第8話 店員さん

高校の最寄駅から電車に乗る。

乗車位置はいつも適当だったけれど、何となく七菜香の定位置に乗ってみた。

普段、見慣れた風景が、ちょっと新鮮なものに感じられる。

どこまでも続くレール、背筋を伸ばした運転士の後ろ姿、モーターの音と流れる景色。

退屈はしないのに何かが足りないような気がして、ふと周囲を見渡し、七菜香がいないからだと気付く。

思わず苦笑する。

アイツは何で、あんなに目を輝かせて風景を見るんだろう。


電車を降りて、改札を出たところで七菜香を見つける。

同時に七菜香も俺に気付いたようで、パタパタと駆け寄ってくる。

「お兄、おかえりー」

へらっ。

犬を飼ったことは無いけれど、まるで愛犬が尻尾を振って迎えてくれたようだ。

それにしても、七菜香が駅に迎えに来るなんて初めてのことで少し驚く。

「どうかしたのか?」

七菜香は誤魔化すように目をらすと、ちょっと口をモゴモゴさせた。

「お兄が学校に行った後、少し寝て」

「うん」

「嫌な夢を見て目が覚めた」

「うん」

「コンポタ買っておいた」

「誤魔化すな!」

ポカっと頭を叩いてから、差し出されたコンポタを受け取る。

あったかいけど、兄ちゃんはお茶のほうが好きだなぁ……。

「ねえ、お兄」

家に向かって歩き出すと、七菜香は駅前の高層マンションを見上げながら、空に向かって語り掛けるみたいに言う。

「はわっ!」

つまづいた七菜香を支える。

「ちゃんと前見て歩け」

あらかじめ警戒をしていたから支えられたものの、七菜香は何かと危なっかしい。

「上を向いて歩こうって、昔、誰かが歌ってた」

「あれはお前にはまだ早い」

「そっか」

七菜香は地面を見た。

いや、極端だろ。

「夢にね、お父さんが出てきた」

「……」

「いい夢だったのかも知れない」

俺が生まれるより、ずっと前に流行ったらしいその歌の歌詞を、何故か少しは知っている。

上を向いて歩くのは、涙が零れないように。

七菜香はきっと、父親の夢を見て、目が覚めたときに家には誰もいなくて、それで寂しくなって駅まで俺を迎えに来たのだろう。

でもごめん。

俺はまだ高校生で、七菜香と二つしか違わなくて、七菜香に何て言ってやればいいのか判らない。

「お兄」

へらっ。

でも七菜香は、いつもみたいにゆるゆるの笑顔を俺に向けた。

「お兄は私が予想した通りの電車に乗って帰ってきた」

そんなことで嬉しいのか。

なら、この先の七菜香は、嬉しいことだらけに違いない。


家の近くのコンビニ前で、七菜香が立ち止まる。

たぶん今度の土曜日には大仏さんに会いに行くことになるから、無駄な出費はひかえておきたい。

「お兄はコンビニスイーツが好き」

いや、俺は甘いものは好きでは無いが?

「♪七菜香とコンビにファミ──」

「さ、コンビニに寄っていこうか」

何故か最後まで歌わせてはいけない気がして、七菜香の腕を引いてコンビニに入る。

「いらっしゃいませ!」

店員さんの元気な声に、七菜香はうつむくような感じでペコリと頭を下げる。

俺はと言えば、ちょっとドキッとしてしまった。

久し振りに見た。

俺が中一の時から、ここでバイトしている三つ年上の女性。

人懐ひとなつっこくて、いつも明るくて、いかにもお姉さんという感じで俺によく声を掛けてくれだが、俺は気の利いた返事が出来たためしが無い。

盗み見るように名札を見て、彼女が「イトウ」さんであることを知り、それだけで近くなれたような気がしたのは懐かしい思い出だ。

以前は夕方に見掛けることが多かったけれど、最近は昼間に入っているのだろうか。

あ、そうか、大学生になってるから、まだ休みだったり、昼間でも入れる日があったりするのかも知れない。

俺もペコリと頭を下げた。

イトウさんはニヤッと悪戯いたずらっぽく笑って、オヤジのような仕草で小指を立てる。

そうなんだよなぁ、この人、お姉さんというよりオヤジなんだよなぁ。

「お兄」

「なんだ」

「いま店員さんにファッキューってされた?」

「どうやったらそこまで店員さんに嫌われるんだ!? つーか小指だよ!」

「死ね、クソ野郎じゃなくて、ちょっとムカつくぜ、くらい?」

「い、いや、彼女か? ってことだよ」

「ほよよ?」

何だか遥か昔に流行ったような感嘆詞が出てきた。

「小指は彼女のことで、七菜香は兄ちゃんの彼女か、ってからかわれたんだよ」

へらっ。

いや、どうして嬉しそうに笑う。

兄ちゃん、どう返していいか困ってしまうぞ。

「お兄」

「ん?」

「これは何ぞ?」

タバコより少し大きめの箱。

買ったことは無いが、用途と名称は知っている。

本来の使用目的で使ったことは無いが、水を入れてパンパンにふくらませるゴム風船としてなら使ったことはある。

あの時は、大人への階段を上った気がした。

気がしただけで、それが錯覚だったことは、今はきちんと理解している。

「お兄」

「ん?」

「店員さんが、こっち見てバツ印作ってる」

見れば、確かにイトウさんが腕を交差させ、「ダメだよ!」という顔をしている。

オヤジっぽいところはあるけど、やっぱり可愛らしい人だな、と思う。

「俺達にはまだ早いってさ」

「そっか」

ん? 七菜香は意外と素直に受け入れたが、俺達?

自分で言って、後から意味深だったことに気付く。

いやいやいや、七菜香は妹だし、単純に、俺にも七菜香にもまだ早いってことで、決して「二人には」という意味では無い。

「お兄」

「な、なんだ?」

「どうしてマンガ雑誌は、水着の女性が多いのか」

「……お前にはまだ早い」

「もしかして水着の可愛いネーチャンを載せとけば買っちゃうバカがいる?」

「男は単純で複雑なんだよ」

「女は複雑で単純なのかも」

意外と真理かも知れないことを言う。

「お兄!」

「今度はなんだ?」

「七菜香御用達ごようたしのプリンが無い……」

「ふーん」

っす! 反応薄っす! 二百円のプリンの予定が四百円のショートケーキに変わるのに太っ腹」

「聞いてねーぞ!?」

「はんぶんこする」

「え?」

「チョコがいい? イチゴ?」

「いや、俺はいいから好きなの選べよ」

「はんぶんこがいい」

「じゃあ、チョコで」

へらっ。

何が嬉しいんだか。

でも、はんぶんこって、なんかいいな。

独り占めより、分け合えることが嬉しいのは何故だろう?


「久し振り! 元気してた?」

レジで待ち構えていたイトウさんが話し掛けてくる。

「ええ、まあ」

「カノジョ?」

「いや、妹っす」

「またまたー、妹とスキン、じゃなくてコンドー、じゃなくて、避妊具なんて見るわけ無いでしょー」

だんだん具体的になってますが。

「田神くんのこと、いいなって思ってたのに、お姉ちゃんショックぅ」

男子というのは、こういう女性に弄翻ほんろうされ、傷付いて大人になっていくんだろうなぁ。

田神という俺の苗字をちゃんと憶えてくれてたりするところにも、男子はほのかな期待を抱くものだ。

「でも彼女ちゃんカワイイー!」

まあ確かに七菜香は可愛い。

けどそんなことを言うと、コイツは調子に乗ってふんぞり返るだろう。

人見知りする七菜香はずっと俯いているけれど。

「また来てねー」

俺は照れ臭いような、嬉しいような気持になる。

でも何故か、七菜香は家に帰ってケーキを食べていても、ずっと不機嫌な顔をしていた。

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