第46話 非常識
「あ、あの……」
当惑しながらも、咲が口を開いた。
だが、次の言葉が出てこない。
当り前だ。
何て
「えっと、彼がこーすけ君で、私は妻の美矢」
咲の
って、奥さん?
……それらしい雰囲気は確かにある。
寧ろタマちゃん先生より奥さんらしい
からかわれているのかとも思ったが、その笑顔は純真にすら見えて、疑う余地を与えてくれない。
『三人とも、同じ指輪をしてるわ』
相手に聞こえはしないのに、ミサが声をひそめて言った。
さすが女子、そういったところは
咲も気付いているのだろうか。
ただ、
美矢という女性がこの男性の妻ならば、先生、あなたは何なんですか?
「ふふん」
何故か先生は、満を
「私こそが孝介さんの真の妻──痛っ!」
「真も偽も無いわっ!」
先生は、一日に何度、頭を叩かれるのだろう?
いや、そんなことより、真も偽も無いってことは……。
「タマちゃん先生、一日に何回くらい頭を叩かれるのですか?」
そっち優先で訊く!?
咲はここまでのやり取りを、まだ冗談だと考えているのだろうか?
「真の妻は十回くらいです。偽の方はゼロ回ですね」
まるで叩かれる回数で愛情の
「見ての通り、良くできた妻と手のかかる妻です」
旦那さんが苦笑しながら言うが、軽く聞き流していいセリフではない。
「手のかかる妻ほど可愛いと言います」
「言わねーよ!」
思わず声に出してツッコんでしまうが、僕の声は聞こえないから問題ない。
でも、出来の悪い子ほど可愛いというのと通じるものがあるかも知れない。
って、問題はそこではなく、当たり前のように孝介さんとやらが二人を妻と認めた点だ。
「私は以前、あなた達に
子供っぽくなっていた先生が、普段の先生の顔に戻る。
確かに先生のその言葉は憶えている。
「私の孝介さんも、常識に捉われない関係を続けるヒントがあるかも知れないと言いました」
普段の先生に戻っても、ちゃっかり「私の孝介さん」などと言ってしまうところが子供っぽいのだが、まあ旦那さんの言ったそれも憶えている。
つまり、入籍してるかどうかはともかく、二人の女性と結婚して三人で暮らしているという事実に、何か参考になる要素があると?
でもそれって、ただのハーレム──
「それって、常識に捉われないとかいう以前に、ただの常識外れなんじゃないですか」
「おい、咲!」
咲が腹を立てていた。
ドキリとするくらい冷たく強い口調だった。
その気持ちは判る。
世間一般的に見て、この三人、特に男性は批難されるような生活をしている。
それを、僕と咲の関係に当て
おかしくはないのだが、美矢さんも孝介さんも咲の否定を受け止めた上で、それでも尚、
……タマちゃん先生は、何かを
「先生、教師でしょ!」
でもそんな三人の反応は、
教師なら生徒の見本になるように生きるべきだと、咲らしい真っ直ぐな感情をぶつけてしまう。
「あの、私も小学校の先生やってるの」
うわー、美矢ちゃん先生かー、ドハマりするなぁ。
子供達にとても好かれそうだ。
素直にそう思うけれど、それは火に油を注ぐ発言でもある。
「そんなんで子供に何を教えるつもりですか? 一夫多妻制? 浮気推奨? バカにしないで!」
「咲!」
言い過ぎだ。
「勉、帰ろ!」
咲は僕の腕を
「いや、でも──」
僕は先生達に目を向けた。
険悪な空気になりそうなのに、やっぱり険悪なのは咲だけだった。
美矢さんの
美矢さんも僕が見えるかのように、こちらを見て微笑む。
そして静かな口調で言った。
「生きること」
居間から出て行きかけた咲が足を止める。
「死ぬこと」
それは、不思議な重々しさを持って、僕の胸に響いてきた。
「悲しいこと、嬉しいこと、痛みと喜び、それから、愛することと愛されること」
言葉以上に目が
それが、子供達に教えたいことなのだと。
勉強などでは無く、人間のもっと根源的な、言葉にすれば簡単だけど、子供に教えるには酷く難しい大切なこと。
僕は何故か圧倒された。
美矢さんの言葉もそうだが、何かを堪えていたような先生が、得意げに笑ったのだ。
自分の夫にもう一人の妻がいる。
本来ならそれは、嫉妬や憎しみの対象であってもおかしくはない。
なのに先生は、その存在を誇るように胸を張り、そしてその存在を愛おしむように笑ったのだ。
今まで見てきた先生の、どんな表情よりも素敵な笑顔だった。
ああ、きっとこの二人は、いや、この三人は、僕らの想像を遥かに超えた深い
「僕たち家族のことを話そう。聞いてもらえるかい?」
孝介さんは夫婦ではなく、家族と言った。
なるほど、夫婦といえば二人であることが常識だが、家族といえば三人だろうが五人だろうが家族だ。
そしてそれは、何人であろうとその愛が薄まるわけではないし、その強弱によって区別すべきものでもない。
広義の意味では夫婦も家族だ。
ならばその違いはどこにあるのだろう?
結ばれる愛が、一対一である必然性など、あるのだろうか?
咲は元の場所に座った。
猫がまた、今度は咲を見て「みゃー」と鳴いた。
猫もまた、彼らの家族のようであった。
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