第6話 気象予報士
雪の降りしきる中、七菜香と二人で歩く。
誰も踏んでいない雪の上を歩くのは、楽しいような、何だか申し訳ないような気持にさせる。
「ふはははは、
妹は病んで──いや、楽しんでいるようだ。
子供のように雪を蹴散らし、足跡を付けまくり、時に雪玉を俺に投げつけてきた。
「あ、お兄」
何かを見つけたらしく、七菜香が駆け出す。
ホント、子供みたいなヤツだな。
俺は微笑みながら、その
「お兄、コンポタあるよ!」
喜色満面で自販機を指差す七菜香。
そうかぁ、コンポタ見つけたかぁ。
でも兄ちゃん、もうコンポタは要らないかな。
そこからは自販機を見つける度に、「お兄、コンポタあるよ」とわざわざ報告してくれる。
コンポタが無くてもだ。
ウザ可愛いとは、こういうことを言うのだろうか。
「あそこに小四まで通ってた」
七菜香が立ち止まり、今度は
何の変哲もない、街中と変わらない建物だが、琵琶湖の眺めが良さそうだった。
「学校の横の溝で、小さい
マジか!?
ただの溝で鮎が獲れるとか、滋賀県ハンパねーな。
「水槽で飼ったら全滅したことは謝る」
いや、俺に言われても。
「昔、琵琶湖で泳ぎながらおしっこをしたことがあって」
……何の話だ?
「下流の京都、大阪ざまぁ、なんて思った私を、お兄は許してくれますか?」
「何の
「いや、もう少し湖岸にトイレを作れよという行政批判」
そうかぁ、中二にして行政批判しちゃうのかぁ。
兄ちゃん七菜香の将来が楽しみだな。
「む、これはいかん!」
今度はなんだ?
スマホを凝視した七菜香は、まるで占い師が悪いカードか手相でも見たように、その
「どうした?」
「あと二十分くらいすれば、雷を伴って吹雪くかも。早く駅に戻ろ」
七菜香のスマホには、気象庁のレーダー画像が表示されていた。
そう言えば、コイツは気象オタクでもあった。
気象オタクなんてカテゴリーがあるのか知らんが、いつも天気予報は熱心に見てるし、気象庁のホームページはブックマークしている。
最初の頃は、引きこもりなのに何故そんなに天気が気になるのか、などと思っていたが、落書きで天気図を書いているのを見て、俺は察した。
全国に女子中学生が何人いるか見当もつかないけれど、気象庁のホームページをブックマークしている奴なんて、たぶん数えるほどしかいないだろう。
ましてやノートの隅に、簡略化された日本列島と等圧線を描き、「これで太平洋側も大雪なのだ」などと呟いて悦に入る女子中学生など、恐らくどこにもいまい。
改めて、面白いヤツだと思う。
まあ同級生からしたら、変な奴で片付けてしまうのかも知れないが、こういう個性や特技は伸ばしてやるべきだと思う。
「お兄、朝鮮半島の南にカルマン
……まあ、なに言ってんのか判らない時がよくあるけど。
「七菜香」
「あい」
「駅に戻るのはいいとして、以前に住んでた家は見なくていいのか?」
「……」
「どうした?」
「さっき通ったけど、
へらっ。
それはいつもの「へらっ」とは違って、どこか力を込めるように
「そっか」
俺は、七菜香の頭をポンポンと叩いた。
ウチの両親は離婚だったけど、七菜香のところは死別だ。
かつて両親と暮らした家には、沢山の思い出があっただろう。
それに……たぶんだけど、七菜香はお父さん子だったんじゃないかな。
親父に対してはいつも愛想笑いを浮かべているのに、どこか距離を感じさせるのは本当の父親が大好きだったから。
そして、それでも俺に
なんて、考え過ぎだろうか。
だとしても、俺はもっと頼れる兄貴にならなきゃ、と思う。
「お兄」
「ん?」
「琵琶湖は逃げないし無くならない」
思い出の場所が一つ消えたとしても、絶対に消えないものがある。
そう言いたいのだろうか。
いや、そう言わせてしまっているのだろう。
「七菜香」
「あい」
「冬休みが終わっても、土日があるぞ」
「?」
「次に行きたい場所を考えておけ」
思い出なんて、これからいくらでも作れる。
上書きする必要は無いけど、思い出は沢山ある方がいい。
楽しい思い出があればあるほど、悲しい思い出もいつしか優しく感じられる
「いいの?」
「いいよ。お兄は
そう言って笑うと、七菜香はいつも通りの笑顔を浮かべた。
「えっとね」
「ああ」
「七菜香は、日本一でっかい大仏さんが見たい」
「そうか。うん、いいな。次は奈良県だ」
へらっ。
うん、いいな、いつものゆるゆる笑顔だ。
「鹿せんべい買っていい?」
「鹿せんべいなんて安いもんだ」
「鹿を
「いや、それは」
「待っていろ、奈良県民。貴様らの神鹿など、この七菜香様が手懐けてくれるわ」
声高らかに言い放つ妹は、やっぱりヘンで……七菜香は、やっぱり七菜香だった。
気象予報士、七菜香の言った通りに、駅に着く頃には吹雪いてきた。
電車は遅れてやってきたが、止まるほどのことは無く、緑色のちょっとくたびれたような電車に乗り込んだ。
「懐かしの117系!」
なんか判らんが、やはり古い車両らしい。
「お兄」
「ん?」
「お兄は、学校でモテモテ?」
「んなわけねーだろ」
何を今更、と思う。
冬休みに妹以外と出掛けなかった兄、であることは、七菜香も判っている筈だ。
中学の時は、結構モテたんだけどなぁ。
「時々電話してくるあの女は彼女?」
「なっ!?」
確かに一人、俺に電話してくる女子がいる。
だがアイツは、彼女どころか友達ですらない。
「ただのクラスメートだ」
ただの?
いや、ちょっと違う。
彼女でも友達でも無いが、ただのクラスメートとも違う。
いや、でも、アイツは──
断じて妹などではない!
「お兄?」
ああ、明日からまたアイツと顔を合わすのか。
悪いヤツではないと思うが、アイツもかなり変なヤツで、扱いに困るのだ。
「お兄、はい」
俺が頭を抱えていると、いつの間に買ったのか、七菜香が鞄からホットドリンクを取り出した。
いや、コンポタだからドリンクとは言わないか。
って、なんでコンポタやねん!
「私の
へらっ。
悪意があるのか無いのか。
ただまあ、この笑顔を見れば、コンポタでもいいかぁ、なんて細かいことは気にならなくなるのだけど。
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