第3話 カップ麺

兄様あにさま

今日は兄様か。

様を付けているが、敬意など全く込もっていない口調で七菜香が俺を呼ぶ。

昼下がりのリビング。

家にいるのは俺と七菜香だけだ。

「ヒマそう」

「今ごろ起きてきて失礼な!」

「兄様は時間を持て余してますか?」

「いや、言い方を変えても失礼度合いは変わらんからな?」

「カップラーメン作って」

「……」

へらっ、と笑って見せるが、愛想笑いのつもりだろうか。

これはあれだ、兄様というより召使のほうだ。

「カップラーメンなんてお湯をそそぐだけだろ。それくらいは自分でやれ」

普段は甘い兄でも、どんなときでも甘いと思うなよ?

優しいのと言いなりになるのとでは意味が違うのだ。

「そうは言ってもおにい、まずは外装フィルムをがすでしょう?」

兄様からお兄に変わったが、結局、自分で作るようだ。

「次はフタを点線のところまで開けます」

「ああ」

「これがなかなか、ちょうど点線のところに合わせるのが難しい」

言ってるそばからフタが破れてしまい、七菜香が顔をしかめる。

手先が不器用なヤツだ。

「まあ、ちょっとくらいズレても問題ないだろ」

「ここでしばし、食べたい物を投げ捨てたくなる矛盾と闘います」

「時間の無駄だと思うなぁ」

「……では、気を取り直して。次にかやくとスープの袋を取り出します」

「まあ、そうだな」

「かやくは先入れ、スープは先入れの場合と後入れの場合があって、順序を間違えると味がいかほど変わるのか、ここで試してみたい誘惑に駈られる」

「指示通りにやっとけ!」

「闘いは、第二ラウンドに入ったのだ」

「……手短にな」

「ふう……」

どうやら闘いも終わり、説明書き通りに事を進めるようだ。

「お湯を入れるときは内側の線までってあるけど」

「俺は好みで調整したりするぞ」

「ここで脳内に、危ないですから内側の線までお下がりくださいって女性アナウンスが流れる」

「病気だろ!?」

「しかも微妙に内側の線が見えにくい商品があるし、駅のホームみたいにキッチリ線を引けと」

商品開発部も、駅のホームを引き合いに出されるとは夢にも思うまい。

「ここまで……長い闘いだった」

「お湯を注げよ!」

三分待つ以前に疲れてどうする!

「よし、今から百八十秒間、秒針から目を離すわけにはいかぬ!」

「いや、もっとリラックスしろよ」

「電車の遅延に文句を垂れる国民が、自分のメシで延着も早発も許されていいものか」

「知らんがな」

「お兄」

「なんだ」

「お兄はお昼は?」

「いま何時だと思っている」

「一時五十……ああっ!」

「ど、どうした!?」

「秒針を……見失ってしまった……」

ガックリと項垂うなだれる。

これってあれ? 俺のせいってやつ?

いやでも、ちょっと秒針から目を離しただけだろ?

「二十三秒のところからお湯を注ぎ始めたから……」

なんでそんな中途半端なところから……。

「三十秒のところで注ぎ終わったとして……お兄!」

「なんだ」

「いま何周目?」

「知らねーよ!」

「地球が誕生してから」

「もっと知らねーよ!」

「まあいいや、いただきます」

「っていいのかよ! さっきまでのこだわりはどこ行った!?」

ちゅるちゅると食べ出した七菜香は、食べて直ぐにお預けを喰らった犬みたいに、え? 食べちゃダメなの? という顔で俺を見る。

はしを止めたわけでは無いけれど。

「いや、いいから気にせずゆっくり食べてくれ」

ちゅるちゅる……。

ちゅるちゅる……。

口が小さいから、ちまちま食べてるように見える。

顔も手も小さいから、普通サイズのカップ麺が大盛サイズに見える。

冬休みとはいえ、午後二時になっても寝間着姿のまま。

ソファに両ひざを立てて座り、その膝にカップ麺を乗せるようにして食べる姿は上品とは言い難い。

食べながらスマホもポチポチいじる。

怠惰たいだで行儀が悪いけれど、でもどこか愛らしい。

「お兄」

「ん?」

「明日で冬休みが終わるわけでありますが」

「そうだな」

「七菜香は日本一でっかい湖を見に行きたい」

三学期が始まっても、たぶん七菜香は学校に行かないだろう。

両親は共働きだし、俺は学校へ行く。

何かと一人で楽しみを見出しているようではあるが、やはり少しは寂しいのだろうか。

「別に予定は無いな」

交通費は……それなりにかかりそうではあるけれど。

「いいの?」

申し訳なさそうな顔をするより、嬉しそうな顔をしてくれ。

「天気概況、明日は西高東低の冬型の気圧配置となり、北部は大荒れの天気となるでしょう。ところによって雷を伴い、吹雪くところも──」

「時間と金に対する申し訳なさじゃ無かった!」

「電車が止まるかも知れないし、寒さに凍えて、私は鼻水を垂らすかも知れない」

電車が止まるのは困るが、お前が鼻水を垂らすくらいで困りはしない。

まあポケットティッシュは多めに持っていくとして、あとは使い捨てカイロと……。

「お兄!」

「な、なんだ?」

「鼻水を垂らした妹でもいいの!?」

……時間でも金でもなく、電車が止まることでもなく大荒れの天気の日に出掛けさせることでもなく、コイツは、鼻水を垂らしたら申し訳ないと思っていたのか!?

でも、コイツも女の子なんだな。

鼻水なんて気にしないくらい、本当の兄妹みたいになりたいと思う。

でも……あれ?

女の子として恥ずかしがる七菜香を、俺はどこか嬉しく思ったりしてる?

「お兄」

七菜香が恥じらうように俺を呼んだ。

もしかしてコイツも、俺を男として見ている?

「食べ終わったから、捨ててきて」

恥じらいは単なるこびだった!

「ゴミ箱まで数歩だろうが! 俺は男どころか下僕かよ!」

「?」

「判らんのなら構わん! ただ、明日は早起きしろよ!」

「……お兄」

「なんだよ」

「ありがと」

ったく、コイツは妹でありながら、庇護欲だけでない何かを俺に目覚めさせるのだ。

明日が、たとえ大荒れの天気でも、楽しみで仕方なくさせるくらいには。

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