第44話 初夜?

「咲、いつまでも電話してないで早く寝なさい」

ドアの外からおばさんの声がした。

全く無防備に、というわけにはいかないが、普段の会話は電話中ということで誤魔化せる。

「はーい」

と返事して、咲は僕に目を向け、肩をすくめるようにして笑った。

子供の頃と同じ、悪戯いたずらが見つかった時の仕草。

けれど、同じ仕草ではあっても、子供の咲と今の咲では見え方が違う。

梅雨の頃の可愛らしいパジャマ姿と、夏になって短パンとTシャツ姿になった今とも違う。

単なる可愛いでは無くて、秘め事を共有するみたいな含み笑いにドキッとさせられるし、肌の露出面積は僕を悩ませる。

「それじゃあ、勉、ミサちゃん、おやすみ」

そんな僕の懊悩おうのうなど知らず、咲はあっさりと眠ってしまう。

小さい頃は何度も泊まって一緒に寝た仲だし、今さら初夜だとかは意識してないのかも知れない。

いや、あるいは意識し過ぎて逃げたのかも。

眠る前に電気は消してもらったので部屋は暗い。

咲をずっと見ていたい気はしたのだが、その寝顔や寝姿に欲情せずにいられる自信が無かった。

もっとも、暗闇の中にいても妄想ははかどってしまうのだが。

『つとむは身じろぎもせず、暗い部屋の中で悶々としていた』

ミサが茶化してくる。

否定は出来ないけれど、肯定はしたくない。

『咲の呼吸は穏やかで、少し触れたくらいでは目覚めそうに無かった』

無視だ無視。

『咲は咲で、目を閉じてつとむの気配をうかがっていた』

ちょっと、三人称視点で語るのヤメテ?

『暗い部屋の中でなら、触れられても恥ずかしさは我慢出来るよ?』

おいコラ! 声帯模写もヤメロ!

咲が寝返りを打って、「……ん」と声を漏らした。

咲もヤメロ!

『つとむのナニがおっきした』

してねーよ!

『ん、という、たった一音で男は果てる』

果ててねーよ!

『つとむは思った』

何を?

『僕は早漏だ』

思って無いし、漏れてもいない!

そもそも血液も体液も存在しない!

『性的な事件の報道って、アレを体液って表現するわよね。なんで?』

……知らんがな。

『ねえ、つとむくん』

……なんだよ?

『案外と切ないものなのね』

は?

『男性が女性を求める衝動って、何だかけがらわしいものだと思ってた』

……。

『つとむくん』

なんだ?

『荒々しくて、繊細で、そして……尊いわね』

僕は恥ずかしくなる。

そんないいものでは無い。

動物的な、理性とは相反するものだと思う。

『その二つが拮抗きっこうして揺れ動く様が、苦しくて可愛らしいわ』

けっこう切実な状況を、可愛らしいなんて言わないでくれ。

『咲ちゃんは、私の存在を認めた』

『私がつとむくんの中にいることを許せないかも知れないけれど、それでも受け入れようとしてくれてる』

ああ、そうだな。

『私にも、おやすみって言ってくれた』

うん、そうだな。

『きっと不安だから、せめてつとむくんにはそばにいてほしいのね』

……バカだよな。

『ええ、バカね』

そう答えながら、ミサは決して咲をバカになどしていなかった。

『つとむくんが、こんなにも咲ちゃんを愛してるなんて、知りようが無いものね?』

僕の中にある、無尽蔵の想いを読まないでくれ。

『つとむくん』

なんだ?

あふれてくるわ』

くそ。

溢れ出る僕の想いは、隠しようが無いんだな……。

『愛液が』

愛液かよっ!?

『ごめんね』

なにが?

『愛し合う男女が二人いて、そこに私がいる』

お前は何を──

『何も言わなくても判るわ。つとむくんが、これっぽっちも私を責めてないことも、邪魔だと思ってないことも』

だったら。

『でも、謝らせて』

……。

『まあ、平常時はともかく、結合時は邪魔になるかも知れないし』

……まあ、恥ずかしくはある。

『恥ずかしがる必要は無いわ。私だって経験は無いし、つとむくんが三秒で果てても笑ったりしないわ』

そりゃどうも。

『心配なのは』

何か懸念事項があるのか?

『つとむくんは体温が無いから、へたするとバイブと変わらないんじゃないかって』

嫌な心配だなオイ!

『まあ咲ちゃんも未経験だろうから、こんなものか、で済ましちゃうかも知れないけど』

こんなもの!?

『つとむくん』

急に声のトーンが下がる。

どうした?

『生まれ変わったら、あなたに抱かれに来るわ』

縁起でもないことを言わないでくれ。

『あら、生まれ変わるなんて目出度めでたいことじゃない。おかしなつとむくん』

僕がずっと幽霊だったら?

『大丈夫よ。生まれ変わっても、あなたが見えるし触れられるはずよ』

どうしてそう思う?

『女の勘よ』

根拠も何も無かった。

でも何故か、僕もそんな気がした。

「勉ー」

「うわぁ!」

不意に咲に呼ばれて、無い筈の心臓が飛び出しそうになる。

「……どうしてそんなに驚くの」

「い、いや、寝てるものだと思っていたから」

実際、寝ていたのだろう、少し寝起きの声だ。

「今、浮気してたでしょ」

「浮気!? どうやって!?」

「精神的浮気」

ドキリとする。

該当するようなしないような……。

というか、女の勘は恐ろしい。

寝ていても察知し、ひらめくのだ。

『そうよ、女の勘は当たるのよ』

ミサが得意げに口を挟む。

さっき言っていたことも、当たると言いたいのだろう。

「勉ー」

咲が少しねたような声で僕を呼ぶと、ベッドの端に身体を寄せ、空いたスペースをポンポンと叩いた。

……え?

「早く」

急かされるままに、僕はベッドに身体を横たえる。

寝ぼけているのだろうか、躊躇ためらいもなくギュッと抱き付いてきた。

ややあって、穏やかな寝息。

鼓動は無くともドキドキは収まらない。

精神的ドキドキだ。

『つとむくんは体温が無いから、夏は抱き枕にピッタリよ』

それって、嬉しいようなツライような……。

『肉バイブよりも肉抱き枕として重宝ちょうほうされそうね』

それはいったい、どっちの方が幸せなのか。

『バカね、つとむくん』

ミサが、ホトホトあきれたような声を出した。

『抱き返せばいいのよ? あなたは抱き枕なんかじゃ無いんだから』

確かにそうだと思い、そっと触れるように咲を包む。

『温かいね』

ああ、温かい。

心の中でミサが微笑む。

心なしか、暗がりの中で咲も微笑んだ気がした。

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