第18話 お泊り 1

親父、「ラブホじゃないなら構わん」。

お母さん、「あらあらまあまあ、よろしくね」。

……うちの親はおかしい。

いや、兄妹なのだから、何も堅苦しく考える必要は無いのかも知れない。

寧ろ、旅先でのちょっとしたハプニング、ということで、気軽に楽しめばいいのだと自分に言い聞かす。

七菜香が以前に泊ったという場所にタクシーで移動する。

辿たどり着いた場所は、旅館ではなく民宿で、看板が出てなければ普通の一軒家と変わらない。

民宿には親父から電話してもらって、宿泊の了解をもらっていた。

でなければ、子供がいきなり「泊めてください」と言っても断られるだろう。

玄関前で七菜香が俺を見上げる。

不束者ふつつかものですが……」

「なんでやねん!」

軽く頭を叩いておく。


民宿は老夫婦が営んでいて、七菜香のことを憶えていた。

七菜香の姿を見て、懐かしがって歓待してくれる。

「今日はお父さんと一緒じゃないんだねぇ」

憶えてはいても、さすがに電話の声で別人とは判らないだろう。

親父からの電話を、かつてここに泊った七菜香の父親からのものだと思っているようだ。

七菜香はぎこちない笑みを浮かべるだけで、老夫婦の勘違いを正すようなことはしない。


炬燵こたつがあって、テレビがある、ただの古い民家の居間で夕食をいただく。

猫がいて、老夫婦も一緒にご飯を食べる。

まるで田舎のお祖父ちゃんの家に来たかのようだ。

気疲れしそうだったが、この辺りの昔話や怪談を聞かされているうちに、七菜香の目はキラキラして、俺もいつしかくつろいだ気分になっていた。

時おり、以前に七菜香が泊ったときの話が出る。

老夫婦と一緒にあちこち回ったらしく、話の節々から七菜香の父親の人柄がうかがえた。

俺には鹿のフンを娘に投げつける情報しか無かったが、意外と繊細で知的な人だったらしい。

たぶん、七菜香と似たタイプの人だったのだろう。

「お風呂が沸いたよ」

お婆ちゃんのその一言で、何故かドキリとする。

「お兄」

「な、なんだ」

「着替えを持ってきてない」

日帰りのつもりだったから当然だ。

「ああ、じゃあ今から洗濯して、乾くまで私のズロースでも」

ズロースって何だ?

「いいですいいです!」

判らないまま断る。

「冬だし、一日くらい同じもの履いても問題なしです!」

よくは判らないが、七菜香かがズロースとやらを履くと、俺はお爺さんのパンツだか股引ももひき? だかを履くことになりそうだ。

別にそれをお互い見せあうわけではないが、何となく避けたい気がした。


七菜香が先に風呂に入り、俺は老夫婦と炬燵でミカンを食う。

近くを流れる川のせせらぎが常に聞こえてきて、どこか安らぎを感じさせる。

「お兄ちゃんは、七菜香ちゃんのお兄ちゃんじゃないのかい?」

老夫婦が、俺の安らぎをぶっ壊してきた!?

「え? いや、何を?」

でも……悪意や好奇心などでは無いのだろう、二人とも、少し寂しそうな顔をしていた。

「前に来たとき、一人っ子で甘えたでねぇ、ってお父さんが言ってたから」

そりゃそうか、二人の様子を見て会話を重ねれば、本当の兄妹でないことくらい気付くよな。

と、なると、俺の立ち位置は、義兄なのか彼氏なのか。

「彼氏さんにも見えないし……」

うっ! それはそれで傷付くような。

七菜香が一人っ子という情報があったとしても、お兄ちゃんに見てもらえなくて、彼氏にも見えない俺は、果たして七菜香の何なのだろう?

七菜香、兄ちゃん自信無くなってきたよ。

「雰囲気が史郎さんみたいだなぁ」

「史郎さん?」

お爺さんの呟きに問い返すと、お婆さんが頷く。

「七菜香ちゃんが、オトン、お兄、って呼ぶ感じが、そっくりで」

そうか、史郎さんというのは七菜香のオトンのことか。

「それもそうだが、七菜香ちゃんのほら、あの力の抜けたような笑顔。あの顔でお兄ちゃんを見るとこなんか、史郎さんがそこにいるみたいだもんなぁ」

あれ? 兄でも彼氏でもなく、俺は七菜香のオトンみたいなのか?

「そんなに似てるんですか?」

二人が顔の前で手を振って笑う。

「いや、お兄ちゃんが似てるわけじゃなくて、七菜香ちゃんが甘えてる様子とか、信頼を寄せてる空気みたいなもんがね」

「……」

「間違ってたらすまねぇけど、お兄ちゃんになった、それで、七菜香ちゃんを大事にしてきた、ってとこかなぁと」

「ええ、まあ」

「偉いねぇ」

「いえ、偉いとかじゃなくて、ただ一緒に楽しんでやってるだけで」

「可愛らしい、楽しい、それだけじゃあ、本当の肉親のように大切には出来んもんよ」

「いや、そこはたまたま、ウマが合ったというか、七菜香はいい子なので」

気が張っていたのだろうか。

慣れない人の前だから?

いや、もっと前、今までで一番の遠出をするからって出掛ける準備をしている時?

違う、もっと、半年以上も前から俺は──

七菜香がぺこりと頭を下げたあの時、なんて弱々しい存在なんだと思った。

初めて笑顔を見せてくれたのはいつだったか。

ただそれも、弱々しいものだった。

守ってやりたいという庇護欲も確かにあったが、何よりも俺は、いい兄であろうと努めた。

努めた? いや、努力なんてしたつもりは無い。

好きでやってきたことで、大変なことも辛いことも無かった。

ただ、やっぱり気は張っていたのだろうか?

赤の他人と家族になること、人見知りの七菜香が、その表情を柔らかくほころばせるようになること、そしていつかは──

「いい子だからこそ、いい人にしか懐かないんだよ」

そう言われて俺は、嬉しかったのか気が緩んだのか……。

俺はただ、顔を伏せて何度も頷いた。

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