第5話 コンポタ

駅は高架でひなびた雰囲気は無かったが、改札には誰もおらず無人駅だった。

弱い雪が降っているので鞄から折り畳みの傘を出す。

「お前、傘は?」

「持ってきてない」

「お前がこっちは雪だって言ってたのにか?」

「傘など一本あれば事足りると判断」

つまり、あれか?

相合い傘というやつか?

「まあいいや、狭いけど入れ」

七菜香がにぱっと笑う。

童顔でちんちくりん、しかも二人とも厚着だし、密着したところでどうってことはない。

「お兄」

「なんだ」

「お兄のドキドキが、七菜香に伝わってくる」

「ドキドキしとらんわっ!」

「そっか。これは七菜香のドキドキなのか」

コイツ……。

「雪とお兄と懐かしい景色」

七菜香が俺の腕をつかんで、噛み締めるようにそんなことを言う。

へらっ、といつもの笑みを浮かべた七菜香に、不覚にも俺はドキっとしてしまった。

真っ白な雪と七菜香は、とてもよく似合った。


国道を渡り、古い民家が建ち並ぶ道を抜けると、眼前に琵琶湖が広がった。

「お兄」

「ん?」

「どや」

七菜香が、清々しいまでのドヤ顔で俺を見た。

なまり色の湖面は、茫漠ぼうばくとした寂寥感せきりょうかんたたえていた。

もっと晴れた日に見れば、どこまでも広がる青い水面がそこにあったのだろう。

でも正直なところ、目の前の風景は少し寒々しいものに感じられた。

「七菜香」

「あい」

「ここはお前の遊び場だったのか?」

小さな砂浜。

そこに想像した幼い七菜香を置いてみると、風景が華やぐような気がした。

砂浜を駆け、水とたわむれる。

そこに俺の知らない笑顔があるのなら、見てみたいと強く思う。

「お兄は今、七菜香のスクール水着を想像した」

「しとらんわっ!」

「ここでスクール水着で何度も泳いだけど」

……すまん、いま想像した。

いや、でも、小学生の七菜香を想像したところで、別にどうということはない。

「夏になったらお披露目して進ぜよう」

今は厚着で判らないが、無い胸を得意げに張る。

「そうだな。夏も来ような」

へらっ、といつもの脱力するような可愛い笑顔が返ってきた。

雪が降って寒いのに、七菜香は俺の腕を引っ張るように上機嫌で歩き出す。

「そう言えば、この辺に昼メシ食うようなところあるか?」

何も持ってこなかったし、途中で何も買っていない。

周りを見渡しても、コンビニすらありそうにない。

「お兄、あそこに自販機が」

いや、確かにあったかいドリンクも欲しくはあるが、腹の足しになるかというと……うーん、コーンポタージュくらいか?

「仕方ない、これでいいや。ほら、お前は何にする?」

「お兄」

「ん?」

「私はお茶にするけど……」

「お茶だけでいいのか?」

「お兄こそ、コンポタなんかでいいの?」

「コンポタなんかとはなんだ。コンポタ好きに謝れ」

「私も好きだけど、おにぎりには合わないかと」

「は? おにぎり?」

「七菜香ちゃんお手製、スペシャルおにぎりが鞄の中に」

「先に言えよ!」

「さぷらいず?」

「まあ……確かに驚いたけど」

ふにゃっと七菜香の顔が緩む。

無防備というか、信頼というか、とにかく飾らない素直な表情に、俺は笑みを返さざるを得ない。

……でも、そうか。

弁当作りには失敗したけど、ご飯は上手く炊けたんだな。

カップラーメンさえ面倒がるコイツが、米を研いで、炊飯器の電源を入れ、炊飯ボタンを押したのだ。

偉い! 偉いぞ七菜香!

しかも、その小さな手に塩を馴染ませ、ご飯に具材を包み込んで握ったのだ!

凄い! 凄いぞ七菜香!

……まあ、一般的には大したことではないのだが、俺は兄として妹の成長を喜ばずにはいられない。

一瞬、もしかしたら男として喜んでいるのでは、なんて考えが頭によぎっったけれど、取り敢えずそれは封印しておくことにする。

七菜香はきっと、俺を兄として見てくれているのだろうし。


幸い、風はあまりなく、雪もちらつく程度になってきた。

湖岸にある公園の東屋あずまやでおにぎりを頬張ほおばりながら、二人で雪景色を眺める。

おにぎりは卵くらいの大きさの可愛らしいもので、弁当箱ではなくタッパーに詰められていた。

海苔のりも私が巻いた」

「よくやった」

へらっ。

「梅とおかかも私が入れた」

「いいぞ」

へらっ。

「ご飯も炊いた」

「素晴らしい」

へらっ。

「お米も私が作った」

「さすがだ、ってどさくさに紛れて嘘を吐くな」

てへっ。

ヤバイな。

いちいち笑う七菜香が可愛くて仕方ない。

「コンポタでおにぎり食べてるお兄ウケる」

いちいち笑うな。

「おにぎり美味しい?」

「ああ、美味い」

塩加減も、ご飯の炊き加減もちょうどいい。

「コンポタは美味しい?」

「コンポタは……まあこんなもんだろ」

単体なら悪くはないと思う。

だがどうしても口に残る。

まとわりつくというか、にちゃつくというか、とにかく口の中がコンポタ味のまま、おにぎりを食べることになる。

ご飯とコンポタは混ざり合い、やや甘味を増すように感じられるが、それをまたコンポタで流し込む。

一向にさっぱりしない。

「微妙な表情してるお兄、まじウケる」

足をバタバタさせて喜ぶ七菜香は、さながら父親のドジを見て笑う子供のようだ。

ならば俺は父親のような寛大な心で、七菜香を微笑ましく見ていてやろう。

「お兄、はい」

は?

不意に目の前に差し出されたペットボトル。

俺はその飲み口を、何故か凝視してしまった。

父親のような寛大な心を忘れ、かといって兄のように無頓着むとんちゃくでもいられず、異性を意識し始めたばかりの少年のように動揺した。

間接キス? はっ、何を考えているんだ俺よ。

お前は七菜香と同じ風呂のお湯にかったりしてるんだぞ?

それは間接キスどころか、間接的に全身くまなく触れたのと同じではないか。

家の中には接触場所が盛り沢山だし、七菜香の座った椅子に座れば、間接ケツ合わせだ。

間接キスくらいで何を躊躇ためらうことがあろう。

「サンキュ」

「あ」

俺は七菜香の手から奪うようにしてペットボトルを受け取り、さっぱりとしたお茶の苦味を味わった。

ほら、何も気にすることなど無いのだ。

何故かほんのり甘いような気がするのは、茶葉の持つ本来の甘味のはず……。

「お兄は私の唇を、間接的、かつ強引に奪ったのでした……」

「やめい!」

くそ、また「ふにゃ」っとしやがって。

ふにゃっとしてふわっとしてへらっと笑うゆるゆるの妹を、俺はいつか扱いあぐねるようになる気がして、少しばかり戸惑ってしまう。

「困ったなぁ……」

雪が強くなってきた。

鉛色の空を見上げて、俺は途方に暮れたようにそう呟いていた。

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