第3話 秘密の交流
今夜は、お母さんの残業日だった。もちろん今日の料理当番は私。スーパーで買い物をして重くなったエコバッグは結構生活臭が滲んでて、ちょっとねぎ臭いかもしれない。さっきの乃木先輩の柑橘系とはエライ違いだ。そこを比較するのも悲しいけど。うむ。こういうのは一人ボケツッコミというのか。なんと言うのか知りたくて、ついうっかり道端でググってしまった。
アパートの集合ポストを開けると、一番上に私宛の手紙が乗っていた。白い封筒に書かれた〝拘置所〟の存在感に息を飲んで見入る。さらに美しい文字で自分の名前が美しく並んでいる暗く狭い空間を、しばしポストの扉に手をかけたままうっとりと楽しんだ。
山本さんからの手紙だった。郵便物回収は私の仕事だから、こんなことができるんだろうと思う。普通の親だったら、拘置所の死刑囚と文通してるなんて聞いたら、卒倒するだろう。多分私の子供が同じことをしても、私もやっぱり卒倒するんじゃないかと思ったら、自然にまた、小さなため息が出た。
「それにしても、相変わらず君は文章が下手ですね。お変わりないことで、僕は嬉しいです。甘じょっぱい食べ物、僕は長く口にしていません。配給される食事も、少ないおこづかいのようなもので買うことのできるお菓子も含め、堀の中に甘じょっぱい食べ物はありません。好きか嫌いかを検証できる環境にあるりおさんが逆に羨ましく感じます。ですが梅干しと大福はかつて別々に味わったことがあるので、この組み合わせの味もなんとかできるかもしれないと思い、昨日実際に想像してみました。しかしなるほど唾液がいっぱい出てきてしまい、抑えるのに必死であまり良い結果にはなりませんでしたが」
この人は、私のどんな内容の手紙にも、きちんと応えて返事をくれる。白い綺麗な便箋に、どこかの書道家のような綺麗な縦書きの鉛筆文字が並んでいる。手書きだからこそ、山本さんはこの紙に直接触れ、私だけのための文面を考え、書き、さらに宛名を書いて私に送ってくれると思ええ、より一層特別な手紙に思えた。この天然サディストとの奇妙な秘密のやり取りは、実はもうかれこれ1年続いている。
私は制服のまま、エプロンをつけて狭いキッチンに立った。買い物した野菜を冷蔵庫に入れていく。この後も早く読みたかったけど、料理もしないと母の帰宅に間に合わない。何より、明日のお弁当のおかずも合わせて用意しないといけないし、食べた後の皿洗いも考えると、全部こなしたらもうお風呂の時間もなくなってしまいそうだった。宿題も済ませていないのに。
「さて、自分で直接告白できるように、年上の男の子に恋愛レクチャーをすると言うことですが、何やら面白そうですね。人の気持ちは他人がコントロールできるものではないですが、アプローチには確かにコツがあるのかもしれません。
因みに僕は学生時代大変モテていたのですが、受け身の女性からの積極的な〝受け身アプローチ〟には大変困りました。どういうことかと言うと、僕に告白させるために色々なテクニックを多用してくるのです。昔の言葉で言うと、はっぱをかけてくるわけですね。昔は女性が自分から告白するなど、ありえないと言われた時代でした。今は女子が、好きな男子に堂々とアプローチできる時代ではないですか?元男子としても良い時代になったなと感じます。(笑)しかし、その分男子が女性に甘えて弱くなってしまったのかもしれませんね。りおさんの高等恋愛テク、これからじっくり聞かせてください。あと、僕もレーズン好きです」
こっそり、お風呂の前に残りを読んだ。お母さんは時間通りに帰ってきて、いつも通り疲れていた。お互い他愛ない会話で笑いながら食事を取り、お母さんがお風呂に入っている間、私は洗い物をした。乃木先輩のこともまだ話していない。山本さんにはすぐ言えたのに。
山本さんの手紙は、自分のことが書いてあるのに、いつもなぜか別世界の出来事のように思えた。多少の時差があったとしても、自分自身の出来事を俯瞰で見るからなのか、山本さんの文章がそう思わせるのか。とにかく何か、自分のことが書いてあるように思えない時がある。ああ、葉っぱじゃなくて花柄ならかけてきたなあ、生意気な桜の木が。
「それからリベ禁、続いていますか?相変わらずちょっとドキドキする短縮文字ですね(笑)りおさんから『リベンジをしない期間を増やす』という手紙をもらった時、最初は全くなんのことだかわかりませんでした。でもそれって、今なら分かります。確かに人間はどんなことにも細かくリベンジしてしまいますね。ちょっと人に何か言われても、一言何か言い返さないと気が済まない。自分が上だと何かを自慢されてマウントされたら、何か別のことで自慢返ししてしまいたくなったり。そのことに気がついて、さらにその上でリベンジをしないように努力しているなんて、りおさんはとても大人だなと思いました。僕が高校生の時なんて、野球と漫画とエッチのことしか考えていない純朴で子供らしい子供でした。僕はその10年後、奥さんへの大きなリベンジを実行した結果、この拘置所で、社会から受ける最大のリベンジを待っています」
急に心がすっと冷えた。
明るくて楽しい文体の中に、時折見え隠れする現実。この人は、人を殺して、今自分が殺される番を粛々と待っている人だった。そしてこの人は、私にいつもそれを忘れるなとまるで警告のように釘をさす。そうだリベ禁、また最初からカウントし直しだった。今夜も多分、あまり眠れそうにない。
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