第19話 お泊り 2

俺が風呂に入っている間に、部屋には布団が敷かれていた。

当たり前だが、七菜香と同じ部屋である。

どうやら老夫婦に代わって七菜香が布団を敷いたらしい。

偉い、偉いぞ七菜香!

でも兄ちゃん、ちょっと布団が近すぎるように思うんだけどなぁ。

ていうか、隙間すきまが無いですやん。

「七菜香」

へらっ。

いや、何が嬉しいのだ。

お前が笑うと兄もまた、意味も無く笑ってしまうではないか。

「お兄と、初めて一緒に寝る」

「そうだな」

普通の兄妹が当たり前のようにしてきたことを、俺達は何も積み重ねていない。

「初めての夜」

「そうだ……な?」

「略して初夜」

「略すな!」

七菜香が無邪気に笑う。

もしかしたら、意味も解らず言っているのかも知れない。

「お兄、満天の星ー」

七菜香が窓を開ける。

きんと冷えた空気が部屋に入ってくる。

それから、どっと押し寄せるみたいに川のせせらぎが部屋を満たす。

お風呂上がりで火照った身体が一瞬で冷えていくのを感じるけれど、俺は窓から顔を出して空を見上げた。

星って、こんなにあったんだ。

それはまるで、宇宙を垣間かいま見ているようで、俺はしばし圧倒された。

「シリウス、プロキオン、ベテルギウス……あっちが、アルデバラン……すばると、それからリゲル」

どれも聞いたことはあっても、それがどの星なのか判らない。

「オトンから教わったのか?」

「あい」

知識は、宝物だと思う。

沢山の知識は感動を深め、感性を豊かにするのだと思う。

七菜香の瞳は、星空みたいにきらきら光って、空の果てを見ていた。

あるいはそれは、遠い過去を見ているのかも知れない。

実際、星の光は過去が届いたものだ。

俺は少しだけ、七菜香のオトンに嫉妬しっとした。


冷えてしまった身体を温めるべく、二人とも布団に入るが、布団自体が冷たい。

まだ時刻は十時くらいだったが、まるで深夜のような静けさに包まれている。

「お兄」

「なんだ」

「そっちで寝ていい?」

……いいのだろうか?

って、返事をする前から来るな!

「お兄」

「な、なんだ」

「あったかい」

部屋は真っ暗だが、七菜香が「へらっ」と笑った気配。

風呂上がりの匂いと、柔らかな体温。

直ぐそばから聞こえてくる息遣いが、何故か俺を安心させた。

七菜香も、同じだろうか?

「お父さんが言ってた」

え? お父さん? オトンじゃなくて、親父の方?

「初めて会ったとき、私に三つだけ言っておきたいことがあるって」

俺と顔合わせする前のことか?

親父は、七菜香に何と言ったのだろう。

「聞かせてくれるか?」

「あい」

七菜香は俺の胸元で返事をした。

温もりが、心地よかった。


「最初に三つ、言っておかなきゃならないことがある」

お母さんが連れてきたおじさんは、少し緊張した面持ちで私に言った。

たぶん、いい人だ。

それは判るけど、受け入れられるかどうかは判らない。

「無理に私をお父さんと思う必要は無い」

え? お母さんと再婚するつもりなのに?

つまり、私のことも子供だと思わないってことなのかな。

「お父さんというのは、君にとって唯一無二なんだと思う」

唯一無二。

ただ一つ、たった一つ、他に一つも無い。

「だから二人目なんていないだろうし、唯一無二を変える必要も無い。ただ、君を味方する大人が一人増えた、それくらいに思ってくれたらいい」

随分とひかえめな人だ。

お母さんが「会ってもらいたい人がいる」と言ったときは、もっとお父さんづらする人が来ると思ってた。

「二つめは、私には息子がいる。君のお兄ちゃんになる子だ」

お兄ちゃん?

それは少し困る。

私は同級生とも仲良くなれないし、ましてや上級生と上手くやれる自信は無い。

「私が言うのも何だが、彼は面倒見がよくて優しい子だ。きっと、君のいいお兄ちゃんになってくれるだろう」

優しい人なら、私みたいな妹が出来たら可哀想。

あんまりしゃべらないし、たぶん、可愛くない妹だ。

「だから息子に関しては、七菜香ちゃんにとって、唯一無二のお兄ちゃんだと思ってもらいたい」

そっか、お父さんは二人目だとしても、お兄ちゃんは初めての存在だ。

でも、唯一無二って、かけがえの無いってことだから、そんな風に思えるのか自信が無い。

「三つめは」

おじさんは、少し自嘲気味に見える笑みを浮かべた。

「私も、そして君のお母さんもだけど、会社ではそれなりの役職にいて仕事が忙しい。恐らく君に干渉することは最小限になるが、それを愛情の多寡《たか

》の判断材料とはしないでほしい」

意味の解らない言葉があるけれど、言いたいことは伝わってきた。

「仕事で家族のためにお金をかせぐことは、ある意味、最大の愛情表現でもある。七菜香ちゃんがこの先ずっと学校に行かなくても、生活に困らないだけのたくわえをするつもりだ」

この人は何を言ってるんだろう?

初めて会った子供に、それも学校に行っていない面倒臭い子供に、それでもいいって?

あ、そうか、お母さんは綺麗だから、口から出任でまかせ?

「ただ、それはゆがんだ愛し方で、正しい愛し方というものを、すでに君はお父さんから受け取っているだろう」

出任せじゃなくて、私の立場を尊重しようとしてるのかな。

「その受け取った物から、自分がどうあるべきか君は判断できると思っている。そしてその判断がどんな形であろうと、私とお母さんはサポートする。私からは以上だが、反論や苦情は随時受け入れる」

まるで、何かの交渉の席みたいだ。

私を一人の人間として、それでいて庇護すべき存在として、この人は私を受け入れようとしている。

きっと、お兄ちゃんはいい人だ。

私はそれを確信した。


「お兄?」

七菜香が俺を呼んだ。

七菜香から聞かされた話に返事が出来ない俺を、七菜香はいぶかしく思ったのだろう。

「七菜香」

「あい」

「俺は七菜香のオトンが大好きだ」

何と言えばいいのか判らなかったのに、俺はそんなことを言っていた。

「七菜香も、お兄のお父さんが好き」

布団の中は温かかった。

七菜香の体温と俺の体温が重なる。

「オトンとは違っても……お父さんなんだって」

温もりは、微睡まどろみを連れて来る。

「唯一無二が、七菜香には……四つもある」

オトンと、お母さんとお父さん、そして、お兄……。

七菜香は、俺のこの頼りない腕の中で、呟くようにそう言って眠りに落ちた。

俺にとっても唯一無二の存在が、俺に包まれて眠っている。

それは心地よくて、でも──

ドキドキして眠れんわっ!

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