第47話 三人の形

居間の柱時計の音。

かなり古いもののようで、ここだけゆっくりと時をきざんでいるみたいに居間に溶け込んでいる。

向かいに座る孝介さんの手は、意外なことにゴツゴツとしていた。

たぶん、農業や力仕事をになってきた手だ。

二人の女性を、力一杯に支えてきた手だ。

それが意外に思えたのは、この人の持つ柔らかな雰囲気と、さっきまで何度か先生の頭を叩いた時の動作が、とても優しいものだったからだ。

静かに、ゆったりと、孝介さんは語り出した。

出会ってから今に至るまでの経緯を、時に懐かしむように、時に照れ臭そうに、そして、終始、二人のことを愛おしそうに話した。

苦労話は一切無かった。

都会に出て寂しく虚無的だった生活は語られたけど、二人との出会いがそれを変えたことに焦点が当てられていた。

三人で過ごす日々は、喜びと輝きに満ちていて、聞いている方が幸せな気持ちになるほどだった。

決して苦労が無かったわけではないだろう。

寧ろ苦労や障害は山ほどあったに違いない。

世間的には認められない。

実生活でも制約は色々とある。

それでも三人は、一緒でいることを望んだ。

それは、僕ら二人の関係と、いかほどの違いがあるだろうか?

世間的には認めてもらえない。

実生活は制約だらけだ。

それでも僕らは、僕と咲は、一緒にいることを望んだ。

そのことに、いささかの違いも無いのではないか?


結婚式の話で、咲は涙を流した。

祝福されたいと願うのは当然のことで、そして彼らは、たとえささやかではあっても、強く深く祝福された。

美矢さんのお母さん、タマちゃん先生のご両親も話に出てきた。

驚いたことに、美矢さんの母親は最初から協力的で、三人の良き理解者であったという。

タマちゃん先生のご両親は当然のことながら反対したが、説得を重ね、結婚式には参列した。

その話は、協力と拒絶という相反する立場であっても、子供の幸せを願う気持ちに変わりは無いことを示し、努力次第で判り合えることを伝えてくれた。

……そうか。

孝介さんは、饒舌じょうぜつであったり訥々とつとつと話したり、あるいは考え込むようなこともあったけれど、結局は、咲に勇気を与えようとしているんだ。

人の噂や無理解、否定や批判、そういったものを、この人は乗り越えてきたんだ。

僕は、ふと思い立って席を外した。

孝介さんのご両親の話が全く出てこないからだ。

この家からも、三人と一匹以外の気配は感じられない。

玄関の方へ向かい、ふすまの開けられた部屋をのぞき込む。

そこに、仏壇があった。

静かで、でも決して寂しい部屋では無かった。

遺影があって、どこか孝介さんの面影を持つ夫婦が笑っていた。

仏壇はピカピカだった。

花は、今朝にそなえられたばかりのようで瑞々みずみずしい。

「沢村君」

背後に、タマちゃん先生が立っていた。

腕に猫を抱きかかえている。

この猫は僕が見えているみたいだから、先生は猫の視線を追ってきたのかも知れない。

「孝介さんのご両親です」

やっぱりそうだった。

柔らかで、幸せそうな笑顔。

「あなたの存在を聞いたとき、私にはこのお二人の笑顔が頭に浮かびました」

写真の二人は若くて、せいぜい四十前にしか見えない。

だとしたら孝介さんは、十代でご両親をうしなった可能性が高い。

「私達は会うことはかないませんでしたが、会ってみたかったと思います」

幽霊がいればいい、以前そう言った先生の会いたい人は、旦那さんのご両親なのだろうか。

「嫁としゅうとめ問題は世間で多発していますが、それでも、孝介さんが幸せなら……」

やっぱり、一緒なんだ。

他者の幸せを願えることが、自分にとって何よりの幸せだということが。

「咲」

僕はその名を呼ぶだけで幸せになる。

その名は、僕にとって特別な響きなのだ。

そして同時に、誰より幸せでいて欲しいと願うのだ。

「咲」

生きていても、死んでいても、それは絶対に変わらない。


「勉!?」

僕の声が届いてしまったのだろうか、咲は仏間に駆け込んできた。

咲は僕を見て、それから仏壇を見た。

「うっ、ああ……」

一目見れば判る。

どれだけ死者が大切にされているかということが。

一目見れば判るんだ。

ここに暮らす三人が、どれほどこの生活を大切にしているかが。

そうでなければ、この仏壇も、供えられた花も、この部屋のたたずまいも、もっと寂しいものになっているはず

だから咲は、自分が発したさっきの言葉を悔やんで、嗚咽おえつを漏らすのだ。


居間に戻った僕達は、美矢さんと孝介さんの笑顔に迎えられる。

咲は話の途中で抜け出したことをび、さっきの心無い発言を詫びた。

僕も、「ハーレム?」などと思ったことを謝らなければならない。

『つとむくん』

ミサが僕を呼んだ。

どうした?

『あなたも似たようなものだけど?』

は? 何を言っている。

『だって、咲ちゃんという存在がありながら、私を囲っているでしょう?』

だから囲うとか言うな!

でも、あれ?

咲は、僕の中にいるミサという存在も含めて、受け入れようとしてくれている。

僕も、ミサには咲を好きになってもらいたいと思っている。

『咲ちゃんのことは、とっくに好きだけど?』

だったら嬉しい。

タマちゃん先生には、ミサが僕の中に取り込まれたことは話してある。

『取り込まれたんじゃなくて取りいたの!』

まあそれは、どっちでもいい。

『良くないわよ!』

先生達は、三人でいられる理想形を、僕らに見せてくれたのかも知れない。

『ちょっと! 聞いてる?』

ミサ。

『何よ』

僕達も幸せになれる。

『そんなものは、二人で築き上げなさい』

お前も僕の一部なのだし。

『僕の一部とか言うな! いずれここから出て行くわよ!』

そうなったら、ひどく寂しいなぁ。

『つとむくん』

なんだ。

『私も寂しいわ』

そう言って、ミサは笑った。

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