ブレーキをかけず、人力で押して車が前に進む状態のことらしい。西多摩郡の調整池ダムは通常川のせせらぎのような静けさだが、前日に降り続いた大雨によって当日のダムの貯水率が83%と高水位に達していたらしく、車はあっという間に茶色い泥水の中に消えたと供述した。

そして山本さんは、二人を殺したこと、命乞いをする二人を冷酷にも生きたまま沈めたことで、第二審で死刑判決を受けた。山本さんは犯行を全面的に認めた。通常ならば、確かに情状酌量の余地があった。奥さんは浮気相手との逢瀬のために貯金に手をつけ、その上借金もしていた。見るからに山本さんは被害者だった。第一審の横浜地裁で『予想外に腕の悪い弁護士』(本人談)だったため無期懲役になった山本さんだったが、検察は判決結果を「不服」として6日後に提訴した。そこで、次々と新たな証拠が検察側から提出された。『犯行は全く計画的であり、裏切り者の妻と浮気相手を殺し、妻の借金以上の保険金を手にいれるつもりで犯行を計画』したとして、提出未遂の妻と部下の保険契約書類という2つの新たな証拠が提出された。そして第二審の東京高裁は、第一審の判決を破棄。死刑判決後、山本さんは上告することなく死刑囚となった。なぜ山本さんと浮気相手が勤める会社の生命保険なんてわかりやすい証拠を、検察は第一審で見つけられなかったのだろう。この事件を詳しく解説した別の記事をネットで見つけたけれど、山本さんは心身を喪失していた無期懲役の判決後、検察に生命保険を妻と部下にかけ、保険人の受取人を自分にしていたと、敵である検察側に告白した。部下の保険金は、唯一の親族である妹が受取人になっていたが、これも後日その妹から全て奪うつもりだったと。他の記事には単に自分で死ねなかったから死刑になって国税を使って自殺したいのだろう、と批判を受けていた。一人っ子である山本さんの両親は、母親は山本さんが大学生の時に病死、父親は行方不明で未だ見つかっていない。


なかなかにえぐい犯行だと思った。でも保険かける前に殺しちゃったら意味ないのに。こんな人が身近にいたら、いや、身近にこんな事件が起きたなら、人を信じることができただろうか。浮気と殺人、保険金詐欺。末恐ろしい。


しかし、私がそんな恐ろしい山本さんに手紙を送った理由は、第一に山本さんが日本が誇る旧帝大卒だったからだ。雑誌の記事には、子供の頃に自分で勉強の仕方を研究した、それを実行したら底辺だった成績が面白いように上がり、勉強というものはただがむしゃらに机に向かえばいいというわけではないということを学んだ、と書いてあった。中学のときに父親が事業に失敗し失踪、専業主婦だった母親を支えるため中卒で就職も考えたが、勉強することでお金の心配もなくなると当時の先生に説得されて勉強法の研究を始めたという。新聞配達の仕事をしながら、だ。私はその方法を知りたくなった。そのとき私の高校受験まで、約10ヶ月。なかなか上がらない成績に相当焦っていた。クラスのみんなは塾や講習などに行って成績を挙げている。しかし、私にはそんなお金はなかった。さらに奨学金を取らないと、母の給料と自分のバイト代だけでは高校に行けても到底生活はできない。それだけはわかっていた。

そして、単に怖いもの見たさと好奇心。人を直接殺した人に手紙を書くなんて、背徳感が半端ない。そして例え返事はなくとも、私のイライラに任せてこの人の罪を責めることは、正義感と言う名のもとで社会的に正当化されるのではないかと思った。完全に八つ当たりだった。


最初の手紙は恐る恐ると言うよりも、完全にダメもとだった。いきなり自分勝手に、悪いことをしたのなら誰かに良いことをして贖罪したらいい。だから勉強の仕方を教えてくれ、私には未来があるし、成績上位者が受けられる返済不要の奨学金を取れないと高校に行けないと正直に書いた。本当に悪意ある手紙だった。自分の境遇を誰かのせいにしたかった。とてもじゃないけど普通じゃない心境だった。それは振り返ると、今でもすごく後ろめたくて惨めな気持ちになる。


山本さんから、しばらくして返事がきた。それはそれはみっちりと封筒に入った便箋の両面に、びっしりと縦書きの小さくて美しい文字が埋め尽くされていた。何だかんだと表まであった。あんなに不躾で酷い手紙だったのに。ビリビリに破いて、生意気な中学生を呪うくらいのことをしても良いのに。実は破いたかもしれないけど。贖罪、のことについては何も書かれていなかった。

項目は多岐に渡り、モチベーションの保ち方やノートの取り方、時間の作り方に始まり、私の受験科目がわからないので、全ての教科で山本さんなりに勉強の仕方をまとめてくれていた。しかも後10ヶ月しかない私に向けたスケジュール管理の例も挙げてあった。こんなに…こんなにも細かく効率的な勉強の仕方を具体的に教えてもらったのは後にも先にも山本さんだけだった。学校の先生でもこんなことは教えてくれなかった。塾は行ったことがないからわからない。しかし、塾常連のれいかに聞いてもこんな方法は聞いたことがないと言われた。

私はその時まで、自分が何を知らないのか知らなかった。次の手紙で、前回の手紙がいかに失礼な内容だったのか懸命に謝った。山本さんは、私に返事を書いた理由は一切書かず、私を本気で奨学金が取れるレベルにまで上げるといい、実際にその通りになった。私と一緒に勉強したれいかも、同じ高校に入れた。その間、成績の報告ややり方の質問、時にはれいかとの仲直り方法まで聞いた。それから山本さんが犯した罪のことには、私からはタブーのように避けた。当たり前のように大人の対応をした結果だった。

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