残響

扇智史

* * *

 あたし、そんなつもりで言ったわけじゃなかったんだよ。

 あのときは、痛みと不安で頭の中が真っ赤だったからさ。だって、いきなり足元から床が消えて、とがったきざはしの角に背中を叩きつけられて、下の踊り場まで滑り落ちて、気がついたら左膝がありえない方向に曲がってたんだもん。

 目を上げたら、血の色でかすむ視界に、真っ白になったあんたの顔が見えて、状況がわかったわけじゃないのに、ただ怒りをあんたにぶつけるべきだってことだけわかって、喉が裂けるくらいに絶叫して気を失った。


 覚えてはいたよ、それは。目が覚めたら全部忘れて、ケガのことだって全部夢になるんじゃないかと思った瞬間もあったけど、そんなことなかったし。

 だから、あたしのせいだって言われりゃ、反論はできない。

 でもね、本当に、そこまでする必要はなかったんだってば。わかってる?


 知ってたよ、あたしがかわいかったことぐらい。かわいいどころか、絶世の美少女として誰だって振り返って見惚れてしまうような、あの田舎町じゃ規格外の存在だったってことなんて。

 そのあたしを、うっかり傷つけちゃったんだから、そりゃビビるのは当然だよね。

 顔こそ傷は残らなかったけども、変なふうに曲がった膝はそのままくっついちゃって、結局元に戻らなかったんだしさ。普通に歩いたり走ったりはできたけど、体力測定の記録はだいたい半分くらいになっちゃった。

 そして、あたしの完璧だった美しさは、その、ほんの少しの差で失われちゃった。歩き方がぎこちなくなって、たたずまいがわずかに傾いて、それだけであたしの価値の大半が吹っ飛んじゃったんだ。


 あんた、ほんとに気に病んでたよね。

 だから、あたしが退院して高校の教室に戻ってきてから、あんたはずっとあたしの下僕みたいに動いてた。いつもパシリになって、学食で一番おいしいパンとパックの牛乳を買ってきたし、授業のノートは完璧に写してあたしに見せてくれたし、トイレにも毎回ついてきたし、あたしが風邪で休んだときにはあのときとおんなじ真っ白な顔をしてあたしの部屋に駆け込んできて、ずーっと正座してた。あたしが言わなきゃ、いつまでも土下座してるつもりだったの、ほんとに?

 何度も言ったし、もういっぺん念の為に言っとくけど、キモかった。


 んでもさあ。

 なんで、あたしの騎士になろうとしたわけ? そこが、未だによくわかんない。

 あたしに話しかけてくる子たちをいつも険悪な面で睨んで、話に割り込んで。あんたがうっとうしくていなくなっちゃった子、数え切れないくらいいたじゃん。

 あたしがいじめられると思った、っていうんでしょ? 聞いた聞いた。悪巧みを全部書き留めた、っていうメモだって見せてもらったでしょ。

 この世のものとも思えない、近寄りがたかった女の子が、突然転落して……文字通り転落して、だね。神聖さを失っちゃったわけだもんね。ここぞとばかり、今までの妬み嫉みを晴らしてやろう、って、そういう話だったっけ?

 うまく走れないあたしを痛めつけて、お高く止まってたあたしを貶めて、綺麗すぎて手が出せなかったあたしを力ずくでモノにしてやろうって、男子と女子が手を組んで、あたしを地べたに這いつくばらせようっていう、そういう話だったっけか。

 今でも信じらんないんだよね。

 だって、その話、あたしはあんたからしか聞いたことないんだから。


 あんたがくっついてくるようになった、あの高1の冬から、ずっとそうだった。

 高校時代は、そんな感じであたしに危害を加えようとする連中を、あんたが全部追い払ったことになってた。

 大学にまで当たり前みたいについてきてさ。あたしが入ろうとしたあのインカレサークル、薬で女をコマすヤリサーだったっけ? あんたが大学に通報して潰した、って言ってたけど、ほんとなの? あれからサークルの連絡先が全部通じなくなっちゃったから、どういう結末だったのかわかんないんだよ。

 研究室だって、就活だって、あたしの行く先々ぜんぶ吟味して、あんたのお眼鏡に適うトコにしか行かせなかったでしょ。そんで、いつもいーっつもあんたがついてきた。

 同僚みんなに目を光らせて、上司の一挙手一投足を警戒して、あたしを傷つけそうなものを全部あたしから遠ざけてさ。

 あげくのはてに、この有様でしょ。どうするつもりなの、これ。

 死体の処理は、さすがにあんただって初めてでしょ?

 ……ああ、いい。答えないで。聞きたくない。


 聞きたくないって言ってるでしょ。


 ……あんたって、なんにもあたしの話聞かないよね。

 これもずーっと言い聞かせてきた話だけど、もう1度だけ言うわ。

 あんたに突き落とされる前の――ああ、わざとってわけじゃないんだよね? それも飽きるくらい聞いたからもういいよ。女子の細腕であたしを突き落とせるわけがない、不慮の事故、ね? 

 ケガする前のあたしは、美しすぎてみんなに恐がられてたの。授業のプリントを後ろに回すのだって恐る恐るだったもんね、みんな。話しかけたり、笑いかけたりすることさえもってのほかだった。

 一応、いつでもカーストのてっぺんのグループにいたけどさ、それだって置物とか美術品みたいな扱いで、話に混じったり一緒に遊んだりしたわけじゃなかったんだよね。いやだとか、悲しかったとかじゃなくて、そういうもんなんだ、って思ったのは、小学校の4年生ぐらいだったかな。

 あたしは教室にいるけど、この世にはいない。そんな、取り扱い注意の生き物だって気づいちゃったんだよね。


 だからさ、ケガしたあたしが普通の、まあ比較的普通のちょっとかわいいだけの女の子になったときは、安心したんだよね。

 これでようやく、まともな友達付き合いや、恋ができそうだ、って。

 昔は話しかけてくれなかった子が近づいてきてくれたり、雲の上みたいに扱ってた男の子たちが告白してきたり、そういう青春があるのかな、って思ってた。

 美しく生まれたせいでぶち壊しになりそうだった人生が、ようやくまともになりそうだったんだよ。わかる?

 わかんないよね。

 わかってくれたことないよね。

 あんたが全部台無しにしちゃったんだよ。

 あんたの目を盗んでようやくデートしてくれたこの人も。


 もう後戻りできないんだよ。

 あたしはこれから通報する。あんたがこの人を殺したって。詳細にあんたの犯行を証言する。目の前で、後頭部を何度も、しつこく、死ぬまで殴ったって。

 あんたが逮捕されたら、ようやく、あんたと離れられる。

 大丈夫かな? ずっとあたしの生活にまとわりついてたあんたがいなくなって、ちゃんとやっていけるのかな? 松葉杖を返却したときみたいに、すごく不安な気持ちになりそう。

 でも、きっと、今度こそうまくやっていけるよ。あたしはようやく独り立ちするんだ。普通の友達もできそうだし、遊びに行きたい場所もいっぱいあるもんね。あんたが行きたがらなかった寒い土地や夜のクラブや、いろいろ。

 あー、楽しみ。


 え?

 何言ってんの?

 誰も信じるわけないじゃん。あんた、みんなに頭がおかしいって思われてるんだからさ。

 検査って、何を。その金槌? あんたが買ったやつでしょ。どうしてそれで、あたしがこの人を殴らなきゃいけないわけ? 指紋だって、あんたのしかついてないはずだよ。


 ああ、もう、いい加減にしてよ。

 あんたの過剰な償いのせいでぐちゃぐちゃになったこの10年を、ようやく取り返せそうなんだから。

 おとなしく、捕まってよ。あたしの前からいなくなってよ。


 責任とってよ。

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残響 扇智史 @ohgi_

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