告白

 たまたまプライベートなことを話すことになってしまったが、蒼葉とは特に仲が良いわけではない。仲が良いとか悪いとかの範疇はんちゅうにも入らない、強いて言えば無関心な間柄だ。

 そもそも学内、寮内とも生活するテリトリーが違う。違うというより、蒼葉はどこにも属していない。が、一匹狼のように心の扉を閉ざす強さは持ち合わせていないのか、話しかければ、はにかむように曖昧な笑顔になって、口ごもり気味に受け答えする。


 独りで気楽な休みが過ごせると思ったが、よりによって蒼葉と二人だけで過ごす羽目になろうとは。しかしそれは蒼葉も同じ気持ちらしい。

 食堂で顔を合わせ黙々と食事をして、たまに実和の世間話に茶々を入れて笑い合ったりしても、食事が終われば無駄な会話をすることもなく自室に戻る。互いに何をしているか聞けば、そのあとの展開が煩わしいので何も触れない。


 それより、蒼葉に父親とのいざこざを話してしまったことを後悔していた。

 親の再婚なんてありふれた人生のイベントを受け入れられず、秘かに家を脱出するためだけに、かつてないほどの情熱を注いだ。成し遂げた時に感じた達成感と爽快感、そして罪悪感。蒼葉に「ガキだ」と言われるまでもなく、自分の未熟さは自覚していた。それでも、父親に背を向ける以外どうすることもできなかった。


 連休も終わりに近づき、そろそろ寮生が戻り始める日の朝、蒼葉が口ごもりながら「ちょっと… 外に出ない?」と誘ってきた。

 片方のヘッドホンだけ外し蒼葉を一瞥して立ち上がる。

「ごめん、邪魔して… 散歩とかどうかなぁと思って… 気分転換に…」

「散歩って爺さんかよ」

 上着に手を掛けると、蒼葉が少し興奮気味に笑った。


「何聴いてたの?」

「…」

「…邪魔しちゃったね」

「…」

「音楽聴きながら読書とかできないよ、僕。一つのことしかできないんだ」

 蒼葉は心なしか弾んだ声で、勝手にしゃべりながら、小走りで後に付いてくる。

 外に出ると、自然と足早になるのは変な癖だ。

 目的もなく、ただゆるゆると散策するのは性に合わない。

「どこ行く?」

「え、決めてないよ。亮一君、歩くの早いね」

「じゃあ、本屋」と言うと、蒼葉はこくんと頷いた。



 いつから早歩きになったのだろう。

 生まれ持った特性か。いや、昔はゆっくり歩くこともあった。

 母がいた頃。

「ゆっくり歩けば回りの景色や音、匂いも自然と体の中に入ってくるでしょ。そうすると心と体が、どんどんエネルギーを蓄えて健康になっていくの」

 母は、そう言って柔らかく微笑んでいた。

 病弱な母に歩く速度を合わせて、ゆっくり歩いていた。

 そして、父とは並んで歩きたくなくて、速度を上げた。

 無意識のうちに鼻から笑いが漏れる。


「何? 何かおかしい?」

「いや、よく晴れてるなあと思って。お天気姉さんなら絶対『お出かけ日和』とか言うな」

「そうだね」

 蒼葉は、心なしかほっとしたように笑った。

「ビートルズだよ」

 歩を緩めて、ぶっきら棒に言い放ってみた。

 蒼葉が再び「何…」と、少しビクついた視線を返す。

「さっき何聴いてたかって訊いただろう」

 蒼葉は「ああ」と頷き、また和らいだ笑みを見せる。

「お前、なんかおどおどしてるな… いつも」

「…そうかな」

「ま、オレはズバズバ生意気なこと言われたけどな」

 蒼葉は、ばつが悪そうに肩をすくめる。


「ビートルズ好きなの?」

「別に… 好きでも嫌いでもないよ…… 昔、親父からもらっただけ」

 蒼葉が「へえ…」とニヤついた笑みを浮かべる。

「なんだよ!」

「何でもない… ごめん」

「お前さあ、誰にも言うなよ、オレと親父のこと。オレは話したくて話したわけじゃないから」

「わかってる」

 蒼葉が間髪入れず答える。

「誰にも言わないよ。絶対言わない。死んでも言わないから」

「そこまでじゃないわ。てか、いちいち重いんだよ」

 蒼葉は屈託のない笑顔を見せたが、ふと真顔に戻って立ち止まった。


「あのね、僕は… 僕…」と、うつむき加減で言い淀む。

「父さんが僕を殴ったわけは… その… えっと…」

 そこでまた止まる。

 父親からアザができるほど殴られた理由を、聞きたくないと言えば嘘になるが、聞いた後に続く厄介事を共有してくれる、相談相手になる気はさらさらない。

「別に言いたくないことは言わなくていいよ」

「…」

「オレ、お前に何も訊いてないよな。言わなくていい」

 蒼葉はうんと頷いた後、ううんと首を横に振る。


「あのね、僕は… 僕、男の子しか好きになれないんだ」

 そろそろと顔を上げた蒼葉は、怯えるような瞳に戻っていた。

「ビックリした?」

「…うん… いや… そうでもないかな」

「どういう意味?」

「お前の口からそういうこと言われても、全然意外じゃないなと思って」

「軽蔑した?」

「いや… 別にいいんじゃないか。でもそんなこと、取り立てて言うことでもない… と思う」

「そっか… そうだね」


 何となくわかっていたような気もする。

 妙にビクビクと不安げな空気をまとっていたのは、周囲にさとられまいとする無意識の自己防衛だったのだろうか。

「そのこと、親父さんに話したから殴られたのか」

「うん… 今までも父さんから、男らしくしろっていつも怒られてたから… あの日も怒られて、思わず言っちゃったんだ。そしたら殴られた。お前は病気だ、精神病院に連れて行くって言われて、母さんにはお前の育て方が悪いって怒るし、母さん泣いちゃうし、もう大変だった」

 自嘲気味に笑う蒼葉の潤んだ瞳が、陽の光でキラキラ光る。

「いきなり言うヤツがあるかよ」

「うん」

「お前の親父だって、びっくりして思わず殴ったんだよ。冷静になって落ち着いて話せば、わかってくれるんじゃないか」

「…」

「…まあ、あの世代はそんな簡単ではないだろうけど」

「うん… 父さんとはしばらく距離を置くよ。別に逃げてるわけじゃない…」

「どっかで聞いたセリフだな」

 蒼葉が「えへへ」といたずらっぽく笑う。


「ありがとう」と言いながら、こぼれ落ちそうな涙を隠すように、何度か目をしばたかせ眩しそうに空を見上げる。

「オレ、お前に感謝されること何もしてないけど」

「お父さんとのこと話してくれたでしょ」

「…」

「亮一君が色々話してくれたのに、僕が何も言わないのは卑怯だと思って」

「別に卑怯でも何でもない。オレが勝手に話しただけだ。言わなくていいのに」

「聞きたくもなかったし?」

「そうだな」とおどけて返す。

 珍しく大きな声で「あはは」と笑った蒼葉の瞳は、迷いが無くなったように澄み切って見えた。

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