第41話 おバカさん

僕の向かいには、妹ののぞみが座っていた。

斜め前に鋭い目を向けて、つまり咲の方をにらんでいる。

僕の隣に座る咲の正面では、母親が困った顔でぎこちなく笑っている。

日は西に傾いて、庭で鳴くせみの声に昼間の勢いは無く、居間を気怠けだる喧噪けんそうのようなもので満たしていた。

「えっと、コーヒーでもれようか、それともお茶がいい?」

変な空気に耐えかねて母親が立ち上がりかけるが、希がそれを制する。

「咲ちゃん、冗談だとしたら許せないけど」

その視線は、もはや敵意と言っていい。

幼い頃からさんざん咲に可愛がってもらったのに、我が妹は咲の言葉を信じていないようだ。

咲は、希の視線に動じない。

それどころか、柔らかな笑みを浮かべてみせる。

「勉は、私の隣に」

「だったらどうして私に見えないの!」

希は真っ向から咲と対立するが、母親は咲がおかしくなったのではとオロオロする。

ちょうど蝉の声がかげりを帯びた。

もうすぐ、アブラゼミからヒグラシの声に入れ替わる。

そんな夕暮れ時だ。

「えっと、電気をけるわね」

居間が明るくなる。

母の行動など意に介さず、咲と希は睨み合っていた。

いや、求め合っていると言うべきか。

本当に兄が存在するなら、それを信じさせて。

勉の存在を信じて。

二人の視線は、それぞれの望みを欲するように交錯こうさくする。

だが、その後の展開は見えている。

咲は、クラスメートに僕の存在を信じさせた時と同じことをするつもりだ。

希には部屋に行ってもらい、咲と母は居間に残る。

僕は希の後を付け、その行動を報告すればいいわけだ。

「そこまでする必要無いから」

だけど、希は咲の説明を聞いてそれを拒否した。

「え?」

「私がこの場で、咲ちゃんに見えないようにスマホで文字を打つから、それを答えてくれたらいい」

場所を変えるのは、より疑いの余地を無くすためであるが、希がそれでいいと言うなら構わない。

希は咲に背中を向け、スマホを握り締める。

どうせ判るわけないと高をくくったような表情。

画面の上を、滑るように指が動く。

……。

え?

『ひどいブラコンね』

ミサがあきれた口調で言う。

確かにこれは……いいのか?

僕はその文面を見て躊躇ためらいつつ、咲に伝える。

いいの?

咲が僕と同じ顔をする。

「さあ答えて。一文字でも違ってたらアウトだからね!」

コイツ、全く信じていないな。

そういうことならと、躊躇っていた咲がニヤリと笑った。

「好き好き大好きお兄ちゃ──」

「わーっ!! ちょっと待ってちょっと待って!!」

「え? でもまだ文面の半分くらいよ?」

「もういい! もういいから!」

「でも希ちゃん、もしこれが本気なら──」

「本気なワケ無いじゃん! 私が普段絶対に考えないようなことをえて打ったに決まってるじゃん!」

顔を真っ赤にして否定する。

母親はポカンとした顔で、希と咲を見比べる。

「バカ兄貴、勘違いしないでよね!」

希は咲の隣、つまり僕が座っている椅子に向かって言う。

つまりは、僕の存在を認めたということだろうか。

「ま、妹として? こういうことを言っとけば? お兄ちゃんは喜ぶでしょう、みたいな?」

『絵に描いたようなツンデレだわ』

ミサ、言ってやるな。

「でも、後半の文面は、さすがに勉も戸惑ったみたいよ?」

咲、それも言っちゃダメだ。

「~~っ!! あ、あんなのは! だいたい、お兄ちゃんだって私のことエロい目で見てたことあるし!」

「無いわっ! つーか咲も疑いの目で僕を見るな!」

「私の下着が無くなってるのも、お兄ちゃんがったんでしょ!」

「ぶさけんなっ! 誰が妹の下着なんか盗むか!」

「幽霊になったお兄ちゃんに言っておく!」

「なんだよ」

「私に見えないからって好き勝手しないでよね!」

「するか!」

「部屋のドア、いつでも開けておくけど、のぞいたり悪戯いたずらしたら許さないから!」

『うわぁ、すんごいツンとデレの合わせ技だわ』

「それから咲ちゃん!」

「な、何?」

咲が圧倒されている。

「お兄ちゃんが見えて話せてれられるからって、いい気にならないでよね!」

「べつにいい気になってるわけじゃ……」

「ていうか……」

「ていうか?」

「幽霊なんているわけないって思ってて、咲ちゃん頭オカシイって思って……でもホントにいるってなったら、どうしていいかわかんないよ……」

あるいは、迷惑なのではないかと思っていた。

気持ちに整理をつけているなら、今さら僕の幽霊がいるなんて、知らない方がいいんじゃないかって。

「……いま、お兄ちゃんはどんな顔してるの?」

希が、生意気な妹じゃなくて、兄の後ろを付いて歩いていた子供の頃みたいな顔をする。

「えっと、苦笑いをして、妹が可愛くて仕方ないみたいな……」

本当は、少し困ったような顔を僕はしているはずだ。

希を混乱させてしまって申し訳ないという思いもある。

僕の幽霊がいたとして、それで頭を撫でてやれるわけでもない。

咲自身は、クラスメートだけじゃなく、いつかは家族にもと考えていたようだし、僕を消えさせないためには絶対に必要なことなのだろうけど、相変わらず準備も何も無かったし……。

でも、妹が可愛くて仕方ないというのはその通りで、僕の存在が、希にとって少しでもプラスになればいいのにと思う。

『ねえ、つとむくん』

「なんだ」

『妹はともかく、さっきからお母さん固まってるわよ?』

え?

「母さん?」

僕の呼び掛けで、咲も母親の様子がおかしいことに気付く。

「お、おばさん?」

咲の声に、うつろだった目が焦点を結ぶ。

「……勉はどうして、幽霊になったのかしら?」

事実を受け入れられないのかと思ったが、そうでもないらしい。

「幽霊って、未練やうらみがあるからなるんでしょう?」

そうか……。

母親としては、何よりそれが気がかりなんだろう。

死んでも尚、引きずり続けるような想いを残しているのだとなると、息子が不憫ふびんになるのだろう。

「お小遣い、少なすぎたかしら……」

おい。

僕はどんだけショボい幽霊なんだ?

「それとも、希が悪いのにお兄ちゃんのせいにして怒ったことかしら……」

いや、理不尽に怒られた記憶は幾つかあるが、僕はそんなに器は小さくないぞ。

「お、おばさん、勉は恨みなんて何一つ無くて──」

「そうよね、あの子が化けて出るとしたら」

化けて出るとか言うな。

でも、母さんは笑って、驚くほど清々しい顔で言うのだ。

「咲ちゃんに会うために決まってるわよね」

……。

達観しているような母と、真っ赤な顔で否定しようとする咲と、ねながら笑う希。

「バカ兄貴」

はいはい、その通りだよ。

「バカ息子」

親不孝者で反論も出来ないよ。

「バカ勉」

おい咲、お前もか。

何故か女性陣が一致団結した。

理不尽に思いながらも、僕は笑うしかなかった。

だって、この三人が揃って笑ってるなんて、いつ以来のことだろう。

『つとむくんは、超が付くくらいのおバカさんよ』

ミサもそう言って笑った。

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