第45話 先生?

七月の終わりに、先生の家を訪ねることになった。

咲と二人で、ミサも入れれば三人で汽車に乗る。

三人乗っても一人分の運賃しか払わないのだから、何だか無賃乗車のようで気が引けるが、ミサには「無駄な罪悪感」と言われてしまった。

『空気より軽く、透明人間より存在感の無い男ね』

更にその中に居座るお前は何なんだ……。


汽車に揺られて四十分ほどの無人駅で下車する。

僕達の住むところは県庁都市の町外れで、住宅と田畑が混在する片田舎だが、ここは正真正銘の田舎だった。

田圃たんぼと山の緑が圧倒的で、何となく都会人っぽい雰囲気のあるタマちゃん先生のイメージとかけ離れていた。

駅前には見覚えのある男性が立っていて、横に軽トラも停まっている。

迎えに来てくれたのだろうが、軽トラは二人乗りだ。

僕は荷台に乗ればいいのだろうか。

でもそれって、道路交通法違反になるのでは?

『無駄な罪悪感ね』

また同じことを言われる。

『というか、彼女を男性と二人っきりにするのが嫌なのね』

深層心理まで読まないでくれ。

自分自身ですら意識してなかったのに、ミサに指摘されて納得する。

『ちっさ! ちっさいわつとむくん』

ひどい言われようだ。

『自分はこうやって美少女を囲っているくせに』

囲うとか言うな。

まるでめかけみたいではないか。

『でもまあ? 大人の男性で包容力がありそうだし? 普段しっかりしている咲ちゃんなんかは逆にコロッといっちゃいそうだし?』

なんて性格の悪い女だ。

でも、そう言えば出会った頃はこんなのだった。

「えっと、家にもう一台あるオンボロセダンが故障しちゃって、悪いけど荷台でいいかな?」

先生の旦那さんは、僕のいる辺りに見当をつけて申し訳無さそうに言う。

照れの混ざったようなその笑顔は、優しさがにじみ出すようだ。

くそっ、決してイケメンでは無いのだが勝てる気がしない。

「荷台の方が楽しそうだな」

咲はそんなことを言ってくれるが、道路交通法を破るわけにはいかない。

僕はしぶしぶ荷台に乗った。


車は十分ほど走り、いかにも田舎らしい民家の敷地に入る。

駐車場から庭と縁側が見え、そこに猫が寝そべっていた。

長閑のどかで、居心地の良さそうな日溜まりの庭と、ホッと落ち着けるような陰がおおう縁側で、涼しげに風鈴が鳴っていた。


軽トラの音を聞き付けてか、タマちゃん先生が玄関の外まで迎えに出てくる。

──え?

タマちゃん先生だと直ぐに認識したはずなのに、一瞬、否定しようとする意識が働く。

先生は、体操服姿だった。

恐らくは現役時代に着ていたものであろうし、別に似合わないわけでもない。

いや、寧ろ子供っぽくて現役女子高生でも通用しそうなほど似合っていたが、普段のタマちゃん先生のイメージからは信じがたいのだ。

僕と同じく、咲もポカンと口を開けて先生を見ている。

その視線に気付いた先生は、少し照れ臭そうに笑ってから、何故か胸を張るようにして言った。

「あー、これは主人の趣味で着せられて──痛っ!」

「嘘をくな!」

うわぁ……以前にも見た光景だが、あのタマちゃん先生が頭を叩かれる姿に驚きを禁じ得ない。

しかも叩かれた本人は、どこか嬉しそうに「へにゃ」っと笑っているのだ。

生徒の前ではツンツンなのに、夫の前ではデレデレという、生徒にとって全く嬉しくないタイプのツンデレである。

『メスの顔ね』

ミサはそう言ったが、僕には大人に甘える少女みたいに見えた。

多分、歳の離れた旦那さんは、夫であることは勿論、もしかしたら先生にとって保護者のような存在であるのかも知れない。


咲の視線に気付いた先生は、表情をキリっと引き締めると僕達を居間に案内した。

「そこに座りなさ──痛っ!」

「偉そうに言うな!」

……また頭を叩かれている。

僕達は先生のそんな口調に慣れているので偉そうなどとは思わないのだが、家の中では見せないような態度なのだろう。

「素敵ね」

咲がそっと呟いた。

家庭と仕事をきっちり分けていて、それぞれに相応しい姿でのぞめるなら咲の言う通りではあるが。

『咲ちゃんは、旦那さんのことを素敵って言ったのかも?』

……嫌すぎる。

でも、一部の生徒からは「氷の女王」と呼ばれている先生をここまで手懐てなずける旦那さんは、きっと素敵でふところの深い人なのだ。


居間からはまばゆい庭が見えた。

縁側に寝そべっていた猫が部屋に入ってくる。

サバトラ模様の、ちょっと太々ふてぶてしい気配と知性を漂わせた猫だ。

「サバっち、おいで」

先生が自分のひざを叩く。

が、サバっちと呼ばれた猫は、それを見事にスルーした。

「あう」

先生……アンタ、どこまでイメージを壊すんだ。

猫に無視されたくらいで、そんな絶望的な顔をしないでください。

「おいでー」

猫は咲の膝に飛び乗る。

「あう」

咲、先生を悲しませるな。

『ねこー!』

ミサ、はしゃぎすぎだ。

でも、あれ?

猫は僕を見て「みゃー」と鳴いた。


「いらっしゃーい」

「!?」

誰?

ニッコニコの笑顔で現れたこの女性は?

しかも先生と同じ体操服を着ている。

もしかして先生の同級生だったりするのだろうか。

近所に住んでいて、たまたま遊びに来ているのかも知れない。

……それにしては、この家に馴染んでいて、僕達のために冷えた麦茶を持ってきてくれたのだが。

咲の膝に乗っていた猫も、その女性の足元にまとわり付いているし?

『この女、ニッコニコだけど油断ならないわよ』

何をわけの判らないことを。

いや、でも、先生よりも猫に懐かれているし、笑顔でありながらも咲を見定めるような視線?

「紹介します。彼女は家政婦のみゃーで──痛っ!」

家政婦が雇い主の頭を叩いた!?

この家ではタマちゃん先生がサンドバックのようだ。

「嘘を言わない!」

家政婦さんがツッコむ。

いや、家政婦などでは無く……妻?

って、あれ?

なんだこの存在感。

咲の真正面に座った旦那さん。

その右隣に先生。

左隣のニッコニコの女性は、いったい……?




※今更ですが、タマちゃん先生と旦那さん、今回登場した猫と、みゃーと呼ばれる女性については、わけが判らない方もいらっしゃると思います。

拙作、「通勤途中と通学途中」「三人暮らし」の登場人物でして、よろしければお読み頂ければ、より感慨深く今作を味わってもらえると思います。

読んでいなくても楽しめるように書こうと思っているのですが……すみません。

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